青い森に二人 [5/5]


 手紙を抱き、自分にあてがわれたベッドに寝そべる。自分では決して生み出せない手紙の筆跡が、質素な数枚の紙を男の分身のように感じさせている。口づける。紙のにおい。万年筆のインクのにおい。この紙の側にあの人の身体があった。胸をつんと締めつける圧倒的な欠乏感。あの人の身体に触れたい。あの大きなしっかりした懐に抱かれたい。想いは六年間眠らせていなかったつもりだったが、彼の新しい分身に触れ、眠れぬほどの熱情に翻弄されている今となってはかわいらしい努力だった。
 手紙から感じるのは友愛だった。書き手の男によって整頓された事象、選別された言葉がおそらく手紙の向こうの世界からカタリーナを守る壁になっている。男は生々しい腐食に侵されながら今も世界のどこかで影を潜め、緩慢に溜まる悲鳴を飲み込みながら眠っている。自分の今の肉体ではあの人の希望にそぐえない。
 どうにかして、側に行きたかった。男の中にあるいびつな空洞を埋めてあげたい。一度でいいからあの男の心をてっぺんまで満たしてあげたかった。そのためにあの男が望む形に身を変化させることを、自分はいとわない。そのためにはどうすれば。
 これらの思考のあとにカタリーナはハイスクールの美術室に立ち、カンバスに向かう。カタリーナは情熱のたけをこめた絵を完成させると、カード一枚だけの手紙を添えてカンバスを郵便局に運び男のもとへ郵送した。

 数日後、男は地方の小さなアパルトマンの部屋で彼女からの包みを受け取り、抑えきれぬ胸の惑いと共にカンバスの封を破ることになる。
 カンバスには青地の森を背に、十歳の裸身の少女と裸身の男が微笑みながら並んで立っている絵が描かれていた。



”フランシス・ヘンリー様”

” わたしでよければ、抱いて。わたしはあなたを迎えられる日が来るのを待っていました。十六歳になれば結婚もできる年齢だし、許されると思ったの。
 今はカンバスの中で側にいさせて下さい。でも、諦めないでいてもいいですか。いつかあなたに会える日を。”

” 愛をこめて。 カタリーナ”



 小さなアパルトマンの部屋に、カンバスを抱いた男の、身を砕くような嗚咽が響く。男は愛する少女の描いた、絵の中の少女と自分の体格差に傷ついた。心から望んだことだったのに絵を見た途端嗚咽が止まらなくなった。一晩中彼の魂は青い森で十歳のカタリーナを抱き、行為をやめられない己自身を罵り続けた。

 数日後、カタリーナのもとに男から返信のカンバスが届いた。そこにはカタリーナの予想していたような性交の絵はなく、代わりに裸身の十二・三歳ぐらいの少女に裸身の男が接吻する絵が描かれていた。



”カタリーナ・ハインリッヒ様”

” ありがとう。君の魂は僕を救ってくれた。
 でもここまでしか絵にはできませんでした。これ以上先を一人で描いたら、よくない。そういう絵は二人一緒にカンバスに向かってでないと描けないでしょう。

 今の君を愛せるよう、僕も頑張ってみました。今はその大きさが頑張れる最高のところです。ペン・フレンドとしてもう少し君が付き合ってくれるなら、僕は君の姿をもっと大きくしてゆけるよう、努力を続けてゆきたいと思っています。
 君のくれる光は眩い。永遠の十歳の少女と、実在としての女の君と……いつか同じように愛せる日が来ることを、僕がそのようになれる日が来ることを願っている。”

” 愛をこめて。 フランシス”



 寛大な気持ちがカタリーナを包んだ。相手のほうが遥かに年上であるはずなのに、若い胸の間に相手の顔をうずめさせ、抱きとめてやりたくなるような。おそらく男はそのような女臭さをまだ望まない。こちらがまめに状況を分析して、リードしていかなくちゃ。
 カタリーナは男から郵送された絵にういういしく口づけすると、カンバスをベッドに立てかけてスケッチブックに新しい絵の構想を考え始めた。自分の姿を男の描いた年齢より少しだけ幼く戻し、しかし十歳には戻さず、青い森で男に口づけを返す。男が絵を描くときに無理をしていると思ったのは女の直感のようなものだ。今は急かすよりも男との関係を切らずに進んでいくことが大事だった。
 せめて側にいても不快にならないところまで慣れてくれれば。
 そのときには、少し怖いけれどためらわない。私が彼を新しい世界へと開け放ってあげる。

 カンバスにもたれながら、まだ硬い張りを残す乳房にふれてみる。カタリーナは眼を閉じて青い森に立ち、裸の男に抱かれる十歳の身体の自分を思い浮かべた。不意に男の生の声が聞きたくなった。今度の手紙では電話番号を聞こうと思うと、彼女の欲望に合わせて青い森がざわざわとざわめき、深く広がってゆくのがわかった。

【End.】

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