その日はまたしても豪華なお祭りになった。ゴール朝の王宮はそのまま新王朝の王宮になり、あちこちの名士から出されたもてなしの料理で埋め尽くされた。ちなみに彼らの王朝は以後において「奴隷王朝」と呼ばれることになる。
「しかし他の階級の方々はまだこの王朝を良しとしない方が多うございます」
名士の一人がヴィークラムの方に話を振る。彼は酒でなく茶を飲むと昔人に仕えていたころのように話しだした。
「裕福な方々に貧乏人になれと言っているのではありません。ただ今まで人として扱われなかった人々を、人として扱って欲しい。それだけのことです」
名士たちはその言葉にうなずき、彼に次々と質問を投げかけてくる。
「ではさしあたってあの大量の路上生活者をどうなさるおつもりです?」
「治安も悪くなる一方ですな」
「旧王族の過激派もまた反乱を企てているらしいですが」
「税も変更なさるのですか?」
「后を取るおつもりはないですか?」
「王女の婿君候補がいるのですが、一度謁見していただけませんかな……」
王には沈黙は許されない。ヴィークラムはそれらの質問にこう答えた。
「部下と相談しなければなりませんので」
政治家の気持ちがよくわかる。本当はこんなお祭り騒ぎなどやっている場合ではないのだ。ここに並ぶ料理で何人の命が助かることやら。
「おい、こんなことやってても埒があかねえよ。どうする?」
声を潜めてバールに話しかけてみると、彼は表情を変えずにこう言った。
「だったらさっさとお開きにしろ。お前は最高権力者だぞ」
嫌な響きだった。改めて自分の立場を思い知らされる響きだった。
「なんなら俺が言おうか?」
「いや、いい」
大きく手を二回叩いて、ヴィークラムは名士や幹部たちによく通る声をあげた。
「本日はこのような会に来て頂いてありがとうございました! ですがこちらもいろいろと決めなければならないことがございますので、今日はお開きということにさせて頂きます!」
客人たちはそれを聞くとのんびりと帰りはじめた。談笑しながらであるため、どうにも歩みがのろい。
「ちょっと王様ぁ、あんた必要以上に卑屈になってやしないかい? もっと堂々と偉そうに喋んなくちゃ」
客がいなくなった途端にカドゥーミがそう抗議すると、ヴィークラムは仏頂面になって肩を揉みほぐした。
「んなこと馬鹿馬鹿しくてできるか。これ以上どうしろって言うんだ!?」
「それでいいんだよ。地でいっちゃいなって」
「それじゃ何か変な感じしねぇか?」
自分の口に手を当てながら彼は首をかしげ、ぶつぶつといろいろな言い回しを考えてみた。しかしどれもからくり人形の呟きに思えて仕方がない。
「んなことやってる場合じゃねえな。みんな集まってくれ! とりあえず腹の減った連中を何とかするから、何かいい案あったら出してくれよ!」
幹部たちが苦笑しながら集まってくる。何とも働き者の王様だった。気品や華やかさはないが、無地の服のように飽きのこない王様だった。
窓の外には霧雨が降っている。石造りの壁はひんやりとして湿っぽい。
マリノは日がな一日窓辺に座り、外の雑踏を眺めてぼんやりしていた。物乞いの頃とすることは同じである。ただ違うのは、ここには衣食住全てがあって人に声をかける必要がないということである。そして住み込みの家来がいて――押しかけているのは彼の方なのだが――彼女が面倒を見てくれるということだった。
「マリノさまぁ、またおはなししてえ」
時たま彼と同じ暇人の、つまり働く必要のない裕福な家の子供たちが窓の所へ遊びに来る。「マリノさま」の意味は全くわかっていないらしいが、子供たちはそうすると彼の機嫌が良くなることを経験で知っていた。
マリノは暇潰しによく子供たちを集めていろんな話をした。貴族のたしなみや世にも珍しい動物の話、男の子には有名な詩の読み方を教えたり、女の子にはどんな化粧が気に入られるかを教えたりして子供たちを喜ばせた。
ある日、タオが夕食の場で笑いながらそのことを尋ねると、彼はこう言った。
「子供は大人より誇り高くて貪欲だ。媚びてくる女たちに囲まれるより楽しいね」
彼は彼なりに楽しんでいるらしい。彼女はありふれた家庭料理を出してマリノの前にひざまづいた。
「街の人たちがあなたのことを何て言ってるかご存知ですか?」
「さあ? 何せ一歩も外に出ないから」
「英才教育の先生ですって。子供の心を引きつけるのは上手だし、そのくせ必要なことはしっかり教えてくださるから皆さん感謝してるそうですよ」
マリノはその言葉を聞くと柄にもなくぷっと吹き出してしまった。おかしくて笑いが止まらなかった。
「感謝!? そんなの何年振りだろう! この町の住人は何を基準に感謝しているんだ!? 物乞いとしてのほうが有名だろうに、平民の服をして暇潰しをすると感謝されるのか! これだから大人はいい加減で滑稽なんだよ、ははは!」
つくづく皮肉が好きな男である。ことに大人に対して、この男は感謝することを知らない。
「ところでタオ、新しい家来は見つかったか?」
「……いえ……」
タオはその点になるといつも寡黙になってしまう。本当は彼女が一日中働いてもマリノを食わせていくのが精一杯なのだが、それをあからさまに言うことはできなかった。
「マリノ様、せっかくですから私塾でも開いてみたらいかがでしょうか? きっとたくさん人が集まると思いますけど」
及び腰で言っても答えは決まっている。
「私に働けと言うのか? お前も随分偉そうなことを言えるようになったな」
マリノはいつも当然の如く働かない。人に一度でも頭を下げなければならないとわかると、彼はかたくなに何から何まで拒むのである。それどころか興味の向かないことは何一つしない。
「いいか、貴族はいつも優雅に、だ。そのために家来は最善を尽くせ」
要するに彼は働くことの誇りを知らないのだ。彼の中ではいつも自分中心に世界が果てまででき上がっていて、誰かが自分を生かすのが当然のことらしいのだ。タオは溜め息をつきたかった。しかし狭い家の中で……たった一部屋しかない家の中で、それができようはずもなかった。
夜になるとマリノはタオを抱く。彼は体力を持て余しているくらいなのに対し、タオは働き疲れてぐったりしているからたまらない。彼女は家の中でさえ休めなかった。布団の中でさえ主人に攻め立てられ、寝かせてもらえなかった。
「マリノ様、お願いですから休ませて」
そう言った時、彼女は殴られた。顔に青痣ができる程度ならまだいい。彼女は拒むほどに殴られた。その時の主人の顔は人間とは思えなかった。
どうして自分はこんなとんでもない暴君に仕えているのだろうと思う。今の未来に死神が立っているのが当たり前に見えるのは、感覚が麻痺しているからだろうか? どうして自分は逃げ出さないのだろう?
