棺桶に入っている父ちゃんの手は指が足りなかった。大きくて、ごつごつした手。おれと母ちゃんを殴った手。
 やくざ、ちんぴら、酔っぱらいのろくでなし。子どものおれでさえ何度殺してやりたいと思ったことだろう。それがあっさり死んだ。交通事故だった。おれは父ちゃんの潰れた顔を見ることができず、代わりに手を眺めていた。

「父ちゃんは何で指が一本ないの」
 銭湯でそう尋ねて殴られたことがある。おれを助けてくれる人はいなかった。おれは素っ裸で、しかも独りで父ちゃんと向き合わなければならなかった。父ちゃんは背中に目一杯刺青をしてガタイもよく、おまけに短気だった。きっといつか死ぬと思っていた。むしろ願っていた。

 そんなことをどうして今思い出すのだろう

 そう、つまらないことだった。父ちゃんはおれを殴ると必ず変な顔をした。哀しいのか、困っているのか、とにかく不恰好な顔。銭湯のときもそうだった。そうしておれを殴っては大人しくなり、おれはおれで気を取り直して父ちゃんの背をすすいだのだった。
「伴也。父ちゃんの指が足りないの……やっぱり怖いか?」
 ――意外と、小心者だった。
「別に。それがどうしたの」とおれが返すと、ほっとしているようでおかしかった。

 死ねばいいと思っていたはずなのに。何で今おれはこんなつまらないことを思い出しているのだろう。もう二度と喋らない父ちゃんの手を眺めて――

【End.】

戻る[1]
Copyright © 2009 桔梗鈴