青い森に二人 [2/5]
もう二度と手紙を出せないかもしれないから、まわりくどい話もさせてください。僕は売春宿の女将の子として、父親のいない家に生まれました。ものごころついた時から”あいつら”に(あいつらというのは娼婦たちのこと)いやなことをたくさんされました。学校でも周りになじめず、ただ絵が人よりうまく描けるということだけが取り柄でした。
思春期に入る一歩前くらいから、子どもの絵を描くようになりました。女の子の絵が多かった。胸がふくらみはじめる前の女の子は本当に綺麗だった。金菓糖のまわりの空気みたいな甘い匂いというか、色というか、どの女の子も夢のような透明な雰囲気を持っているでしょう。僕は少女の持つ清澄な雰囲気にあこがれ、描きながらその少女の持つファンタジーに酔っていました。その一方で初潮を過ぎた年齢の子はもうどれも恐ろしく、けがらわしく、いやらしく、おぞましく見えた。あいつらに酷いやり方でいじめられたことを思い出してしまうのです。三つ子の魂百までというやつです。せめて同性相手に性欲が流れてゆければ僕はまだ市民権を得られたかもしれないが、結局僕の魂は成人女性にも同性にも傾いてはくれなかった。
思春期の入り口あたりから、僕の少女を見る目に疑惑のようなものがこみあげるようになりました。下半身から立ちのぼってくるもやもやです。僕は、神や悪魔というものを信じていて、それは抗いがたい悪魔のしわざだと思っていた。
十四歳のとき、近所の大きな橋から飛び降りて自殺しようとしました。男にもいろいろ生理現象というものがあり、僕はある時子ども相手にそれをやらかしてしまった。夢の中で七歳ぐらいの少女にいやらしいことをしてしまったのです。夢なので僕には避けられなかったのですが、その夢から覚めたとき僕の下着には欲望の痕跡があり、死ぬしかないと思いました。河に落ちた後救助され、母親に殴られ(それは愛のある殴り方ではなく)、みるみる絶望の崖を転げ落ちた。誰も僕を助けてくれなかった。誰にも僕の状態を言えなかった。僕は社会のスティグマ《痣》として生きることを宿命づけられたのだなと思いました。人間は平等だなんて嘘です。僕は神を信じていますが、同時に人間が平等だと信じることができないし、平等に扱われたことがありません。
僕と同じような性癖を持つ人たちの中には、十歳以下の子どもでも互いに愛し合っていれば何をしてもよいと力弁する人がいる──僕は、多分それも正しくないと思う。なぜなら僕も小さい頃あいつらに同じ台詞で何度か脅されたから。「愛していれば」という脅し文句にほとんどの子どもが抗えないことを僕は知っている。愛していれば何をしてもよいというのであれば、この世は子どもにとって大人に搾取されるだけの地獄になるでしょう。愛していてもしてはいけないことがあるのです。にもかかわらず、僕は十歳以下の子どもしか愛せない。
僕のような人間に、死ぬまで救いはありません。暗い影の中を息を潜めて生きるだけです。それとも、救いはあるのだろうか?
たまに、僕と同じ苦しみに喘ぐ人が悪魔に負けて暴発し子どもを傷つける事件が起きます。僕は人でなしです。幸いにもぎりぎりのところで欲望をコントロールできてはいるが、僕と同じ性癖に生まれついた人が人間として扱われているところを見たことがない。
カタリーナ。君は多分ティーンエイジャーでもう性のこともわかる年頃だろう。ああ、でも君はクリスチャンか何かになっているかもしれないな。赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとか、キャベツ畑から生まれると思っているかもしれないな。僕の長々と言っていることが全くわからなかったら済まない。
カタリーナ……僕は今とても混乱している。僕は女になった君がこわい。男性との交際経験の有無とか、そういうことではなく、十六歳になった君はもう立派な女だ。僕を今でも苦しめるあいつらと同じものになってしまった。子どもよりうんと強い君の生命力が、君の腕力が、君の威力が、罵言を言える君の口が、さげすみの視線を出しかねない君の眼が怖い。そのどれもが僕を傷つけ破壊しかねない。
絶望しています。”
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