鎖とその男に関する記録
Chapter2-1 [1/3]


 二年後。
「セフェリ。おいで」
 マリノ・マリーニの傍らには着飾った少女がかしずいている。彼女はマリノのお気に入りの愛妾になっていた。
 もっともその顔は二年前から冷たく固まってしまっている。今では口さえきかなくなってしまっている。
 それはマリノ・マリーニの二十三歳の誕生日のことだった。彼は奴隷たちにやたらと飾りつけた巨大な輿をかつがせ、その上に数人の女と一緒に乗っているのだった。その中にいるのがセフェリである。
「ごらん。いろんな奴らが下でうごめいているだろう」
 彼女は無表情で下を眺める。もとよりちゃんと見てなどいない。
「お前はあいつらを自由に扱えるんだよ。私に心を開いてくれればね」
 彼女はその言葉を無視していた。
 奴隷たちの姿を見るまでは。
(……!)
 横の方で輿を担いでいる奴隷に、彼女の目は釘付けになった。
 熱い太陽にさらされてさらに日焼けした上半身。すすけた髪、鞭でぶたれた跡、そして……やや錆びた鎖。
「こらぁ! もっと心をこめてかつがんかァ!!」
 小さな子に鞭が飛ぶ。セフェリはうっと目を背けそうになって、その時確かに見たのだ。子供への鞭を鎖で受け止めた、ある奴隷の姿を。その瞳を。
 二年前とは大違いだった。昔は暖かい鉄のようだったのが、今では煮えたぎった鉄のように光って見える。彼は彼女の存在に気づいていないらしく、鞭で一発ぶたれるとまた黙って歩き出した。
「セフェリ。あっちをごらんよ」
 マリノが彼女をせっつく。彼女はそれに従いながらちらちらと彼の方を見た。二年前の優しさは息を潜め、そこにはただただ凶暴そうな顔をした男がいた。
(血の代わりに溶けた鉄を流したみたい……)
 それでも彼女は無表情を繕うことを決して忘れなかった。

* * * * *


「さっきはどうもありがとう」
「……かまわねェよ」
 子供が礼を言う先には一人の男がいる。人は彼をヴィークラムと呼ぶ。バルガスという名前は二年前に棄てた。
 奴隷になってもなお屈強な身体、何日も洗濯されていないズボン、そして錆びた鎖と、豆だけのスープをもらうための皿。それが彼の全てである。ヴィークラムは毎日スープを飲み、それを鎖にたらすことを忘れない。いくら周りにもったいないと言われても、一日何滴かは必ず鎖にたらすのである。
 過酷な毎日。奴隷になると人間は植物化するか、それでも人間であり続けるかどちらかを選ばされる。彼には人間の同胞が何人かいた。特に親しいのは二人いる。
「ったく、腹減ったよなぁ」
 一人は彼に初めて声をかけた男で、名前をバールという。
「あたしも。いい加減スープはよしてよ。ポックリ死んじゃうって」
 もう一人はその仲間で、名前をカドゥーミという。二人は奴隷たちの中でもカリスマ的な存在らしい。
 ヴィークラムはいつものようにゆっくりスープをすすると、それをほんの少し残して鎖にしみわたらせた。
「スープを鎖にかけるのを忘れんな。いいか、”湿らせる”んだ」
 バールとカドゥーミはそれにならった。はたから見れば、極めて意味のない習慣であった。

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