この矛盾した男は自分を捕らえて放さない。
「私はお前が欲しいんだよ」
殴った次には抱きしめて甘い言葉を囁いている。かたくなに家から出ず、子供たちと談笑し、感情は何でも自分にぶつけて思いやりの欠片もない。実に残酷な子供だと思う。男として見るなら彼はただの頭でっかちだった。優しさはないし経済力は皆無だし腕っぷしも大したことはないし知識だけで分別は幼児並みだし精神年齢も自分よりずっとずっとずっと年下のくせに体は年上。言うなれば最低の部類に属する。
だが、である。
彼は決して嘘をつかない。それは罪悪感のなさのあらわれでもあるが、彼女にはありがたいことであった。
「信じられるのはお前だけだよ」
愛していると言ってもらった覚えはない。だがタオはその言葉を信じている。この憎しみと愛情の入り混じった男に仕えることは身の破滅を意味していたが、見捨てることはできなかった。
(この人は誰にも愛されたことがなかったのかしら?)
彼女はようやく寝ることを許されると、同じ布団で眠っているマリノの顔を見た。誰だって最初からこうではなかったはずだ。普通なら叱られたり、悲しいことがあったり、悔しくてもどかしい思いをして大きくなる。
だがこの男は果たしてそうだろうか?
何一つ不自由なく与えられ、甘やかされ、叱られる以前に親の顔など見ずに育つ。
”何をしても”みんな笑顔で無関心。
それが本当の「孤独」なのだろうか?
眠気が蟻地獄になって彼女を呑み込む。タオは泥のように眠った。
王になってはや数ヶ月。
ヴィークラムは真剣に王位を誰かに譲ってしまいたいと思っていた。反乱軍の仲間たちは富を手に入れるごとに道楽へと溺れていくのである。
「毒蛇の巣とはよく言ったもんだ」
奴隷たちには快楽への免疫がまったくなかったらしい。あのバールやカドゥーミでさえ裏では職権を濫用して女を買ったり宝石を買いあさっているという。もっとも密告は当てにならないが。
密告が大流行し、そこかしこで権力闘争が行われていた。それでも王の地位が揺るがないのは、彼が何もしていないからである。彼は毎日真面目に仕事に取り組んでいた。元が職人気質だからだろうか、彼の仕事は徹底されたものである。国民の面倒を見るのも彼にとっては熱い鉄を扱うのと同じだった。
自分の保身など考えたことはない。むしろ彼としてはなるべく早くお役御免になればいいと思っていた。そしてその国民からの人気はいつも高かった。
(損な役回りだよなぁ)
辞めたいのに辞められない。道楽に耽っている幹部に王の地位なんぞ与えてしまおうものなら圧政になるのは目に見えていた。
「おいカドゥーミ、今とりあえず片付けなきゃいけねえ問題はあるか?」
最近ではそれが彼の口癖になっている。当分辞められない以上、割り切って仕事をするしかない。
「国の中で悪性の流感(かぜ)が流行ってるみたいなんだけど、薬の値段が暴騰して大変みたいだよ」
カドゥーミはじゃらじゃらと宝石を身につけながら仕事をしている。香水の匂いも鼻に余るくらいだが、仕事に手抜かりはないのでまだぎりぎり容認されている。彼女自身はそれを知らないが。
「こっちでいくらか買い占めて安売りしてやれ。なるべく早くやってくれよ」
ヴィークラムが書類にサインすると、彼女はそれを受け取って廊下のほうに退出していった。身につける宝石はルビーやガーネットを好み、つける香りはいつも色っぽい。
ヴィークラムは部屋に漂う残り香を消すように窓を開けた。砂色でまとめられた城下町が、懐かしく見えた。
「鎖とその男に関する記録 / 第三章」