風を追う男
Chapter3 [1/3]


「故郷の母さんに自分が死んだって伝えてくれ。すまない」
 そう言ったのがレイモンド。
「故郷の妻と子どもに自分が死んだって伝えてくれ。すまない」
 そう言ったあいつの名前はわからなかった。
「故郷の弟たちに自分が死んだって伝えてくれ。すまない」
 そう言ったのはウォン。
「故郷の恋人に自分が死んだって伝えてくれ。すまない」
「故郷の親友に自分が死んだって伝えてくれ。すまない」
「故郷の先生に自分が死んだって伝えてくれ。すまない」
「故郷の飲み仲間に自分が死んだって伝えてくれ。すまない」
「故郷の祖父母に自分が死んだって伝えてくれ。すまない」
………………

 青い草原の中でどこまでも果てしなく続く死体の列が、只のゴミに見えた……。



 リョウが息を呑んで跳ね起きるとそこはまだ蒸し暑い草原の中だった。血の匂い。やっぱりそこら中に死体がころがっている。
「大丈夫か」
 すぐ傍に大介がいた。頭がぐらぐらと揺れて、何が起きたのかわからなかった。
「地雷だ。お前も危なく足が吹き飛ぶところだった」
 ……地雷?
 確かに、目の前に下半身が焦げた死体がある。草原もあちらこちらえぐり取られている。
「お前もそろそろくにに帰った方がいいな」
「何だと?」
「帰れ。お前はもう限界だ」
「俺はまだやれる!」
 立ち上がろうとして、できなかった。大腿に激痛が走る。何かの破片が刺さっている。それを見る大介の目には何の感情もなかった。
「お前、そこの黒焦げを見ても何も思わなかったな。手に持っているのは何だ?」
 言われてはっとした。握りしめたままきつく強張った両手を緩めると、血のついたたくさんのネームプレートがざあっと音を立てて脚の上にこぼれ落ちた。



 リョウは時が経つにつれ自分の危険を顧みなくなっていった。大介を魅了するその走りはますます加速し、異常な輝きの帯を引いてゆく。
 最前線へ。もっと激烈な場所へ。
「こんな写真じゃ駄目だ」
 誰もが後ずさるほど思い詰めた眼をして韋駄天のようにどんどん大地を踏み越えてゆく。近くで爆弾や地雷が爆発するくらいは当たり前。その身体を何発もの弾丸がかすめていることにリョウは全く気がついていない。
「おい、それ以上行ったら死んじまうぞ」
「放せ!!」
 あまりの暴走に見かねて他のカメラマンが止めようとしても、羽交い絞めにして落ち着かせようとしても、リョウは全身の力でそれを振りほどいて前へと進んでいってしまう。
「お前死ぬ気か!? 戻ってこい! リョ――ッ!!」
 他のカメラマンたちは彼を止めることができなかった。彼を追いかけて命を死に晒すような、そんなことができるのは性根の狂った彼の同国人だけだった。

「お前、自分にどんなあだ名が付けられてるか知ってるか」
 リョウは大介の背に負ぶわれたまま首を横に振った。
「”死神”だとさ」
 背中の感触がにわかに強張るのを感じながら大介は死体の上を踏み越えていく。自分の首にしがみつく腕を眺めると握りしめられた手からプレートがこぼれ落ちそうだった。
 お互い体中泥と血にまみれきっていた。リョウの腕の血はネームプレートにまで伝い、深い傷を負った足からの血は大介の腕に染みとおる。
「いつも、そうやって自分だけ生き延びて帰ってくる。それに、お前は律儀にプレートを持って帰る。まるで人の死を漁るみたいにな」
 遠くに聞きなれない言葉が聞こえる。敵軍の言語。走って草陰に隠れやりすごす。リョウは大介の背に身を預けてからというものずっと猛烈な疲労にのしかかられていた。眠ることもできず、目を閉じることもできず、ただただ自分の呼吸音を聞きながら押し黙っていた。血と泥の臭いが鼻や喉の中に溜まった。
「大介さん」
 思考回路を経由しない声。意識が朦朧として音が遠かった。戦場の中に居るはずなのに、何て静かなのだろう。平和なはずの静けさを耐えられないと思った。自分はどこへ行けばいい……?
「あんた、何で俺につきまとうの」
「さあ、何でかね。俺にもわからん。ただお前が走っているのを見て、綺麗だと思ったんだよなあ。最近は前ほど綺麗じゃなくなって耐え難いことだがね」
 大介は味方のキャンプへと足を向けているのだろう。
「まるで麻薬に飛びつく猫のようだ」
 あながち間違ってはいないと思った。リョウにとって、帰国などということはもはやできない選択だった。どこに居ても戦場の狂気が呼んでいる気がした。
「どんどん奥へ走らないと自分が自分でなくなる気がする」
 大介はリョウが背中で震えているのを感じとった。思ったより出血しているのかもしれない。しかし、暑い草原の中で凍えるなどということがあるのだろうか? リョウはぐったりして支えられない頭を大介にもたせかけ、ネームプレートをやっとの思いでポケットに押し込んだ。
 寒い。力が抜ける。
「撮らなきゃ駄目なんだ」……

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