鎖とその男に関する記録
Chapter2-1 [3/3]
小さな女は化粧をして、つま先まで汚れ一つない服をまとい、地獄の中を歩いていた。うめきと、服を引っ張る手と、罵声と皿の飛び交う中を歩いていた。
「……!!」
背中に光を受けた神々しい姿。二年前と同じで、言葉のない唇。ただ眼だけが何歳も歳を取っている。もう子供たり得ない瞳だった。純粋ではない、大人の瞳だった。
彼女はヴィークラムの前に立つと、座っている彼の姿をじっと見つめた。後ろから罵声が飛ぶ。バールとカドゥーミも何事かと見ている。小さな女は言葉もなく、おそるおそる手を伸ばして、彼の頬に触れた。ヴィークラムは目を見開いて何も言えなくなった。
みるみる女が少女に戻っていくのだ。
涙で化粧が剥がれ落ちていくのだ。
暗闇の中でもわかるくらいに。
「ごめんなさい」
少女はその場にへたりこんで泣きだした。助けを求めるように。あるいは深く詫びるようにして。
罵声がやんだ。奴隷たちの視線の中、彼女は汚れ一つない服を着て、孤独な姿のままで泣いていた。
「二年間も……あやまれなかった……。あんなに大切にしてくれてたのに」
いっぺんに感情が噴き出す。少女はヴィークラムの懐で、肉親か何かにすがりつくようにしてわあわあ泣いた。誰もそれを止めない。誰も彼女に話しかけられない。たった一人を除いて。
「そうか。辛かったな」
ヴィークラムには気の利いた台詞など言えなかった。ただぽつぽつと呟くことしかできなかった。
「豆だけのスープはもう飲んでねえな?」
少女はうなずくだけである。泣くのに夢中で、何も言えない。
「憎んでるんだろうな。俺のこと」
彼女が首を振ると、彼は悲しそうに顔を歪めた。彼女の涙は直接彼の肌の上にこぼれている。
「馬鹿野郎。お前は俺を憎むんだよ。そうやってすがられても、俺はもう何にもしてやれねえんだから」
かつては少女を縛った鎖が、今は彼自身を縛っている。
彼は無力だった。
「いいか、俺のことを憎め。憎んで、憎んで、いつか自分の力で生きられるようになったら仕返ししに来い。いつまでもここにいるなよ。俺は絶対タダしゃ死なねえからな」
涙を流しきって、少女が鼻をすする。
「おじさん、私と一緒に上にいこ。私が出してあげるから、こんな暗い所にいないで」
少女の哀願する眼。昔の彼ならばその眼に負けていただろう。だが彼は首を横に振った。
「何で!? おじさ……」
「俺は俺のやり方で出る」
二年前にはなかった強い意思。
「”俺たち”にはもう失うもんなんかねえ」
それは少女を突き放すという意味だった。彼の執念のあらわれだった。
ヴィークラムは鎖のついた手で彼女を起こしてやると、最後に優しい目つきで別れを告げた。
「もうこんな暗い所へは来るな。もし俺が太陽の下に立てたら、その時また会おう」
「……もし、立てなかったら?」
セフェリは忘れることはなかった。
「俺を忘れろ」
ヴィークラムのその一言を。
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