1945
Chapter1 [1/2]
八月になると、私はお爺ちゃんの家へ行ってお婆ちゃんの仏壇に花を供えます。胡瓜のお馬に茄子の牛。私にはそんなことをする理由がわかりません。お爺ちゃんはこの馬や牛に乗ってお婆ちゃんが帰ってくるというけれど、それならミニカーを代わりに置いて胡瓜や茄子は食べた方がいいと思うのです。
お爺ちゃんの家はいつまでも昭和の世界のまま。私がお爺ちゃんの家でテレビを見ると戦争のニュースやアニメがよく流れています。
「奈津子、爺ちゃんがお前くらいの頃はな、どこの家もお国のため言うてがんばっとったんやぞ。爺ちゃんも終戦近くなると学校で爆弾の部品とか作っとったんやから」
お爺ちゃんは戦争が嫌いだと言いながら、その一節になると不思議と誇らしげな顔になるのです。間違えてはいけません。お爺ちゃんは自分の青春の思い出を語ってそういう顔つきをするのです。私たちの部活動や他のいろんな青春の一場面がたまたまお爺ちゃんにはクラスでの爆弾作りだったのです。お爺ちゃんは戦争はもう二度としたくないのです。今もお爺ちゃんは国旗を挙げませんし君が代を歌ったことも一度だってありません。
私は学校の宿題で戦争のことをレポートにまとめてくるように言われてお爺ちゃんの話を聞きました。けれど、お爺ちゃんは途中から亡きお婆ちゃんの方へと話をそらしていってしまいます。
「婆ちゃんは終戦まで東京におったからもっとひどい目にあったんやぞ。婆ちゃんの家族はみんな空襲で死んでしもたんや。婆ちゃんの父ちゃんも、母ちゃんも、爺ちゃんも、婆ちゃんの婆ちゃんも、兄ちゃんも、姉ちゃんも、みんなB-29が……」
お爺ちゃんは話し上手ではありません。いつも、そこで話は途切れてしまうのです。
「……奈津子、婆ちゃんのこと覚えとるか」
「うん。ちっちゃい時に会ったね」
「そうじゃろ。婆ちゃんはようお前が婆ちゃんの姉ちゃんに似とる言うとった。お前、婆ちゃんの姉ちゃんの名前知っとるか?」
「知らない」と私が言うとお爺ちゃんは団扇をぱたつかせて、その人が「奈津実」という名前だったと私に教えてくれました。
その夜、私はお婆ちゃんの仏間で寝ることになりました。もちろんクーラーなんかありませんでしたけど夜風が強くて寝やすい夜だったのを覚えています。
私はぐっすり眠りました。流れ続ける雲の上で月が満ちていました。
私は夜空の雲の霞のなかを飛んでいました。胡瓜の馬は大きな木馬のように私を乗せて、音もなく、ただ風として飛んでいました。見下ろすと町全体が小さく光って見えました。私と地上との間には無限の空間が横たわっていました。
「なっちゃん」
懐かしい呼び声がしたので振り向くと、少し遅れて茄子の牛がゆっくり飛んできました。その上にはお婆ちゃんがにこにこしながら座っていました。
「お婆ちゃん」私は思わずそう言いました。空の上にいる違和感は全くありませんでした。
「会えてうれしいわ。大きくなったわね」
「うん。お婆ちゃんはうちに帰ってきてたの?」
「そうよ。毎年帰ってきてるわ」
お婆ちゃんは小さい頃会った姿のままです。いつも笑顔のかわいらしいお婆ちゃんでした。でも、どうして今年は会えたのかしら……?
その時です。お婆ちゃんが悲しげな顔をしたのは。
「なっちゃん、お婆ちゃんを少しだけ助けてくれるかしら」
お婆ちゃんは本当にすまなそうな顔つきになって私をじっと見つめました。胡瓜の馬と茄子の牛はゆっくり濃くなった霞に割り箸の足を沈めていきます。
「なっちゃんもとうとうそれなりの年頃になったでしょう。お願いだから、少しの間だけお婆ちゃんの側にいてくれない? ほんの少しでいいから」
私は正確には考えていませんでした。ただ、何も考えずに首を縦に振っただけでした。
「……そう。ごめんなさいね」
なぜ「ありがとう」ではなく「ごめんなさい」なのでしょう。私とお婆ちゃんも濃いやわらかな霞の海に沈んでいって、とうとう何も見えなくなりました。
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