鎖とその男に関する記録
Chapter1-2 [2/3]


「おじさん、どうしてお酒を」
「うるせェ! いいからもっと持ってこい!!」
 セフェリが怖がっているのにも構わず、バルガスは安物のまずい酒をがぶ飲みしていた。目は数十分前からすわっていて、彼女の前で泣きだしそうになったかと思うと次の瞬間には鎖を手にはめて馬鹿馬鹿しく歌い出したりする。
 もう夕暮れである。窓からは橙色の光がさしこみ、人々も家に帰りはじめる。
「もう酒はねェのかよ!!」
 声を荒げる彼の姿はまるで別人だった。鞭を打つ支配者と同じだった。
「そんなこと言ったって、お金が」
 セフェリが持ってきた金袋の中には銅貨一枚入ってはいなかった。酒に無駄な怒りを掻き立てられバルガスは立ち上がった。彼女はその眼に身の危険を感じた。
 彼はなぜか鎖を手に取るのだ。そしてこちらへ向かってくる。
「おじさん?」
 彼はその時、乱暴に彼女の手を掴んだ。
 どうしようもない恐怖が彼女に襲いかかる。
「やめてえっ!!」
 彼は手を離さなかった。そして酔った思考回路でこう言った。
「おめェで金袋二つ! 一ヶ月は飲んで暮らせる! じゃあな!!」
 重い首輪が音を立ててはめられる。手首に、足首に、冷たい鉄の輪がつく。
(おじさん? ……そんな……そんな……!!)
 セフェリが愕然としたのも見ずにバルガスは鎖を引っ張りだした。

* * * * *


 長い道だった。とりわけ彼には長い長い道だった。
「はっ、これで俺も悪人だな」
 バルガスは崩れかかった声で笑った。セフェリは足を踏ん張っているが、さすがに大の男の腕力にはかなわない。
「おじさん、嘘でしょ? ねぇ」
「嘘じゃねェっつってんだろ。今日中におめェを差し出しゃ金袋二つだ」
 日が沈みかかっている。彼はやけっぱちになって叫んだ。
「俺は自分の暮らしを守るためにおめェを売っ払うんだよ!!」
 歩調が遅くなる。足が重い。
 彼女は喋ってくれなくなった。足音と、鎖のぶつかり合う音がするだけで、後は何もない。
「……すまねぇ。俺は弱い男なんだ。失いたくないもんが、あるから」
 答えはない。
「何か言うことはねェのか?」
 答えはない。
 バルガスは彼女の顔を見た。
 足が止まってしまった。

 少女の涙。

 涙の色は平民も貴族も、そして奴隷であっても変わらない。誰の目からも、自分と同じ涙がこぼれるのである。
「何だよそりゃ」
 バルガスはセフェリの前にしゃがみこんだ。
「違うだろ、お前は俺をののしるんだ。真似してみろ。俺は悪魔だ、人でなしだ……って」
 彼女は口元をきゅっと結んでいる。ただ黙って彼を見ている。酔った哀れな男の姿を。
「俺を憎め。けなし立てろ。なんなら殴ったっていいさ。ツバ吐きかけろ。命令だぞ。ほら」
 どんなにバルガスが自分を指差しても、彼女は黙って涙をこぼすだけだった。そして、それこそが一番彼の良心を刺し貫く矢なのである。
「頼むから泣いてくれるな」
 彼はうなだれてしまった。それ以上はとても動けそうになかった。
(たかが奴隷一人じゃねえか)
 彼らしからぬ思考法。彼女を早く連れていかなければ職を失ってしまう。それでも良心は行くなと言う。
(何のためにこの子を引き取ったんだ。できることは、やってやらねえと)
 中途半端な自分が惨めだった。
 太陽だけが、静かに暮れていった。

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