1945
Chapter4 [2/3]


 ……その時、帰り道に爆音が響きわたりました。
「伏せろぉ!!」
 耳をつんざく弾丸の嵐の音。そして、人の倒れる音。
 機銃掃射から間一髪で逃れた私は、再び通りを見回して新たに増えた怪我人の群に目を細めました。そして大切なお米の無事を確認しました。お米がこぼれていなくてよかった……と、場違いな安心に包まれた私は再び診療所へと歩き出しました。
 私は恐ろしいほど他人の死に鈍感になっていました。私にとって「死」と言えばそれは信人兄ちゃん以外になく、それ以外は単なる死者の「映像」でした。悲鳴の行き交う帰り道にはそういったポスターが連なり、血に汚れ、破れ、ばらばらと広がっているように思えました。帰れば多分こんなことはみんな忘れてしまうことでしょう。私はそう思っていました。
 しかし忘れることはできませんでした。
「やめて、お兄ちゃんはまだ生きてるよ!!」
 機銃掃射の被害者と一緒に診療所に帰り着いた私が見たものは、信人兄ちゃんにしがみついている多美ちゃんの姿でした。多美ちゃんは小さく痩せた体で気が触れたように周りを威嚇していたのです。看護婦さんたちは多美ちゃんをお兄ちゃんから無理やりひっぺがすと、お兄ちゃんを担架に乗せて、私の横を通り過ぎました。お兄ちゃんが運び出された後には、違う患者さんが運び込まれました。
 何が起こったのかわかりませんでした。私は暴れる多美ちゃんのもとへ行って話を聞きました。看護婦さんは多美ちゃんをしっかり押さえつけていました。
「一体お兄ちゃんをどうするんですか」
 どこを見ても怪我人の群。看護婦さんは疲れ切っていたのでしょうか。
「お気の毒にね。お兄さんは、たった今亡くなられたの。だから他の”生きられそうな”患者さんに場所を空けてもらったのよ。お兄さんの火葬はここでやってあげるわ。気を落とさないで……ね?」

 私は数秒の間その場に立ち尽くしていました。
「嘘つき!!」
 多美ちゃんは看護婦さんを振り払い、信じられないほどの力で私の手を引いて外へと駆け出しました。
「お兄ちゃんはまだ生きてたもん。あの人は怪我した人たちがいっぱいになってお兄ちゃんが邪魔になったんだ!!」
 私はどちらを信じたらいいのかわかりませんでした。信人兄ちゃんは始めから生きられないとわかっていたし、病院に死ぬとわかっている人を置く場所がないことも重々承知の上でした。もし仮に看護婦さんたちが薬か何かを使ってお兄ちゃんを殺したとしても、それがお兄ちゃんの苦しみを和らげるためにしたことなら、責めることはできません。私は信人兄ちゃんさえ安らかに眠ってくれれば……。
 火葬場に死体が積み上げられています。そこへお兄ちゃんも捨てられたのが見えました。もうお兄ちゃんの抜け殻と言った方がいいかもしれません。
「多美ちゃん、もういいよ。もう楽にしてあげよう。お兄ちゃんだって苦しくない方がいいよ。このまま生きてたってきっと辛いだけだよ……」
 多美ちゃんは狂った状態のままお兄ちゃんを呼び続け、抑える私の腕に噛みつきそうな勢いでした。
「誰かお兄ちゃんを助けて」
 お兄ちゃんの上に黒ずんだ油が掛けられます。ガソリンや廃油の混ざった臭いが漂ってきました。
「お兄ちゃんを殺さないで」
 ――さようなら、信人兄ちゃん。どうか天国でも、安らかに――
「お兄ちゃんはまだ生きてるのよ――っ!!」
 その一瞬。



 お兄ちゃんは死体の山の中から手を挙げたのです。

 肘から先の無い手を、最後の力で。



「お兄ちゃ……!」
 一瞬で炎はお兄ちゃんを呑み込みました。多美ちゃんのと一緒に、大量の断末魔の悲鳴が空へと昇っていき、耐えられない臭いが押し寄せてきました。

 どうして こんなことに。
 人間はどうしてこんなに残酷になれるんだろう。

 私はすっかり狂い泣きしてしまっている多美ちゃんを抱いてその場に腰を抜かしてしまいました。もう何も考えられませんでした。ただただ何もかも憎くて悲しくて仕方なかった。他人も、自分も、多美ちゃん以外の生きた人間全て。
「いいんですか、瀕死の人間まで焼いちまって」
「かまわん。生きとる人間の方が優先だ。この大日本帝国の勝利のために献身できる奴だけ生かしておけばいいんだ。いずれ屑になるようなものは要らん」

次[#] 前[*]
戻る[1]
Copyright © 2009 桔梗鈴