鎖とその男に関する記録
Chapter2-1 [2/3]


「ねえ、マリノ様」
 珍しくセフェリが甘える仕草をしてきたので、マリノはご機嫌だった。
「ん〜? どうした。欲しいものでもできたのかい?」
 彼女は少しぎこちなく、恥じらうようにして彼の背中によりかかる。
「あのね、あのね」
 小さな手が肩にのせられている。彼女はしばらく時間をおくと、はにかみながら身を引いてしまった。
「やっぱりいいです。畏れ多い」
 少女特有のかわいらしさが全面に押し出されている。彼女には本当に珍しいことである。マリノはこの駆け引きにひっかかった。
「何言ってるんだ。私が君の言うことをないがしろにするとでも思ってるのかい?」
「でもやっぱり恥ずかしいから」
 彼はセフェリの方に向き直ると、彼女の黒いさらさらの髪を撫でて囁いた。
「教えておくれ。大丈夫、私は君の味方だから」
 彼女はちらちら上目遣いにこちらを見る。
「さあ」
 彼が優しく彼女を促すと、彼女はうつむきながら小さな声で話しはじめた。
「あのね……私、マリノ様の召使いさんにはいっぱいお世話になったけど……その、どうしてもね、相談したいこととか、あって」
「私に相談すればいいだろう」
「違うの。マリノ様に言えないこととかね、いろいろあるの。だからね」
 セフェリは彼の手を取って、小さく言った。
「だから私、自分だけの召使いさんが欲しいの。一人でいいから」
 三重にも押さえつけたような大人しい声。マリノはそのいじましさに微笑した。
「なんだ、そんなことか。遠慮しなくても言ってくれれば一人や二人はすぐにつけてあげたのに」
「うん。でもね、もう一つお願いが」
「何だい?」
「……私、自分の気に入った人に召使いさんをしてもらいたいの。だからね、今日一日だけでも、探したくて」
 彼女は甘え過ぎないことを心得ていた。こんなことを言いだしたのは、二年経った今日が初めてだった。
「よし、それなら今日までは召使いをつけてあげよう。早く探してきなさい」
 マリノは何も知らずに喜んでいる。
「それから、今夜は一緒に寝よう」
 セフェリはにっこり笑った。今や彼女の表情は内心にかかわりなく動かせるようになっていた。

* * * * *


 地下室はひんやりとしている。暗い上に……水一滴ありはしない。今は乾季なのである。足の踏み場もないほど部屋には奴隷たちが座っており、何とか場所を確保できたものは寝そべっていて、息が詰まりそうだった。水分といえば一人につきたった一枚の皿。それに盛られたスープ。
「ヴィークラム、雨季になるまであとどれくらいだとみる?」
「あと二ヶ月だ。この前がマリノの誕生日だったからな」
 どんなに喉が渇いてもヴィークラムはスープを鎖にかけるのを忘れない。濡れた鎖に蚊や蝿が群がってきてももう誰も気にとめていない。いちいち言っていたらきりがないのである。
「でもさァ、雨季になったらなったでジメジメしてヤなんだよネェ。あたしはどっちかっていうと乾季の方が好き」
 カドゥーミが呑気にそう言っていると、遠くの方で扉が開いた。
 いつものように植物がうめく。
 いつものようによれよれの手が伸びる。
「何々? 新入りかな?」
 カドゥーミが立て膝で扉の方に目を凝らし、バールは顔だけ同じ方を向く。ヴィークラムは……何もしない。
「おい、お前どう思う……って、ちょっとは見ろよあれを」
「動いたらもったいねえ」
 彼は鎖をじっと見て、スープの雫が落ちないように鎖を上下させている。
「何かこっちに来るよ」
「奴隷じゃないみたいだな」
 闇を透かしてもなかなか見えない。頼りになるのは耳だけだが……
「この裏切り者ぉ!」
「寄るな、寄るな!」
「売女めが……!」
 奴隷たちからは呪詛の声ばかりが聞こえてくる。皿を投げる音も聞こえる。
「マリノの女だ!」
 カドゥーミの声で、ヴィークラムは鎖を動かす手を止めた。

次[#] 前[*]
戻る[1]
Copyright © 2009 桔梗鈴