言霊


 時々、異世界から電話がかかってくることがある。
「今ね、新宿駅にいるんですよ。中央線。飛び降りようかと思ったんですけど、怖くてねえ。それであのう、どうしよう。どうすりゃいいんでしょうか」
 熟年の子どもの、すっかり落ち着きをなくした声。あんた誰などと聞き返してはいけない。多分あちらは電話相談の人だと思っているだろうから。ただあいにく僕は単なる某企業の苦情受付係なのであって、電話相談の人ほど人を更正させる力はない。
「どうすりゃいいのって、そうですねえ。僕に洗いざらい今までのこと話したら?」
「とても全部話す時間がないよ」
「それなら今日のことだけでも」
「今日のこと? あぁ、うん……」

「今日ね、あれだ、借金取りが来た。怖いんだよ。すごく大きな声で怒鳴るんだもの。『てめぇいい加減にしろ!』ってね、殴られるかと思った。あ、十円切れちゃう……
 ……よっと。どうしよう、あと一枚しかない」
「カード持ってないですか。テレホンカード」
「テレカ? ……ああ、あった。でも七度数しか残ってない」
「それなら駅長室に駆け込んだ方がいいですよ。大声で『助けて!』って叫ぶんです」
「駄目だよ! そんなことしたらみんなに知らされちゃうじゃないか!
 駄目だ、それは駄目だ」
「それなら、続きを」
「……いや、やっぱりもう駄目だよ。とても時間がないもの。言えないよ」
「大丈夫です! 一番言いたい台詞とかあるでしょう。それだけなら聞けますから。あなたもそれだけ言ったら、きっと少しは楽になれますから」
「一番言いたい台詞?」

「かあちゃんがね、俺のことすごい酷い顔で見るんだ。『このろくでなし』って言いたいんだろうね。息子も俺を避けてるよ。髪染めてさ、俺を足蹴りするんだよ。
 俺、どこへ行けばいいんだろう。
 俺、帰りたいよ。どっか帰りたいんだよ。駄目な俺を見てくれる奴なんかこの世にいないんだ。この場所だって、どこ行ったって、窮屈で耐えられない」
「……」
「あぁ、またビーって鳴った! どうしよう、もうテレカしかないよ。七度数なんてあっという間だよ!」
「大丈夫ですから! おじさん、これ切れたらもう一回勇気を出してかけ直してください! 僕は謝らなきゃいけない。おじさんはきっと番号間違えたんだ。ほら、フリーダイヤルのところ、間違ってどこかで『4』押したんじゃないですか? 本当の電話相談は電話代なんかいらないんですよ!」
「あんたまでそんなこと言うのか!? ひどいよ。責任逃れだよ。俺はあんたに全部聞いてもらわなきゃ意味がないんだよ!
 あぁ、もう駄目だ。度数がない」
「諦めないでください!」
「助けて。何とかしてくれ! 俺、もう駄目だよ。待って、切れないで。切れないで!」
 断線音。



 単調な電信音の中で、僕は深く溜め息をついた。



「おい、どうした?」
「切れた」
 僕は隣の同僚と顔を見合わせながら受話器を置いた。昼休みのチャイムが鳴り、周りの連中が伸びをしている。
「早いとこ食堂行こうぜ」
 同僚は平然とした顔で財布をひっつかんで席を立ち、僕はやはり平然としてそれにならった。

【End.】

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