流行りの本”ありません” [2/2]
そしてまた次の日、お婆ちゃんはまたしても流行りの本の前でさみしそうな人が立っているのを見つけた。
今度は若い女の人だった。お婆ちゃんがしばらく見守っているとその人は流行りの本を手にとって二・三ページをめくり、やがてたまらなそうに泣きだした。
お婆ちゃんはとてもびっくりした。店には他のお客がいなかったのでその女の人の泣き声が小さく響いた。お婆ちゃんはいたたまれなくなってその女の人に声をかけてあげることにした。
「どうしたの。そんなに悲しい顔して。お婆ちゃんがお茶煎れてあげるから落ち着くまでゆっくりしていきなさいな」
女の人は少し驚いたようではあったけれど、お婆ちゃんに手を引かれるがまま番台の所に座ってしまった。それはまるで小さな子どものようだった。
お婆ちゃんはその女の人にお茶をだして、ゆっくり、たっぷりと話を聞いてあげた。
その話の多くは、大昔に近所の人が聞いてくれたような悩みだった。
「あらあら。随分一人で悩んでたのねえ。大変だったわねえ」
「ええ。私、何度もカウンセラーや電話相談に相談しようとしたんですけど、どうしてもできなくて」
「あら、そんなごたいそうなところに! 近所のお知り合いの方とかに相談すればきっと聞いてくれたと思うわよ?」
「……そうでしょうか?」
「私、近所にそんな人いません。慰めだってお金で買わなきゃどうしようもないんです。だから私、あの流行りの本買いに来たんです」
お婆ちゃんは、その女の人がずっと立ち止まって休むことができずに、泣きながら歩いてきたのだと思った。お婆ちゃんのように一日中番台に座っていれば、今の暮らしは昔よりずっと楽なのに。
「あなた、ゆっくり自分の生きやすいように生きることよ。焦ることなんて本当は何一つないんだから、ゆっ……くり、ね。それが一番だと思いますよ」
女の人は黙って頷くと、あとは自分の思いのかぎりにゆっくりと泣いた。お婆ちゃんはそれをゆっくり見守っていた。
「お爺さん、何かいい本ないかしら」
お爺さんはお婆ちゃんの顔を見ると、黙って数冊の本を持ってきてくれた。
「わしのお薦めだ」
結局それらは昔からある文学ばかりで、流行りの本は一冊もなかった。
それからというものその本屋には多くの悩める人が訪れたが、誰もかれもお婆ちゃんに身の上話をしてお爺さんのお薦めの本を買うばかりで、流行りの本はちっとも売れなかった。
その代わり
「あなた ゆっくり自分の生きやすいように生きることよ」
というお婆ちゃんのその一言を聞きにわざわざ足を運んでくれる客や、お爺さんの本を見る目の暖かさを見込んでわざわざ寄ってくれる客が増えた。
ある日、お爺さんはその自己啓発の本を段ボールに戻してよその店に卸売りすることにした。
「いいんですの? せっかく流行りの本なのに」
お婆ちゃんは番台に座ったままでお爺さんが忙しく動くのをのんびり見つめていた。
「お前がいたら売れないよ」
お爺さんは自分のことを棚上げして流行りの本のコーナーにせっせと新しい本を置き始めた。お婆ちゃんも内心「あら」とは呟いたものの、それを特に責める気もなかったのでお爺さんに言い返したりはしないのだった。
【End.】
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