鎖とその男に関する記録
Chapter3-1 [1/2]
それから時がどれくらい経ったのだろう。ある物乞いは指で数えてみた。乾季は四回くらい来て、雨季は今五回目を迎えている。
雨の降る町。物乞いはつめの先まで誇りならぬ埃にまみれた姿で橋の下に寝そべっていた。彼は周囲の人にも有名な流れ者だった。物乞いの仕方が何とも変わっているのだ。普段なら物乞いたちはひたすら頭を下げるものなのに、その男はこう言うのだ。
「何か私に献上しろ。わたしはこれでも貴族だぞ。お前たちとは身分が違う」
筋金入りの気違いなのである。人々は結果として彼を頭の弱い人間と判断し、哀れみをこめて毎日財布の隅の小銭を恵んでやるのだった。人々は彼が本物の貴族だと知ってもやはり同じようにすることだろう。
その日、彼は雨の中で狂喜している奴隷たちをたくさん見かけた。お恵みもみるみるたくさん溜まっていく。
「おい、何があった」
奴隷たちは雨の中で踊り狂い、鎖を河の中へ投げ捨てた。
「反乱軍の革命が成功したんだ! 僕たちは自由になったんだよ!!」
物乞いの目が見開かれる。
「反乱軍万歳! 同志たちに万歳!!」
土砂降りの中、物乞いの前で次々と奴隷たちが飛び出してくる。町が人々の声で埋め尽くされる。
お祭り騒ぎの中で物乞いは茫然とした。歴史上に「ゴール朝 滅亡」と記されたその日、彼はまだ二十七歳だった。
* * * * *
四年にわたる戦いの中で、反乱軍は数十万の奴隷を味方につけた。彼らの四年間は身分との戦いの歴史であり、一方で犠牲者の歴史だった。
「おい、代表のお言葉があるぞ」
「集まれ集まれ!」
首に消えない痣、つまり鎖の痕を持っていた者は誰でも同志だった。奴隷たちは王族と貴族と平民を足しても追いつかないだけの数と量をもってゴール王朝を制圧し、ついにこの日自由を手に入れる。
奴隷たちの前に現れた男は自分を格式付けるものなど何一つ持ってはいなかった。古びたシャツとズボンを着て、足の傷を隠すように粗末な靴を履いている。ただそれだけだった。
広場に集まった仲間たちが言葉を待つ。代表と呼ばれた男は手首の傷跡を穴があくほど眺めて、人々に語りかけた。
「俺たちが立ち上がって四年が経った。みんなのお陰でようやくここまで来た」
人々から歓声が上がるのを彼は抑えた。
「でも! ここまで来るために俺たちは何千何万の髑髏を踏み越えてきた。死んだ奴らの顔を一人くらいは必ず知ってるだろう? 俺だって喜んで誰かを犠牲にしたんじゃねえ!」
人々が声を失う。彼が少しの間黙祷をささげると、人々はそれにならった。
「死んだ仲間のために約束してくれ。この勝利を無駄にはしねえってな」
雨が降っているのに、人々の熱気は留まることを知らない。それは熱い鉄からのぼる蒸気に似ていた。
「俺たちはここに宣言する。ゴール朝は今この場をもって終わり、身分はなくなった。今日からは全ての人間が同志だ!!」
男は力強く手を振り上げた。
それは存在を否定され、抑圧されてきた数十万人の奴隷たちを一斉に人間として蘇らせ、自由へと開け放つ。広場はかつてない喜びの声に溢れ、人々は口々に彼らの偉大な代表の名を呼んだ。
「同志ヴィークラムに万歳!!」
* * * * *
同じ時間に、物乞いの前に立った女がいる。土砂降りのせいで寒い。
「マリノ様」
すすけたぼろきれをまとい、髪の毛も髭も伸び放題。そんな物乞いの前に女は手をさしのべる。物乞いは女の手をとると、雨の中へいざり出て体の汚れを洗い落とした。ボサボサだった髪は後ろへ押しやられ、女の知っている顔が髭をたたえて空を見上げている。
四年の歳月は彼からプライド以外の全てを奪った。逆に言えば、四年という歳月をもってしても彼のプライドを洗い流すことはできなかったのである。
「タオ、お前はまた私に仕えてくれるか?」
雨の中で女がうなずく。彼女は自分の心に忠実に生きていた。
「たとえどんな姿をなされていようと、あなたはあなたです。そして私は、今でもあなたを愛していますわ」
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