風を追う男
Chapter6 [1/3]


 狂気がいっとき息をひそめた街で影がうごめく。彼らが予定より早く風を捕らえに来たのは、きっと風の自由さに嫉妬したからだと大介は思った。銃口をいくつも背中に向けられながら。
「リョウ・サワラ。不法滞在の罪によりお前を逮捕する。窓から降りてカメラを床に置け」
 リョウはなぜ軍の人間が予定より早く来たのか解らなかった。その日町が休戦状態だったことをリョウは知らず、闇を喰らう影たちの仕事が何もかも手早く終わってしまったという事実を知らなかった。
「大介さん。あんた喋ったの?」
 リョウの顔が混乱で泣きそうに歪んでゆく。
「違う!」
 悲痛な叫び。自らに誓ってそれだけは信じてほしかった。自分の肩口に銃口があてられてもなお。
「逃げればこの男にも被害が及ぶぞ。カメラを置け」
「やめろ、戻ってくるな」
 戻ってきてしまう。風が死んでしまう。泣きそうな顔をしながらリョウがカメラを置いて両手を上げた。大介は頭が真っ白になっていく自分を感じていた。
「三歩離れろ」
 リョウが窓沿いにカメラから三歩離れた。兵士の一人が床に置かれたカメラを奪い取ろうとする。
 それだけはさせない。
 咄嗟に持っていた短銃で床を撃った。銃声の間隙を縫ってカメラに近づく兵士にとびかかり、締め上げて銃を突きつけようとした。
「逃げろ!!」
 この時のリョウの動きはまさに疾風のように速かった。
 一瞬でカメラに手を伸ばし、その間の床に叩き込まれた銃弾に手を引っこめたかと思うと、瞬時に決断して窓から飛び出した。
「逃げたぞ! 捕まえろ!!」
 リョウは二階から物置の上へ、車の上へと疾く駆け抜ける。鮮やかな全身の躍動のあとに遅れて着弾がやってくる。銃弾より早く地面に着地した後、リョウに追いついたものは誰もいなかった。しかし安堵の息が洩らせない。
 カメラを置いていった。
 外に無事逃げたことよりそのことが頭に刷り込まれる。銃底で後頭部を殴られ、大介の頭が床へ叩きつけられた。気絶する。暗闇へひきずられてゆく……。



 大介が目を覚ました時、彼の目の前では一つの従軍許可証に、取り消しのスタンプが押されていた。
「あなたも前から問題行動が多かったからあれほど警告したでしょうに。いい写真をとる方だったのに、残念です」
 もっと前から目覚めていたとは思う。ただ起きた時からずっと考え事をしていたから、意識がなかったのだ。
 リョウがカメラを忘れていってしまった。
 自分が、たった一枚の写真のために引き止めたせいで。風はカメラを持っていけなかった。
「私の写真がそんなに良く見えますか」
「ええ。あれほど凄惨な写真をとる方はなかなかいません。もっとも、どのみちあなたがたは帰国するしかなくなるでしょう。やっとこの辺にも平和がやってきそうです」
 軍隊の人間たちが故郷に帰れると呟いて、微笑んでいた。休戦協定が順調に進みつつあるというのだ。
「戦争が終わるんですか?」
「とりあえずは。脱走した彼女も、無事に生きてくれればいいんですけどね」



 カメラを届けなければいけない。



 街に返された大介の首には二台の一眼レフがかかっていた。前より増えた軍のジープ。兵士も、そうでない人も降りそそぐ陽の下で踊る。歌い、笑う。
「戦争がもうすぐ終わる。帰れる。故郷に帰れるんだ!」
 大介はそれまでてっきり誰もが戦争をしたがっていたのだと固定観念のように信じていた。これほど多くの人間が戦争の終焉を喜ぶものだとは知らなかった。まだこんなに子どもが残っていたのかと思う。兵士がみやげ物を買う。幼い少女が花を売る。故郷の誰かのために。
「おじさん。花買ってくださる?」
 一人の少女が一生懸命覚えた異国の言葉で大介に寄ってきた。
「売れてるのかい」
「うん。これでお母さんにお薬を買ってあげられるわ」
 みすぼらしい格好。ススに汚れた長い髪。それなのに少女は安堵し、花籠を手に可愛らしく微笑んでいた。大介はほんのはした金で一輪の花を買ってやった。少女が「ありがとう」と言って、通りの向こうへと駆けていき、ふと立ち止まって空を見上げる。

 片方の耳が轟音を聞き、もう片方の耳が思わず音を失う。
 こんな狂気の中で戦争が終わるはずもない。そんな確信を哀しく裏付けるように、高射砲が天高く大介の視界を通り過ぎていった。

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