鎖とその男に関する記録
Chapter2-4 [1/2]


「開けやがれ!!」
「薬はないのか!? 何とかしてくれよ!!」
 奴隷たちのがなり声はやまない。壁を叩く音やうめき声も混ざって、どんな音もかき消されてしまう。
「大丈夫か、カドゥーミ!」
 カドゥーミは脂汗を流しながらうなずいた。
「”びゃ”い”びょ”うぶ。あ”ひゃひ”は”びぇ”んぶ”びょびゃびゃひゃっひゃひゃ”ら」
 後半の「飲まなかったから」が余計に事の深刻さを物語る。
「どうすりゃいいんだよ……!」
 バールはそれこそ何百回も辺りをきょろきょろ見回す。スープを飲んだ奴隷たちはみな床に倒れ、泡を吹いているものも少なからずいる。
「嫌だ、死んじゃ嫌だぁ!!」
「おい、もっと早く息をしてくれ!!」
 窒息して死亡者が出始めたらしい。耳まで痺れた者以外の間に恐怖が走る。
「”ひゃ”やく……”ひゃ”ん”ひょはひへ”」
「何とかしてやるからな。しっかりしろ!」
 バールはそう言いながら手を握りしめてやることしかできない。
「ヴィークラム、どうするよ!?」
 彼が呼びかけるのを聞き流して、ヴィークラムは何かを探していた。
「……何やってんだ!?」
「いいからそこにいろ。俺一人でやる」
「だから何を!?」
 そしてある一点で立ち止まる。
 彼の目の前には鎖を引っ掛けるフックがあった。
「監守にバレねえようにしてくれ」
 ヴィークラムはスープのかかった、錆びて朽ち果てた鎖をぴんと張ってフックにひっかけた。
「鉄ってのがどんだけ脆いもんか、お前に教えてやるよ」
 奴隷たちの声で何も聞こえない。ヴィークラムはそのことを確認すると勢いよく鎖を引っ張りだした。
「ヴィークラム!?」
「話しかけんな!!」
 何度も何度も反動をつけては鎖を引っ張り、叩きつける。錆びて赤茶色になった鎖から鈍い音が漏れる。錆びた粉が飛ぶ。
「スープをかけた所だけ音が違う……?」
 真っ黒な部分を叩くと高い音が響く。何度も叩くうちに手首に傷ができる。真っ黒な腕輪に血がつく。
「こんな所で死ねるか……!」
 その時確かに音が変わった。
「こんな所で、黙って殺されてたまるか!!」
 ありったけの力をこめた一撃。
 かつて彼自身の手で作られた鎖は、彼自身の手によって弾け飛んだ。

* * * * *


「例の薬は盛ったか?」
「はい、マリノ様」
 マリノの前には四十代後半の男がいる。
「少々奴隷たちにはきつすぎるのではないかと思いますが」
「いいさ。遊ぶにはちょうどいい」
 マリノの顔は捻じ曲がったプライドで凝り固まっていた。本人には分からないが、人から見れば出来損ないの貴族にしか見えなかった。
「明日生き残った奴らを広場へ出せ。公開処刑の手はずはわかってるな?」
 男は黙ってうなずく。いつものように淡々とした表情で。
「百人だけ、でございますね?」
「そうだ。百人だけ生かせ」
 内側に眠る本性が剥き出しになる。奇妙なせせら笑いが浮かぶ。
「百人だけ生かすと言ったら、あいつらは共食いを始める。生きる欲望だけの虫けらどもがどういう風にして殺し合うか、見物だと思わないか?」
 男は決してマリノの顔を見ない。彼の家来は誰でもそうして良心と、もしくは彼の悪趣味と戦う。
「反乱罪の場合は火あぶりが原則です」
「構うか。お前の方で何とかしろ」
「しかしそれではマリーニ家の威厳が保たれませんぞ」
 マリノはその男ににたりと笑うと、底意地の悪い顔でそれを無視した。
「命令には従うものだ」
 男はほんの少し顔を曇らすと、やむなくそれに同意して退出しようとした。
「ちょっと待て」
 男が立ち止まる。
「この前は悪かったな。詫びておく。お前の名前は何だったかな?」
 男は押し殺した、しかし淡々とした声でこう答えた。
「アーマド・ハリソンと申します。以後お忘れなさらぬよう」
 例によってハリソンと名乗った男は確固たる足取りで庭から退出した。生え揃った髭と押し殺した表情。マリノとは父子ほども違う風貌。
「マリーニ家も堕ちたものだ」
 彼はそんな独り言を呟くと、階段の方へと歩いていくのだった。

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