流行りの本”ありません” [1/2]


 その町には、小さな本屋が一つ陽の当たる通りに建っている。本屋を経営してるのはその家の二人の老夫婦である。
 お爺さんは無口で無愛想だがしっかり者。いつも本を仕入れてははたきをかけている。お婆ちゃんは愛想はあるが人一倍のんびり屋で、何年たっても番台の主しか勤まらなかったりする。

 ある日、お爺さんがいつものように店の一角を空けて流行りの本を置くことにした。お婆ちゃんは番台に座りながらそれを眺めていた。
「あなた 今度の本は何?」
「自己啓発の本、だそうだ」
 お爺さんは度のきつい老眼鏡をこすって本の題名を見た。いかにも励ます調子の文体が目に入る。
「不況だからなあ」
 お爺さんは半ば首をかしげつつも、そう言う。お婆ちゃんはそんなお爺さんを見て(いよいようちも流行についていけなくなったのねえ)と思った。
 しばらくすると、お婆ちゃんはお爺さんの後ろからぼんやりと流行りの本を覗く男の客に気がついた。
「いらっしゃいませ。その本をお買いになりますか?」
 お婆ちゃんがゆっくりした口調で訊ねると、客は「あ、いや……」と気恥ずかしそうに首を振ってそそくさと本屋を出ていってしまった。
 お爺さんは特に何も言わなかったが、本を一冊売り損ねたので細い目線をそれとなくお婆ちゃんに向けた。

 次の日お婆ちゃんはまた流行りの本の所にさみしそうな人が立っているのを見つけた。年輩のサラリーマンに見えた。こういう本の前に立つ人は見守っている方がいいのかなと思って、お婆ちゃんはしばらく黙っていた。
 その人はとてもその本が欲しそうで、けれど薄い財布を開けては溜め息をついていて。そう、実際その本は割と高くてその人には買えそうもないものだった。
 その人はすっかり思い詰めた顔をして、何とその本をこっそり自分の鞄に収めてしまった。
 お婆ちゃんはあっと声を上げそうになった。でも万引きをしたその人の顔があんまり辛そうだったので、お婆ちゃんは可哀想に思って一回だけなら見逃してあげようかなと思ったのだった。
 しかし、出口のところではたきを叩いていたお爺さんはその人をとおせんぼした。
「お金。千八百円」
 お爺さんが断固通さない姿勢を見せると、その人はお爺さんに無理やり本を押しつけて駅の方へ走り去っていってしまった。

「あんなに思い詰めた顔してたのよ。もうすこし、優しくしてあげたっていいじゃありませんか」
 お爺さんはお婆ちゃんが万引きを見逃したことを知ってはいたけれど、特に反論せず「ふん」と一言返してまたはたきをかけ出した。

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