夢の最果て
Chapter5 [1/6]
クローブの亡骸をヒスイがゴミの大地の上に寝かせたのはその日の夜になってからのことだった。生きている頃と同じように上に毛布をかけてやり、そばにランタンの光を置いてやり、呆然としたままで一晩を過ごした。死後硬直を起こしているクローブの体はおんぶしていた時の形そのままになっていて、毛布をかけてやると変な方向に手足が突っ張っているのだ。いくら元に戻そうとしても戻らなかった。死んだ人間は固い。
それでも生きているヒスイには眠気が襲ってくるし、眠ればいつかは目覚めがやってくる。腹も減ってくる。汗もかく。尿意ももよおしてくる。まだ赤ん坊のサンゴのおしめだって替えてやらなければならない。人間は生きているだけで何と多くの営みを行っているのだろうと痛感していると昼はあっという間にやってきて、クローブの体は腐り始めていた。
幼い頃、爺さんが死んだ時にはヒスイはこんな一部始終を見た覚えはない。確か夜頃に爺さんが死んで次の日の朝にはクローブと一緒に旅に出ていたからだ。思えばあれがクローブから教わった生きるための最初の作法だった。
「……死んだ人間は、耳を削いで。その場に置いていく……」
頭が貧血気味なのか、締めつけられるようだった。もう自分にはサンゴしかいない。あとは全部自分で決めてやっていくしかないのだと気づくのに途方もなく時間がかかり、いきなり手にした自由の重さに思わず呻き声が洩れる。たった人一人失うだけで何と心細い旅路だろう。今日の今日まで幼い自分とサンゴを連れて歩いてきたクローブの心境が思いやられる。
ヒスイは、その日のうちにテントを畳んだ。クローブの体が腐り始めている以上これより先には連れていけないのだ。周りのものをすべて取り払われたクローブの亡骸は最初と同じようにゴミの大地の上に野ざらしになり、さらにヒスイの手でマスクを外されてきれいに口を拭われた。やがてそこには思い直したヒスイの手で再びマスクがつけられ、たくさんの耳が入っていた彼のポーチはヒスイの腰へと受け継がれることになった。
「ありがとう。クローブさんのこと、俺は絶対に忘れないから」
生きているうちに言っておけばよかったと思う。しかし言わなかったことにも後悔はない。クローブは最後まで自分で生きていくつもりでいたのだと、思いたい。
遠まわしにこちらを見ていたケモノの群が徐々にこちらへとその包囲網を狭めていた。クローブが瀕死で歩いていた頃から後を尾けていたものたちだが、多分ヒスイがいるうちはここまで寄っては来れないだろう。今は構わずにクローブの遺品を受け継ぐことに専念する。
ヒスイはどんどん一人前の男の顔になってゆく。かつてクローブが爺さんの耳を削いだとき自分は目を背けていた。やがてそういったものからも目を背けなくなっていくことが、大人になるということなのだろう。深呼吸して一思いにクローブの耳をナイフで切り落とすと思ったより血は出なかった。もう一つの耳も切り離してサンゴに持たせた。クローブは両耳を失ってもなお安らかな顔のままだった。
「ありがとう。……さようなら」
サンゴを抱いて、一緒にクローブの最後の姿を目に焼き付けた。
もうすることは何も残っていない。ここで別れて自分たちは歩き出すだけだ。意を決して立ちあがったヒスイは、サンゴを抱いて再び南へ歩き出した。それがクローブから教わった生きるための最初の作法だったから。
こうしてまた旅人は二人になる。大人は子どもを引っ張り、子どもは後ろを振り返ってはいけないとたしなめられる。
しばらくすると歩き出したヒスイの後ろで何かがざわざわと動きだす音がし始めた。やがてそれは不審さをおぼえるほど大きくなり、ぴちゃぴちゃと何かを舐めるような別の音を交え始めていた。
何かが後ろに集まっている。身の毛もよだつ音。
ヒスイは立ち止まってクローブの残した言葉の意味を考える。
「子どもはその時後ろを振り返ってはいけない。誰もその理由は教えてくれない。いつか子どもが自分で悟るその日までな」
いつも、あんな大人になりたいと思っていた。
遠くを見つめるクローブのきれいな顔。
大人になって後ろの真実を振り返る勇気があるなら。
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