1945
Chapter4 [3/3]


 私は軍人さんのその会話についにこと切れました。私の中の闇はとっくに限界を超えていました。
「……こんな国が勝てると思ってるの? 冗談じゃない。そんなことのためにお兄ちゃんを踏みにじったあんたたちって一体何? 何様のつもりなの!?」
「何だと? 貴様この大日本帝国が負けると言うのか!」
 私はけたたましく、泣きながら笑っていました。みんなそう。私が狂ってしまったと思っている。多美ちゃんでさえ、私が気が触れてしまったと思っている。最初に空襲の中で出会ったあの時のように。
「負けるわよ。何でみんなそんなこともわからないの?
 1945年8月15日にこの国は負けるのよ!! わかる? 天皇様が『まいりました』って言うの!!」
 私はそのまま頭を固い靴底で蹴られて倒れました。それでもここで止めるわけにはいきませんでした。
「アメリカが広島や長崎に原爆落っことしてでっかい町が二つまるまる吹っ飛ぶの!! 国民が何十万も無駄死にして、それからよ。天皇様がやっと負けを認めるのは。ねえ、もうみんなわかってるんでしょ。今の日本がガキみたいな腐った意地で戦ってるって」
 軍隊の蹴りが殺されそうな勢いで飛んできます。多美ちゃんが放り出され、私はそのまま逮捕されました。
「お兄ちゃん返してよ。返して! 人殺し!! あんたたちの身勝手のせいでみんな死んじゃったのよ!! かえせ!! かえせぇ――!!」
 周りの冷たい視線が切なかった。私はそこから車に叩き込まれ、留置所に入れられ、そのまま放置されました。飢え死にするまで放っておかれることがもう目に見えていました。



 ……多美ちゃん。……
 ああ、今ごろ多美ちゃんはどうしてるの? 多美ちゃんを守ってあげなきゃ。多美ちゃん……。

「お姉ちゃん」
 格子の向こうに多美ちゃんがいました。私は数日間何も食べてなくて、起きあがれませんでした。多美ちゃんは格子の中へ手を伸ばしてくれたと思います。
「……私ね、今新しい家で、新しいお母さんとお父さんと暮らしてるんだよ。とっても、いいとこだよ。大丈夫だよ。だからお姉ちゃんもそこへ行こうよ。そこで、また一緒に暮らそうよ……ね……」
 私は起きあがれないまま多美ちゃんの手に触れて、多分、笑っていたのだと思います。
「……ごめんね。お姉ちゃん、もう多分多美ちゃんのとこへは行けない。……ほら、泣かないの。
 笑いなさい、多美ちゃん。お姉ちゃんと約束して。どんなに辛くても、笑顔を忘れないでね。もし約束を守ってくれたら、もう一度、きっと会えるから」
「……本当?」
「……うん」
「……きっとだよ……」

 多美ちゃんは扉が閉まる最後まで私を見ていてくれました。
 そして扉が閉まった後、私は微笑んだ顔のままでその場に捨て置かれ、息を引き取りました。



 次に私が目を覚ましたのは約五十年後のことでした。
「奈津!」
 病院の白い天井との間にお母さんの声がしました。みるみるうちに、私の周りには家族が集まってきました。お母さんに、お父さんに、それとお爺ちゃん。そこに多美ちゃんの姿はありませんでした。
「よかった……。あんた三日間も昏睡状態だったのよ。ものすごく心配だったんだから」
 お母さんによると、私は三日間で急激に痩せきったそうです。ただ寝ているだけで日に六キロは痩せたとか。私はそんな体の異常を全て納得ずくで聞いていました。きっと、私は三日間で五十年前の命を使い切ったのです。
 私にはそれよりも気にかかっていたことがありました。

「ねえ、お爺ちゃん」
「ん?」
「お婆ちゃん、私が生まれたときどんな風だった?」
「そんなの嬉しかったに決まってるじゃあないか。それがどうしたね?」
「……私ね、お婆ちゃんの話がいっぱい聞きたい。生まれて、大きくなって、お爺ちゃんと出会って、死ぬまで、全部。……教えてくれる?」

 お爺ちゃんは、驚いたような照れくさいような顔をして私を見つめていました。
「私、この三日間ずっとお婆ちゃんと暮らしてた」
 不思議そうな表情だけど、決して嫌がってるわけじゃない。
「……そうかい。じゃあ、ゆっくり話してやろうかね」
 あまりにも辛いことがたくさんあったけれど、私はきっとお爺ちゃんとこの傷を埋めていきます。不信とは違う温かいもので。そうすることで過去の二人に報いるべきなのだと五十年前の私は呟いていました。

【End.】

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