鎖とその男に関する記録
Chapter3-6 [1/3]


 ヴィークラムは始終溜め息をついていた。バールが何か言っているのも全く聞こえていない。
「おい聞いてるか!?」
 その声で彼ははっとした。
「い、いや。すまねえ」
 バールにまで溜め息が伝染する。彼は机の上に書類を置くと、もう一度最初から説明してくれた。
「だから、流感のせいで死亡者が増え続けてるんだよ。薬が足らんのだ」
 書類はすべて薬関係の手続きに関するものだった。
「何だ? この前買い占めろって言ったばっかじゃねえか。あれはどうした?」
「今手を回してる。だが安売りしようにも売る薬がない有様だ。急いで作らせてはいるんだがな」
 ふーん、と相槌を打ちながらヴィークラムはサインを書きまくる。しかしその速さはいつもより数段遅い。
「お前最近冴えに欠けるよな。考え事でもしてるのか? 一人で」
 手がいっとき止まり、再び動き出す。また溜め息の音がした。
「いや、セフェリの奴は今何してんのかな――……と、何となく」
「何となく何だよ」
「何となく面白くねぇっつうか、その、だから、気分が重いっつうか」
 またしても手がみるみるのろくなる。バールは納得したようにうなずいた。
「なるほど。確か王女はキジキス家と縁談が進んでるんだったな。オズワルドとか言ったっけ? あそこの長男坊の名前は」
「俺の前でその名を呼ぶな」
 ヴィークラムの顔は不機嫌の塊である。どうやら問題が的中したらしい。
「ヴィークラム、諦めろ。こればっかりは父親の宿命ってもんだ」
「んなこと言ったってよ、おめェにはこの気持ち、わかんねェんだろうな」
「わからんな。俺独身だし」
「カドゥーミとは結婚しねェのか?」
 バールは問題を自分に振られてひらひらと手を振った。
「ないない。あんなに派手な女と誰が結婚なんか。お前こそセフェリの母親が必要なんじゃないのか」
「要らねえよ、そんなもん」
「いいのかぁ? 娘を嫁に出したら一人だぞ。俺は慣れてるからともかく、お前は寒さが身に凍みて辛くなるぞー」
「まだ決まってもいねェのにそういう不吉なこと言うなっ!!」
 バールがおどけて怖がってみせる。ヴィークラムは舌打ちすると再びサインを書き出して、苛立った声で呟いた。
「この頭の上についてる王冠は何だ? 悪霊が面白がって作ったに違いねえ。まったくどいつもこいつも……」
 今の境遇がいまいましくてたまらない。だが頼ってくる人々を助けるために、手を止めることはできなかった。

* * * * *


 タオが目を覚ましたのは早朝だった。
「……」
 喉が引きつって声が出ない。部屋は薄暗い青が漂って寒かった。聞こえているのは外の雨の音だけである。
 動こうとして、動けなかった。すっかり体力を消耗しているらしかった。手だけが暖かかったので見てみると、隣でマリノが眠っていた。自分の分の肌かけをタオの上に重ね、自分は肌かけもなしに手だけしっかりと絡めて床の上で縮こまっていた。
「マリノ様」
 手を握ってゆらしてみると彼は簡単に目を覚まし、こちらの方を見て何とももどかしそうな笑顔を浮かべた。
「大丈夫か、タオ?」
 タオは答えられなかった。どうして家にいるのか覚えていなかった。
「マリノ様、これは一体……?」
「どうしてもっと早く体の調子が悪いって言わなかったんだ。お前大通りで倒れていたんだぞ?」
 至極自分勝手な意見だった。休みたいと言った時は殴ったくせに。
「心配したんだぞ、治ったらこのお返しはさせてもらうからな。起きられるか?」
 タオは恐る恐る首を振った。殴られるかもしれないと思って、体を縮めた。
 ……ところがマリノは殴らないのである。
 ただ額に手を当てて「熱いな」と言うと、立て膝のままで水瓶の方へと歩き出した。ぎょっとした。マリノの足の裏は鉄やすりで削られたような傷で埋め尽くされ、かさぶたで赤黒いまだらができていた。
「マリノ様、その足……!」
「裸足で走ったからだ。ひ弱でいけない」
 彼自身はちっとも気にしていないらしい。

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