鎖とその男に関する記録
Chapter2-6 [1/3]
女が燭台でヴィークラムを突き落とそうとする。彼は彼で燭台を掴み、割れた窓の内側に手を掛けてそれをもぎ取る。窓の鍵を外して窓を開けると、ヴィークラムは強引に中へ飛び込んだ。
「今すぐ俺たちを開放すると外に宣言しろ!!」
マリノは無言でドアの方へ後すさる。女はこちらへ決死の覚悟で飛びかかってくる。
「外へ逃げようったって無駄だぜ」
ヴィークラムは女が飛びかかってきたのを紙一重でかわすと女の首筋を鉄の首輪で打った。気を失った女が割れたガラスの上に落ちないように受け止めると、足にガラスが刺さって血が出てきた。
「誰が開放などと! 奴隷風情が何を言う」
「貴族の”くせに”身の危険もわからねェか?」
今や立場はすっかり逆転していた。猛獣が小さな豚を追い詰める。しかし、豚は脂ぎった脳味噌でなおも引きつった笑みを浮かべているのだ。
「お前は殺さないさ。私を殺せば生きてここを出られない。そうだろ、バルガス?」
脂ぎった、しかし正しい言葉だった。
「”ひょ”びらが……”ひょ”われる……!」
地下室の扉が悲鳴を上げる。
「バリケードが崩れるぞ!!」
「廊下まで下がれ!! 広い所で戦うなよ!!」
二階の奴隷たちが最後の砦に集まる。ドア越しに二人にもその足音が聞こえた。マリノに余裕が戻ってくる。
「お前こそ降伏しろ。そうすれば命だけは助けてやる。外の連中もだ」
時間はどこにもない。戦いが始まったら最後、外にいるバールやセフェリ、地下のカドゥーミや多くの仲間たちが殺されるのも時間の問題である。
ヴィークラムは一瞬迷った。命が助かるという言葉は一見目指していた目的にも思えた。しかし首からぶら下がった鎖は無言で何かを訴える。何かとても大切なことを。
「さあ、その鎖を身につけろ。お前らは結局飼われずに生きることなどできないんだ!!」
マリノの言葉は「大切なこと」を浮き彫りにした。彼は完全に墓穴を掘った。
バリケードが破壊され、武装集団が入ってくる。奴隷たちの雄叫びが聞こえる。ヴィークラムは割れたガラスの破片を拾うとマリノを片手で締め上げた。
「な、何をする」
「お前にこの声が聞こえるか?」
彼はマリノの首筋にガラスの破片を突きつけると、ドアのカンヌキを外した。僅かに空いた隙間から凄まじい雄叫びが聞こえてくる。
奴隷たちの執念の声が。
「俺たちを自由にしねえ限りあの声はやまねえ。今俺にお前は殺せねえが、あの声は違う。
……あの声は、いつか必ずお前を殺す」
同じ執念に満ちた声が聞こえる。マリノはその声に怯えた。
「二度は言わねえぞ。お前の言うべきことはたった一つだ。忘れるなよ。俺もあいつらも”その一言”がねえ限りお前の命を狙う。腕一本で首をへし折ってやるしな、首だけでも喉笛噛みちぎって殺す。俺たち全員の髑髏を並べたとしてもな、全員が全員お前を呪えば死ぬより恐ろしい目に遭うぜ。
さあ、どうする」
奴隷たちの執念がマリノに巻きつき、いつでも彼を絞め殺せる蛇になった。死の恐怖に身分の差はない。そしてマリノは闘えるほど強くはなかった。
「永久に感謝されるか永久に命を狙われるか、二つに一つだ。答えろ!!」
ヴィークラムはドアを蹴飛ばして騒乱の中へ割って入った。
「剣を引け!! 引け――――っ!!」
マリノが大声で喚き立てる。
武装集団と奴隷たちの動きが、止まった。
廊下は瞬く間に静まりかえった。マリノの首筋に破片が光る。
「私は奴隷たちを解放する! 一人残らずだ!! 兵は下がれ!!」
困惑を隠しながら、それでも兵が十歩ほど後へ引く。ヴィークラムは破片を音もなくその場に捨てて、マリノを放した。
「おい、もう一度言ってみろ」
「もう一度だと」
マリノは自由になったはずなのに動けなかった。
ヴィークラムの瞳が、バールやセフェリの瞳が、奴隷たちの焼けた鉄の瞳が、まだ彼を見ている。マリノはヴィークラムの言葉の正しさを身をもって知った。思わず身震いした。
「脅されて出た言葉でなく、お前が”自分で”言った言葉が欲しい」
長い長い静寂。
マリノは震える手で服の汚れをはらい、乱れた髪を整えた。
「私は奴隷たちを全員解放する。
マリーニ家の名において、二言はない」
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