桜樹怪談 [1/2]


「わたくし、今までに五百と二十人のかたを殺してしまいましたの。五百のうち三百と四十七人は痛みのわかる赤子で、残り百と五十三人は痛みもしらぬ赤子で、さらに残りの屑みたいな二十人は赤子のお母さまでした。
 みんな畜生のようにここへ埋めてしまいました。ですから、今もその二十人のお母さまには五百人の赤ちゃんがくずれた体でまとわりついていることでしょう。
 いいんです。母親なんて死んでお仕舞いになればよろしい。可哀想なのは子どもだけです。子どもだけ……」

 初夏のその土地に一本の桜の樹を詣でる老婦人がいた。彼女は元産婦人科医だった。年齢より遥かに老けた風貌で、真っ白な長い髪をきちんと結ってまとめていた。彼女の経営していた病院は経営主の引退と共にその崩れかけた姿を消し、その跡地にはまた新しい建物が建つことになった。
 しかし、工事は全く進まない。桜の樹がそれを拒むからだ。桜の樹はかつての病院の庭に立っていたもので、樹齢はとうに五十年を越しているかに思われた。

 いつからだろう。桜の樹の木肌に無数の顔が浮き出るようになったのは。
 眼窩にぽっかり闇のある水子たちが苦悶する女性の全身にまとわりついて、ほぎゃあほぎゃあと泣いているというのだ。新しい工事の邪魔だからといって桜を切ろうとしたものたちは、みな水子たちにとり憑かれて気違ゐになってしまった。誰も誰もが
「泣き声が聴こえる」といって、
 寝ても覚めても 夢の中でもきこえるといって
「もうやめてくれ」と叫びながら
 自分の両の耳になにかしら棒を突き刺して
 死んだ。

「わたくしのお母さまは、酷いかたでしたの。わたくしのことを畜生のように扱っておりましてね。よく『おまえは死ねばよかった』とおっしゃっていました。わたくしもよくそう思いますわ。あのようなお母さまに生かされるくらいなら死んだ方が幸せだったと思います。
 ですから、わたくしは少しでも不幸な子を救ってさしあげようと思って中絶医になりましたの」
 その病院は、中絶だけを扱うということで、どんな胎児でも中絶してくれるということで有名だった。うらぶれた土地にひっそりと建っているにも関わらずとうとう二十年間客足が絶えることがなかった。
 未婚の女、幼すぎる女、うしろめたい女、既に臨月に達している妊婦。自分の人生が崩壊することを恐れた女たちはこぞってこの産婦人科を訪れた。

「わたくしがこの病院を始めたのは三十のときでしたわね。非合法で、いつ摘発されるのかしらとよく思いましたけど、とうとうわたくしが五十になって五百人の方を殺し終えるまでそれもありませんでした。
 わたくし、気がつかないうちに政治家や暴力団の社長さんにコネができてましたのね。よくそういった方が娘さんを無理やり連れてきていましたの。それで、わたくしなどに頭を下げてくださいました。わたくし、今まで単に運がよかったのかと思っておりましたけど、そうじゃなかったんですね」
 彼女の病院を訪れる者のうち、何割かはその”祖父母”に恵まれていなかった。
 彼らは自分の殺される理由が祖父母の保身のためであり、あるいは単なるエゴイズムのためだということを、理解すらできなかった。

「ここで長いこと同じことを続けておりますとだんだん解ってくることがありますの。理性的に言うなら、わたくしのお父さまもそうですけどやはり父親は子どもなど作るべきではありませんわね。
 わたくしね、いつもやっていることですけど死んだ方のお父さまには一度ご遺体を抱いて頂くことにしてますの。これがあなたのお子様ですよという風にね。手足だけしかなくても半分両性類みたいな姿でも構いませんわ。大体のお父さまは、目を背けられて『こんな汚ならしいもの二度と作らない』とお思いになるようですわね」
 彼女の病院を訪れる者のうち、何割かはその”父親”に恵まれていなかった。
 彼らの貴い命を奪うのは、えてしてその父親の無責任であり、優柔不断であり、いいかげんさであり、時として優しさという名の自己満足であった。

「それで大体のお母さまが術式のあとでお泣きになりますわ。何度も何度もお子様に詫びられて。『本当は愛してあげたかった』とみなさんおっしゃいますの。『こうするしかなかった』とね。
 そのたびに、わたくしも心から賛同いたしますわ。そうすると、どのお母さまも安心して好きなだけ泣き明かすことができますの」

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