夢の最果て
Chapter3 [1/4]
三人の間に決定的な事件が起こるまでに、そんなに時間はかからなかった。ヒスイとクローブが沈黙したままテントの中で眠り、明け方にお腹を空かせてサンゴが目覚めた。サンゴはその時の異常を他の二人ほど恐れていたわけではない。なぜなら、テントの外に映る影の正体を彼女は知っていたからだ。母親に捨てられ泣いていた自分にいち早く寄り添い、やさしく顔を舐めてくれた。人間の母親よりやさしかったものたち。
テントの中のランプの燃料が切れた朝方に、サンゴはケモノたちに攫われた。昼間の負担の反動でヒスイが熟睡しきっている隙にテントの入り口とは反対の裂け目を押し広げてケモノが入ってきたのだ。ヒスイとクローブがサンゴを守ろうとして一番奥に寝かせていたのが逆に仇になった。物音に気づいてクローブが起き上がった時、サンゴは既に裂け目の向こうでしっかりとケモノに抱かれ不思議そうにこちらを見ていた。
「サンゴ!!」
クローブの絶叫でヒスイが反射的に跳ね起きたのとテントに数匹のケモノが飛びかかってきたのが同時だった。しかしケモノたちの襲撃が今までになかったわけではない。二人の事態への対処は早く、どうにかケモノたちを振り払ってテントを出る。入り口から出たクローブはポケットからライターを出すと持ち出した枕に迷わず火を点け周りに火を移して回った。裂け目から出たヒスイは裸足のまま夢中でサンゴを追いかけていた。
「失せろ! 死にたいかお前ら!!」
ケモノは手負いや弱った人間でなければむやみには襲わない。火が出ると逃げ失せるのもあっという間だった。自分の恫喝でケモノたちがぱっと散っていくのを確かめるとクローブはその場に枕を投げ捨ててテントへと急いだ。
いまいましい舌打ちと八つ当たりされた空き缶の弾ける音。
えげつなく荷物から掻き出された食料が戻ることはないだろう。思わず我を忘れて怒りを辺りのゴミにぶつけたのは大切な水が大部分無くなっていたからだ。さらに替えの防塵マスクも全部一緒に奪われ、噛みちぎられ、残ったものは投げ捨てられて地面の毒水を吸ってしまっていた。
「畜生!! 今度見つけたら焼き殺してやる」
言葉が口から出てからクローブは後悔した。ケモノを焼き殺すことに対してではなく、無駄なことを言った自分の口に。そんなことを言っても何も解決しないのに。
ヒスイはクローブがケモノに冷たすぎると言うが、クローブにしてみればそんなことを言われてはたまったものではなかった。ヒスイはケモノを知らなすぎる。ケモノの本性を見たら、誰だってケモノを忌み嫌うようになる。ケモノの本性が剥き出しになるあの場面を見てしまったら……。
ヒスイが幼かった頃、ケモノを見て「あれも人間だ」と言ったのを思い出す。
「あれが人間だからだ」
クローブは自分がケモノを死ぬほど嫌っているのを隠したりはしなかった。ケモノが人間に創られたものであることには同情しても、彼らの行為を受け容れることは絶対にできない。クローブの記憶は既にそれだけのものを知ってしまっている。
火がテントに燃え移る前に必要最低限の荷物をまとめるとクローブはヒスイの走っていった方向へ走り出した。咄嗟だったとはいえ危険極まりないゴミの大地を素足で走って無傷でいられるはずがない。案の定朝方の青みがかった地面には途中から黒い染みが点々と落ちていた。ヒスイが地面から突き出したガラスか金属の破片で足を傷つけ、そのまま走り続けたのがすぐに想像できた。
黒い染みを辿っていき、ひときわ大きなゴミの丘の上まで登ったところでヒスイの姿がクローブの視界に入った。ヒスイは丘のふもとで黒いものを抱いて座り込んでいる。あやうくゴミと見間違えそうなほど全身が汚れていたのは、ケモノと格闘したせいかもしれない。ケモノの姿は消えうせていた。
「大丈夫か」
こちらを振り向いたヒスイが抱いていたのは、やはり無事なままのサンゴだった。機嫌が悪そうな顔をしているのはご愛嬌といったところ。ただそれに比べてヒスイはかつてなく不安そうな目をしている。問題はむしろ悪質だった。
「マスクがない」
クローブの足はそこで止まった。
「俺のは無事だったけど、サンゴのがない。盗られた」
――気道が詰まって息が止まるような錯覚をおぼえた。
ゴミの大地は毒ガスと灰燼と病原菌の天国だというのに。頭を切り離して事務的に考えさせるならこうだ。予備のマスクはさっき全部駄目になった。極限状態で体に色々な抗体を持っているケモノでさえ、マスクを剥がされて半月ともった例がないのだ。人間が長時間マスク無しでいたら命に関わる。二つしかないマスクで、足に傷を負ったヒスイと赤ん坊のサンゴとの三人で、ここから数十キロ離れた町まで……歩く?
「無理だ」
地平線に朝日がいよいよ昇ってくる。一度太陽が出たら最後、このゴミの大地の気温は一気に摂氏五十度以上にまで上昇し日没まで下がることはないのだ。ヒスイの腕の中のサンゴは剥き出しの口で泣き声をあげ始めていた。
次[#]
戻る[1]
Copyright © 2009 桔梗鈴