夢の最果て
Chapter4 [2/3]


 それでも。
 奇跡に見放されたとわかった、あの時、あの場所で、他にどんな選択肢があっただろうとクローブは自問する。無力な赤子とそれを庇って命を投げ捨てようとしているヒスイ。そしてたくさんの、あまりにも理不尽な死の上に生かされた自分。どうしても消せなかった彼らの夢。
 クローブという人間の、全ての苦悩が一点に集約された数分間だった。たった数分でクローブは自分の心の中の深淵を全てかいま見る。キャラバンの人々の死に顔が胸にぽっかりと空けた無数の穴。虚無感や哀しみは言葉にして整理できないほどの質量を持っていたが、今では少なくともそれの存在を見続けていられる。自分を前へ歩かせ続けた記憶も痛みを伴いこそすれ、もうクローブを狂わせることはなかった。
 ヒスイのことを考えると浮かんでくるのはあの真っ蒼な目だ。美しい人間の目を本当に久しぶりに見たような気がする。最後にあの目を見たのはいつだったか。自分はどうやって生きるべきか。あの目に何を教えるべきか。
 誰を、生かすべきか。



 自分で最後だと思っていた。
(だけど俺で最後じゃなかったよ)
 サンゴを命懸けで助けようとするヒスイの方がよっぽどキャラバンの末裔としてふさわしいじゃないか。
 そう思った時にクローブの呪縛は解けた。
 自分の役目が一つに絞られた時、クローブの気持ちはどれだけ楽になったことだろう。あとはあの誇り高い人々の生き様をなぞっていけばよかった。そこに残酷な選択肢しかなかったなら、より希望のある人間を生かすだけのことだった。
「大切なのは、俺が海を見つけることじゃない。海がそこにあることだから」
 キャラバンの人々は決して死を恐れなかったわけではない。クローブにはそれが今はっきりと解る。自分が死んで残った者が海を目指すのかどうかも解らない。誰かを信じて死んでいくということがとてつもなく大きな賭けであることに気づいても、戻ることなどできはしないのだ。
 だからこそクローブは全身で自分の先祖たちに敬意をおぼえる。誰一人疑念を持たず、黙々と死んでいったものたち。



「……行こうか。海へ」
 そう言って立ち上がった後、クローブは死ぬまで眠らなかった。
 それまでと同じように重い荷物を背負い、ヒスイに肩を貸してもらって歩きはじめる。無理を言ってサンゴを抱かせてもらった。それまで何十年もの間汚染物質に耐えてきたクローブの腕はサンゴにとって懐かしいにおいを放っているらしい。サンゴは緋色の瞳をうっすらと開けて、クローブの顔をうとうとしながら見つめている。
「初めて拾った時のお前より小さいな。親戚の子どもに似てる」
 もうすぐ終わる時間の中でも二人はやはりとるに足らない話をしていた。時間は海よりも貴重なのに、呑気な話題しか胸に上ってこなかった。
「親戚の子?」
「そう。しりとり遊びとか好きだったかな。よくつき合わされた」
「ふーん」
 あんたがいなくなった後のこと考えると、寂しくなるよ。
 そう言おうとしてヒスイは自分が既に実生活でクローブを失っても困らないだけの知識を身につけていることを知る。それは全部クローブから教わったものだった。
「俺もさあ、そのうち嫁さんとか欲しいな。美人の」
「ふざけんな。順番から言って俺が先だろうが」
「いや、やっぱ向こうとしても若い方がお買い得でしょう」
 もうすぐ死ぬ人間と一緒にこんなことで楽しく笑ってしまう自分は可笑しいだろうか。どうにも向こうがそれを望んでいるような気がしてならなかったから。
「それで子どもはキャラバンが組めるくらい大量に増やすのな。全員に商売させてさあ、生意気そうなラクダを何頭も飼って、その上に妊婦と赤ん坊」
「サンゴはどうするんだよ」
「うーん、サンゴはできれば嫁に行かないのがベストかな」
 ラクダのどれか一頭にクローブ爺さんが乗っているという話もした。何だかんだ言って嫁をもらい損ねた”かわいそうな”クローブ爺さんは「自分は独身主義じゃ」とか言いながらふんぞり返ってラクダに乗っている。それである日うっかり現れたラクダの精あたりと結婚してヒスイたちの目にもうっとうしいくらいいちゃついたまま晩年を迎えるんじゃなかろうか。
「人間の嫁よこせよ」
「ストーリーが思い浮かべられない……」
 こんな時に『嫁が欲しい』『女が欲しい』などという話題になるとは思ってもみなかった。クローブの腕の中で女の子代表のサンゴが不機嫌そうに顔をくちゃっとしかめているのが笑える。
「ヒスイ、あとはお前持て。やっぱ病み上がりには重いわ」
 笑いながら息も絶え絶えに、クローブはサンゴをヒスイに返した。サンゴがヒスイの手に渡るやいなやクローブは空いた手を自らの口にあてる。ごぼっと何かを吐く音と共にクローブの手の隙間からはどす黒いものが漏れ出た。

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