パロットは天国へ行った [3/4]


「それで中に入ろうか迷ってたんだ。ナカジマ君」
 マイは霊の類は見えない体質だったが、ナカジマのする話を最初から最後まで真面目に聞いてくれた。彼女の瞳は女の子独特の未知の深みがある。ナカジマとしては正直見つめるのも照れてしまうが、それでも見てみるとそこに侮蔑や好奇のいろは見えない。どちらかといえば事の成り行きに素直に驚いているようだ。
「信じて、もらえます? あれだよね。霊見えねー人にはすげえ頭おかしい風に見えるかもしれないんだけど」
「うーん、私、幽霊見たことないからそういうのよくわかんないんだけど……でも、ナカジマ君が言うんならきっといるのかな。信じます」
 信じます、と言った時のちょっと生真面目な唇の結び方に、思わずうわついた笑いが出た。ナカジマはマイのしでかす仕草の一つ一つにすぐ舞い上がってしまう。ミケーレがそんな二人の姿を見ながら口を全開にして身体を伸ばしあくびする。
 二人で話をしながらアパートのドアの前に立っていると、太陽を飲み終えた街の空は星の群青に表情をがらりと変えてしまう。アパートの使い込まれた外灯がクリーム色の灯をともす。夜になってアパートにぼつぼつと戻ってくる住人たちは、みなナカジマたちのいる場所を避けて別の部屋へと落ち着いていった。ナカジマとマイとミケーレは彼らが自分らを素通りしていくのを見るたびに軽くため息をついた。
 やがて彼らに声をかけたのはアパートの管理人と称する中年の男だった。
「君たち、そこの家に何か用かね」
 管理人いわく、その部屋はここ数週間住人が帰った形跡もなく放置されたままだという。かねてから家賃も滞納気味だったので管理人が何度か家の戸を叩いたが、何の音沙汰もない。
「猫はいませんでしたか?」
「猫?」
 猫は基本的に飼うのを禁止していたが、以前に別の住人が勝手に猫を持ち込んでからはそれもなあなあになりがちだった。件の部屋には猫が一匹いた。アメリカンショートヘア。
 新聞受けに群生する巨大な古紙の観葉植物がまだ若芽だったころ、この部屋から一日中猫がうるさく鳴いていたことがあった。管理人がドアを叩いても住人が出る様子もない。よっぽど合鍵で中に入ってやろうかと思ったが、用もないのに勝手に入ってもし何もなかったら違法行為だと訴えられかねない。幸い両脇の部屋は盆の帰省で空いており苦情が出そうな気配もなかったので、管理人は件の部屋をやりすごし管理人室へと戻った。
 そして猫は放置された。猫は翌日も翌々日も炎天下の中朝から晩まで鳴き続け、二日目の夜になると鳴き声がか細くなり……次の日の昼には、部屋は静かになった。
 ナカジマとマイが管理人を説得して部屋を開けさせると、密閉されていた熱気が化学物質の混じった埃臭さを伴って付近に充満し三人の息を止めさせた。電気はついていない。流し場の窓から微かに光が差していたがなお暗く、床も壁も見えたものではなかった。管理人が懐中電灯を片手におそるおそる部屋の電気のスイッチを探し当て、一気に部屋を明るくした。部屋の中はところどころ散らかったまま片付けられもせず、だが食器やテレビなど重要なパーツだけがごっそりなくなっている。
 その欠乏。三人は玄関に立ちすくみ、部屋が既に何者かによって使い捨てられたことを悟った。部屋の隅に置かれたゴミ袋はぼろぼろに引きちぎられて中の生活ゴミを散乱させていた。引っ掻かれて傷ついた壁紙。下のほうがずたずたに裂けたカーテン、不自然に根元だけ削れた木の柱と削られた木屑、小さな冷蔵庫の扉の端を埋め尽くす執念の爪痕。閉ざされた窓のサッシにびっしり生々しく残る引っかき傷と、薄く広がった血痕。
 屋外への窓を臨む流し場の床に、ちいさな猫の亡骸が干からびて落ちていた。灰色に黒いトラ縞の毛皮は窓からさす太陽に風化し、腐る前にきれいにミイラ化してしまったようであった。

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