螺旋回廊 [1/3]


 とかく不経済な男女だった。中世の王侯貴族の富は数百数千万の奴隷の血を搾り取るようにして築かれたが、日本に暮らすこの男の場合もあるいはその血の一滴、二滴なりと流れていたやもしれぬ。
 都内でも県境に近い地区、住宅街からほんの少し離れた小高い丘の上にその男の邸宅はあった。三十代にして両親はなく明治時代からの堅牢な一軒家を相続し、おまけでついてきた幾分かの金を相続税にあて、残りの一部で一軒家を好き勝手にリフォームした。それまで堅実且つコンパクトなつくりだった階段が男の意思一つで壁際を這う螺旋階段になり、旧時代の金持ちならではの高い屋根とあいまって豪奢な吹き抜けをつくる。
「壁紙がかびてたんで全部張り替えたんだけど、寝室のこの白はもう飽きたんだよ。近いうちに真っ赤に張り替えるから落書きでも何でもして良いよ」
 スノビズム(=俗物根性・紳士気取り)と狂気の合作ともいえる異様なオーラを醸し出した家だった。三十代にして家を持ち、うるさい両親もなく天涯孤独で金回りも学歴も見栄えも良かったこの男はたくさんの女にもてた。しかし豊かさを追い求めるにはあまりにも若年にして多くを手に入れすぎ、彼は女を連れ込んでセックスを重ねるたびに寝室の調度品を変えていく。誰も止めるもののない中で一軒家の調度品はどんどんちぐはぐな組み合わせへと暴走していった。
 調度品と同じ頻度で女を取り替えていった結果、今の女に落ち着いた。今の女は家具同様万人に好かれる類の女ではないが、金と自身の安定への興味が毛ほどにもなく男が贈ったディオールの時計にも美しい顔をひそめて軽蔑の視線をくれた。ただ趣味ではないというそれだけの理由で。それよりもアクアリウムを買ってと女が言うので男は時計を贈った後おまけで数十万のアクアリウム一式を買い、女がベタという熱帯魚の雄を何十匹も買い占めて三日で全て死なせアクアリウムに苔を生えさせるのを見ていた。女はアクアリウムに飽きたのだった。
「ベタって二匹同じ水槽に入れると死ぬまで戦うっていうあれだろう」
「ええ」
「水が腐ってるから一回全部捨てて、入れ替えよう。タニシでも入れておけば。あれは水槽の表面につく藻を食べるはずだから」
 結局男は女と一緒に数十匹の腐ったベタの死体を水洗トイレに流し、巨大な水槽を男の邸宅に持ち帰ってサーモスタットやエアーポンプなどの装置一式をつけ、洗った砂利をしいて数匹のタニシを飼うことにしたのだった。
 一階フロアでタニシだけの巨大な水槽にこぽこぽと空気が噴き出される。女は水槽とともに男の邸宅に寄った後はどこへもいかず、二人でジンをあおった後にセミダブルのベッドでたわむれてから壁に絵を描き始めた。
「本当に描きやがったよ、この女は」
 女は白い壁紙にボールペンで細密な描写をする。DNAのように一つとして同じものがない小さな図柄が細胞のようにくっついて無限増殖していった。男はベッドの上から女の創作風景を眺めつつ、次に部屋に貼る壁紙の赤の色合いを考えていた。

「赤は、ヨーロピアンでも黄色がかった鮮やかな赤が良いな。花びんを買ってきてダリアを飾ろう。なあ、ディオールもいらないんなら壁に打ち付けちゃっていいか」
「どうぞ」
「うん。一階の電話脇かトイレの壁にでも打ち付けちまおう。お前さんはどこの時計ならよかった?」
「興味ないわ。そのへんで売っているもので、いいものがあれば」
「来週店でも回ろうか。カルティエ、ブルガリ、グッチ、エルメス、シャネル、ロレックス、ティファニー、フランク・ミュラー……」
「ブランドものばかりね」
「ブランドにただのひとつも興味がない女というのは、逆に思い上がりだと思うんだがね。仕事や車に金を使うのは当然だが余分な金があったら女を愉しませてやりたい。野菊よりもダリアが好きなんだ。アメは七色あったら全部買う」
「あなたは余分な金ばかりじゃないの」
「そうさ。悪いか?」
 女は男の問いかけには返事をせずに細かい絵を描き続ける。悪いということはひとつもないのだった。
「女も良いけれど男同士での社交もなさいよ」
「若いころの友人たちは今みんな貧乏なんだ。いや、貧乏とはいわないが中流層でね。これだけ格差があるとなかなか心安らぐ付き合いとはいかないんだよ。俺自身がこれほど金持ちになるとは思ってなかったから」
「それは不幸なことね」

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