鎖とその男に関する記録
Chapter2-4 [2/2]
「お願い、中に入れて!」
門番が首を振る。
「一体何の用だ。当家はそんな奴隷を中に入れるほど下賎ではない」
セフェリは今更ながら服を売ってしまったことを後悔した。今着ているのはそれこそぼろ布であり、とてもマリーニ家に入れる態のものではなかった。
「じゃあ中に伝えて! セフェリが戻ってきたって。反省してますって」
「ならなおさら入れるわけにはいかない。マリノ様から命令が来てるからな」
門番の声は冷たい。彼女はしばらく門番の目を見ると、悲し”そうな”声で泣きだした。
「お願い……ほんの少しだけでいいから……ご飯もお金もいらないの。だから……」
「駄目だ」
「……お願い……」
「嘘泣きするな」
門番の声はなお冷たい。セフェリはその言葉を聞くと、とたんに涙を拭いて彼の顔を見た。
「お願い。どうしても行かなきゃいけないの。恩返ししたい人がいるの」
真剣な声ではっきりとそう言う。門番はその声を聞いて、しばらく押し黙っていた。
「話だけは聞いてやる。だが私も仕事なんでな。私の奴隷ということでこっそり入れ」
セフェリの顔が明るくなる。門番はそれでも分別面をして、表向きは動こうとしなかった。
* * * * *
門番はセフェリを連れて地下までやってきた。セフェリは鎖をつけ、うつむきながらちらちらと上を見上げている。なぜか地下は静まりかえっていた。監守が地下室の扉の前にいるだけで、扉からは音一つしない。
「ちょっとこの奴隷を預かってくれないか?」
門番は親切にもそんな風に言ってくれた。それは彼なりのささやかな協力だった。しかし監守は首を振る。
「今は駄目だ。夕食の時に入れるといい」
マリーニ邸の日は暮れ始めている。セフェリは黙ってそこに座った。
「しかし中の方も相当滅入ってるようだな。さっきから声一つしやしない」
「何が滅入ってるって?」
「中の奴隷だよ。痺れ薬を朝食に盛ったんだが、飲まなかったやつらが散々暴れてなあ」
相当苦労したらしき監守の声。セフェリは息をひっ詰めてしまった。
「薬がようやく回ってきたんだろうな。ところで、その子お前のか?」
「そうだけど、それが何か?」
「そいつも運がいいな」
地下室の手前、はっきり「殺されずに済む」とは言わない。しかし言いたいことは三人とも理解している。
地下室の扉は重く、その小さな窓の鉄格子からは豚小屋よりもひどい悪臭が漂う。鉄格子からのぞく小さな、深い暗闇はやけに生々しい熱さを帯びて見る者を飲みこむ。
「それにしても、静かなもんだね……?」
地下室の扉は沈黙している。
異常とも思えるほどに。
* * * * *
「私はマリノ様を愛しておりますわ」
マリノにはセフェリの他にも女がいる。タオという女もその一人である。年頃はマリノより二つ年下。美しい女ではあるが、自分を飾り立てることを嫌う癖があるためいつも素顔の上に質素な衣装を着ている。
「みんなそう言うがね、女たちはみんな私の権力や財力を愛してるんだよ」
彼女の前ではマリノは別人だった。弱さをさらけ出して甘える子供だった。
「私が一度でも自分からあなたのお金に頼ったことがありますか?」
「ないね」
「お金があろうとなかろうと、あなたはあなたです。むしろお金なんて邪魔ですわ」
世間知らずで、裏表のない女。彼女はマリノの裏側を少ししか知らない。
「お前みたいな子には分からないかもしれないけどね、私はそう言いながら腐っていく連中をたくさん見たんだよ。正直言ってお前でさえも信じられない」
彼はすっかり”めっき”がはげて、くたびれた心をさらしていた。他人を嘲る心の裏側は、虚しさにまみれていた。
「信じようとすると、いつも裏切られる。やり方がちっとも解らないんだ」
ごろりと寝転がって、当たり前のように果物をかじり、当たり前のように食べかけを置きっぱなしにする。タオはそれを拾って、きれいに食べる。
「人は私を金の亡者とか何とか言うけど、本当に金の恐ろしさを知っているのは……この私しかいないと思うよ。ねえ?」
タオは答えなかった。彼女は星が空に昇るのを見ながらマリノの頭を撫でて、それ以上のことは何もしなかった。
「そうだ、明日はここにいるんだよ。私は少し出かけるからね。……いいかい? ”絶対に”外に出てはいけないよ」……。
次章[#] 前[*]
戻る[1]
Copyright © 2009 桔梗鈴