鎖とその男に関する記録
Chapter1-2 [1/3]
その日も二人は工房にいた。バルガスは鎖につける首輪を作り、セフェリはいつもの如くそれを眺める。今日は火を扱わない日で、彼は鉄の首輪にやすりがけをしていた。鉄の磨かれていく音。あんなにも硬そうな鉄が彼の手にかかると素直に磨かれていく。
外には町の音が溢れていた。あらゆる人が行きかい、それぞれの生活を営む音。セフェリはそれらに耳を澄まして、ぼんやりとしていた。平民の暮らしは本当に気楽でいい。貴族ほど優雅ではないが毎日鞭で打たれることもないし、何より目の前の男は本当の父親よりも数段優しい。彼女にとってそれはある意味夢の暮らしだった。
外で馬車の止まる音がする。誰かが家の戸を叩く音がする。
「お客さん来たよ」
「手が離せねえ。ちょっと出てくれ」
彼女は立ち上がって玄関へ急いだ。そして「お客さん」を見て、立ちすくんだ。
もう見たくないきらびやかな衣装。
「久しぶりだな」
聞くだけで逃げ出したくなる声。彼女は恐怖のあまり声も出せず、どんどん後ずさった。彼女を犯した貴族が逃げ惑うペットを追って中に入ってくる。セフェリが工房に逃げ込んで鍵を閉めると、バルガスは何事かとばかりに手を止めた。
「どうした?」
セフェリは答えられなかった。声が出ず、ただぶるぶると首を振る。扉を叩く音がする。こつこつと、落ち着いた調子の音。バルガスはどうするべきか迷ったが、彼女の只事でない顔を見て護身用に鉄の鎖を持った。
「危ない連中でも来たか?」
彼女はいっとき首を横に振ったが、しばらくするとそれをまた否定するように首を振った。
「あんまりいい客じゃねぇってことか」
バルガスは戸の前に立つと、セフェリに教えるようにして工房の隅の床を指した。
「早く行け。そこの出っ張りをひけば物置があるから」
言いながら鎖を張る。
彼女が床の扉から物置に隠れたのを見届けると、彼は鍵を外してほんの少し扉を開けた。
「よくないお客」は薄笑いを浮かべていた。
「マリノ様!?」
マリーニ邸の庭のままの服装。つま先まで汚れ一つない。
バルガスは慌てて鎖を隠すと扉を開け放ってひざまづいた。
(マリノ様がわざわざうちに来たのか?)
いきなりのことに彼の頭は混乱を極め、いくらでもつけられる理由の山がその中を飛び回った。
「奴隷に鎖もつけないとはな。鎖職人のくせに面白いことをするものだ」
マリノは観光にでも来たかのように工房をゆっくり、ゆっくり歩き回る。消えた少女を捜すというのも彼にとっては遊びでしかない。
「して、どうだった? あの娘は。お前も子供の味というのがどんなものか、よくよくわかっただろう?」
しがない職人を嘲る豚の声。バルガスは頭を伏せたまま歯を食い縛った。自然と手に力が入る。
「マリノ様、私はそのようなことのためにあの娘を頂いたのではありません」
「ならば何のためだ? 身の回りの雑用でもさせるのか?」
マリノの「雑用」とは、何から何まで奴隷にやらせるという意味である。
「その通りでございます」
一方バルガスの「雑用」とは、どこの平民の家でも子供がやっているような手伝いを指す。
「わからん男だ。まあいい。ところであの娘はどこへ行った?」
「……鉄を取りに行かせました」
「入口は閉まっていたではないか」
「マリノ様のお目に触れては失礼かと思いましたので、窓から外に」
バルガスの声はかなり落ち着きのない声だったが、マリノはそれを自分が来たせいだろうと思い込んだ。
「残念だな。それではお前の悲しむ顔が見られない」
彼は自分のおもちゃを拾う程度にしか思っていないのだろう。
「何ですと?」
バルガスが頭を伏せながら眉をしかめると、彼は工房に飽きたのか部屋の外へ出た。
「今日中にあの奴隷を連れてこい。あの奴隷は金袋二つで買い戻してやる」
息をのむ音は彼にも聞こえた。優越感が声にも表れる。
「お前の代わりなどいくらでもいる。連れてこなかったら……わかるな?」
若い、冷酷な笑い声が馬車の方へ帰っていく。台詞の内容は豚、その笑い声はカラスか、猿。
バルガスはマリノが立ち去っても動けなかった。怒りが声にならない。屈強な身体も、鉄を扱う技術も、役に立たない。
彼の心の中ではいろいろなものが天秤にのっかっていた。片方には自分の良心と小さな少女、もう片方には身分と金。逆らえば飢えてしまうという恐怖。いっそのことぶち壊してしまいたい天秤だった。しかしそれができるほど彼は強い人間ではなかった。どちらを取っても、失うものが大き過ぎる。
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