鎖とその男に関する記録
Chapter2-5 [1/2]


 監守の下にスープの巨大な鍋が運ばれる。
「スープも飲みおさめか」
 セフェリはそれを端から見ている。鍋から出てくる湯気は、味がしない。監守は鍵束の中から鍵を一つ取り出すと、それを錆びた錠に差し込んだ。
 ガチャリと錠の外れる音がした。中の奴隷たちがここへ来てやっといつものようにうめき、喋りだした。
「お前はそこにいろ」
 監守にそういわれてセフェリは首を振った。
「私もスープ飲みたい」
 門番は表向き肩をすくめる。
「入れとけ入れとけ。私の手には余る」
 監守はやれやれといった顔で軽くセフェリの鎖を引っ張った。彼女は立ち上がると門番にぺこりとお辞儀をして、地下室の扉を開けた。
 相変わらず……否、前にも増しておぞましい光景が目の前に広がっている。泡を吹いたまま動かない者。その横で泣き叫ぶ者、中途半端に痺れて体をぶるぶる言わせている者……そんな奴隷たちが、まとめて五百人。心がびりびりと痛みで掻きむしられる。セフェリは小走りで地下室の中を走り回った。監守がまだ入りもしないうちに。
「おじさん! どこにいるの!?」
 見つからないのである。鎖のせいで走ることもできず、闇が深くて奥の方も全く見えない。
「おじさん、何で返事してくれないの!? 大丈夫だよね、大丈夫だよね?」
 聞き覚えのある声は聞こえない。どれだけ奥へ進んでも、彼はいない。後ろのほうでは監守がスープを盛っている。進めば進むほど奥の壁が近づいてくる。
「お願いだから返事してぇっ!!」
 地下室の一番奥でセフェリは叫んだ。
 扉が何者かの手で閉じられた。
 息をつく暇もなく監守が羽交い絞めにされ、古びたスープをなみなみと飲まされる。痺れ薬の入った朝のスープを。
 彼女は声もなかった。
「何をしている!? 開けろ!!」
 外から門番が騒ぎ立てるのをよそに、監守の鍵束から迷わず一つの鍵を選び出し鎖を外す男。元気な奴隷たちはこぞって扉を押さえつけている。
「ヴィークラム、早くしろ! 刃物持った連中が来たら厄介になるぞ!!」
「外にいるのも中に入れろ!! 仲間を呼ばれる前に”それ”飲ませるんだ!!」
 ヴィークラムは数人の鎖を慣れた手つきで外すと扉をこじ開け、外の門番を引きずり込んで無理やりスープを飲ませた。加勢は幸運にも来ないようだった。
「おじさん」
 セフェリは彼の所へ歩み寄って、彼の両手首がすっかり傷ついていることに気がついた。
「どうしたの、その手? ……大丈夫?」
 ヴィークラムはそれには答えない。
「来るなっつったろ。どうして来た」
「だって明日殺されるって聞いたら、誰だって心配するでしょ?」
 奴隷たちからどよめきが上がる。
「タダじゃ死なねえよ。俺たちはこれからひと暴れして、この生活から抜け出す。命がけだからお前を巻き込みたくなかったんだがな」
「そんなこと言ったって、まだ私何にも恩返ししてないもの」
「そんなもんとっくに終わってる」
 ヴィークラムはセフェリの鎖を外すと、それを彼女に持たせて立ち上がった。
「一応その鎖も鉄だからな。お前でもそれで急所を殴りゃあ身が守れる。暴れだしたらお前を子供扱いはできねえぞ。いいな?」
 少女ではなく、同志を見る時の眼。生き延びるための執念が彼女に乗り移る。
 セフェリは黙ってうなずくと、落ちていた首輪を監守と門番にはめて鍵をかけた。門番には詫び一つ言わなかった。

* * * * *


 マリーニ家より下級の貴族で四十代後半の男ことアーマド・ハリソンはその時小さな異変を感じとった。
「報告がまだ来てないな」
 地下室と一階の警備の報告が来ない。いつもなら何もなくても一度は報告がこの執務室に来るはずなのである。彼は執務室から外へ出てみた。見る限り、異常はないように見える。誰もいないからである。
 しかしながらハリソンは念を押して一階を歩き出した。不気味なもので、こつこつと自分の足音しかしない。警備の人々の足音も、会話も聞こえない。そしてなぜか大理石の床には泥のついた足跡がたくさんついているのである。彼は足元に眼をとめると、それが意味するものに気がついたのか早足で地下への階段を目指した。
「誰かいないか!」
 自分の声がこだまする。地下への階段を早足で下り、地下室の扉を覗くと……
「……!」

次[#]
戻る[1]
Copyright © 2009 桔梗鈴