風を追う男
Chapter2 [1/3]


 「リョウ・サワラ」――「佐原亮」が戦場に来たのはつい一ヶ月前のことだった。童顔で、百六十センチにも満たない痩せた体。そのどこからあんな情熱が湧いてきているのか大介は知りたくてたまらなかった。

 粗雑なコンクリートが剥き出しの暗室にやっと光が射す。リョウが大介の写真を見た時、彼はこんな感想を洩らした。
「あんた、ものすごく冷静に写真を撮ってるね」
 幾条もの紐にぶら下げられている写真が風になびく。彼らの前にぶら下がる大量の小窓の中は様々な兵士で埋め尽くされていた。その中で、特にリョウの眼にとまったのは顔のない兵士の写真だった。正確には眼と鼻の先で銃でも乱射されたのであろう。顔が蜂の巣になっていて誰だかわからない写真だった。
「俺には撮れないよ。こういうの」
 そうだろうなと大介は思う。リョウと自分とでは感じているものがまったく違う。
「俺には自分の写真なんて全部同じにしか見えないがね」
 言いながらリョウの写真を見上げると、そこには自分と違うみずみずしい世界がひろがっていた。リョウの写真には「顔」があった。草原を駆け猛々しく叫ぶ兵士の顔。ジープに乗った人々がこれからの生活について憂う顔。薄汚れた少女がすきっ歯で笑っている顔。そして、死者の静謐な顔。そこには一人一人の名前やそれまでの人生まで写っている気がした。
 そしてその一角にはあの兵士の写真もぶら下がっている。彼の名前はとうとうわからずじまいだった。

 いつしか、大介はリョウを撮ることにばかり興味を覚えるようになっていた。リョウを撮るのにはいつも一苦労させられる。何せ”風”だ。気がつくと消えていて、気まぐれにどこかをさまよっては写真を撮っている。やっとこ追いついてレンズを向けても見つかった途端にすぐ逃げられた。
「俺なんか撮ってどうすんだよっ! ついて来んな」
「別にいいじゃないか。カメラマンを撮るカメラマンが一人くらいいたっていいだろう?」
「俺は許可してない」
 おかげで大介の写真にはいつもリョウの背中が写る。大介はこれらの写真をどうするか迷ったが、結局三枚ほど選りすぐって後は捨てた。一枚目は最初に逃げられた時の写真。二枚目は逃げ方が手慣れている写真。そして三枚目は、戦場での写真。これだけのためにフィルム五本をなくした。大介は苦笑して肩をすくめた。
 どうしてリョウは自分を撮られることをあんなにも毛嫌いするのだろう。やはり自分が深追いしすぎているのだろうか。時々自分は抑えが利かなくなるからなぁ。男でも女でも見境がないし……。

 実際、大介自身まっとうな生き方はしていなかった。これでも母国に捨ててきた妻子がいる。戦場へ行こうと決めた瞬間に捨てた。大して愛してもいなかった。子どもには済まないことをしたと思ったがそれも束の間で、飛行機を降りた頃には忘れた。

 三枚目の写真を撮った時リョウは言っていたっけ。
「どうしてみんな謝りながら死んでいくんだろう」って。
 あの時の兵士はウォンとかいう名前だった。乾いた荒れ地の上で倒れていて、坊主頭に巻いた包帯からは血を流しっぱなしにしていた。
「故郷で弟たちが待ってるんだ。待ってるんだよ。ああ、死にたくない、死にたくないよ……」

 いつまでも同じことの繰り返し。
 この先の未来には、きっと巻き戻したテープのようにまた地獄が広がっている。
「死んだらごめんって伝えてくれ。……母さん……」
 俺はもう悲しむことも忘れた。今は死にゆく兵士の手をとって悲しい顔をしているこの”風”だって、いつかわすれる。
 お前はしばらくしてこう言ったな。
「どうしてみんな謝りながら死んでいくんだろう。……”殺されてすいません”だなんて……」

 おまえのその疑問は正しいよ。
 そういうことを考えられるおまえはしあわせだ。

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