「これで僕たちも自由だ!」
に始まって、奴隷たちはいろんなことを考え、叫びだした。寝食する場所、金を得る方法、果ては料理の仕方から買い物の仕方まで。
「おい、仕事はどうやって探すんだ?」
「知らないわ」
「スープやナンはどうやって作るんだ?」
「知らないわ」
「俺たちはこれから一体どうすればいいんだ?」
「知らないわよ! もう面倒を見てくれるご主人はいないんだもの!!」
養鶏場のニワトリである。
反乱は恐ろしく脆いものだったらしい。もちろん反乱軍の方でもそれは予想していたのだが……。
「というわけで形だけでも指導者が必要なんだ。引き続き代表をお前に頼みたいんだが」
「ふざけんな!!」
――「代表」ことヴィークラムは猛反対し、頭に血を上らせて罵詈雑言をまくし立てた。
「それじゃ同じことの繰り返しじゃねえか!! そんなこと反乱を起こす前から全部分かってたはずだろ!? どうしてたかが飯の作り方や仕事の探し方なんぞがわかんねえんだ!?」
「何だって!?」
カドゥーミがつっかかろうとするのをバールが止める。止めてはいるが、彼の顔も怒りを押し込めている節がある。
「生まれてからずっと働くことしか知らなかった奴らもたくさんいるんだ。一度こうなった以上は俺たちにも責任ってもんがあるだろう?」
「そうやって俺に憎まれ役を叩きつけて自分は楽しようってのか!?」
「そうじゃない……!」
ヴィークラムは言葉を選ぶ気もない。
「冗談じゃねえ!! 俺たちゃ上に立つ奴を憎んで、普通に生きてけるようにするためにここまで来たんだろ!? そこへまたそんなもん作るのか!?」
喋っているうちに私情がこみ上げてくる。押さえが利かなくなっていく。
「そんなの約束が違うじゃねえか!! 俺はな、普通に暮らせるって、そう信じたから代表を引き受けたんだぞ!! もう勘弁してくれ! うんざりだ!! もっと俺は気楽に暮らしてえんだよ……」
言いたいことを言ったせいで彼の口調はみるみる失速していった。年甲斐もなく泣けてきそうになった。バールトカドゥーミは言葉もなく、外から聞こえてくる声を聞いていた。
「お腹がすいたよう」
「ヴィークラム様、バール様、カドゥーミ様……これからのご命令を」
ニワトリはただ鳴くのみ。
目標を失った民衆ほどどうしようもなく、手のつけようもないものはない。古い体制を壊した彼らにより重く難しい課題がのしかかってくる。三人は心の中で呻くしかなかった。
「ほら見たことか。最下層の奴隷どもには便所の躾から始めなければならんのだ。今ごろあいつらも苦しんでいるんだろうな」
服を着替えてだんだん感覚を取り戻してきたのか、マリノは含み笑いをした。平民程度の服ではあるが物乞いよりは遥かにましである。髪も切りそろえたし、髭も何年振りかに剃ったし、家来はいるしで彼はご機嫌だった。
「おおかわいそうに。ごらん、奴隷どもが道端で寝ているよ。水でもぶっかけてからかってやろうか?」
窓の外には文字通り行き場のない人々が道端で寝ている。中には自分から貴族や金持ちの家へ入っていって、そのまま戻ってこない者もいる。マリノの冷笑はおさまることを知らなかった。四年の間にプライドが吸いこんだ憎しみは、心にすっかり染みついていた。
タオが食料を少し皿に取る。
「少し食べ物を分けてあげましょう」
「ならぬ。それをこっちによこせ」
マリノは彼女から皿を奪い取ると、窓の前でこれ見よがしに食べはじめた。あっという間に窓の前に飢えた人々が群がる。男も女も子供も老人も。
「あはは! 何だねこの動物たちは。主人を裏切った罪は重いぞー。ふふ、ねえタオ、こんな新種の動物なんて見たことがないねぇ。人間と蛙でも掛け合わせたみたいだ」
飢えた人々はそれこそぎょろりとした目と、痩せこけた手足と、そこだけぽっこり膨らんだ腹を持っていた。それをおかしいと見るか悲惨と見るかは当然人による。
「マリノ様、あの人たちも私たちと同じ人間ですわ。どうかあの人たちに慈悲深くなさってください」
「何も知らないお前ならではの台詞だな、タオ。うらやましいよ」
マリノは皿を返すと憎しみを込めて笑ってみせた。
「物乞いをしている間にね、私は一つ賢くなったんだよ。わかるかい?」
四年前より奥が深くて真っ黒な光。タオは思わず息を呑んだ。あんまり純粋に冷たい瞳だったので、このまま殺されるのではないかとさえ思った。
「金がなくても人は生きられる。権力がなくても全く問題ない。では生きるのに一番大切なことは何か?」
マリノは胸に手をやると、得意げな顔になって自分を演じはじめた。
「誇りと、それを支える感情だ。どんな小動物でも……ネズミでさえ知っている。
どんなに傷つこうとも胸を張って生きていくことだ。甘えたまま死ぬのは誰が見ても醜い。わかるね?」
マリノはそこまで言うとタオの頬を撫でて優しい笑顔を作ってみせた。どす黒い目の光はまがりなりにも四年間を一人で生き抜いた自信に満ち満ちていた。
「誇りというやつは腐りやすくてね。特に長いこと快楽に浸ると駄目だ。そういう意味で昔の私は愚かだった」
外の奴隷たちに向けられる視線は限りなく冷たい。同じ人間とは思えない。
「外の連中も同じだ。あいつらは誇りを捨ててまだ甘えている。私が見せしめに食べた時、あいつらは何かしたか? 指をくわえただけだ。そうすりゃお前のようなご親切な民から恵んでもらえると思ってるんだ。よこせとさえ言えない」
彼は黙って組み桶の水をたらいに汲むと、窓の方へと持っていく。外の人々は水をもらえると思ったのか目を輝かせ、また窓のほうへと群がってきた。
「腹が減ったから? それが何だ。私は誇りのない人間に容赦はしない。私はあいつらを憎む。自分で動けなかろうと腹が減っていようと、人にあの惨めな顔をさらして何ともない態度は許せない……!!」
マリノは窓を開けると、外のへらへら笑った路上生活者にこう言い放った。
「甘えるな! お前らのように”何もない”奴らにやるものなどない!!」
人々が呆気にとられる。
彼は人々に思いっきり水をぶっかけると、腹立たしげに窓を閉めてしまった。
彼は一生鎖から逃れられないのかもしれない。自由は遥かに遠かった。
『困っている人は助けてやらねばならない』
『責任はきっちり取ろう』
『できる限りのことをしよう』
正論という名の永久に錆びない鎖。選択の自由は失われ、そこには清潔で無味無臭で完璧な「地獄」だけが残る。
「ヴィークラム様ぁー! おめでとうございまーす!!」
「あの方が王ならきっと世の中も良くなるに違いないわ。よかったよかった」
「それにしてもあの人も大出世だねえ」
人々の前で王が冠を頭に戴く。ひときわ高尚な衣装を着て、いつもと変わらない落ち着いた面持ちで。反乱軍の幹部たちは粗末な服から一転して格調高い衣をまとい、新しい王の姿を見守っている。
人々はみな新しい王を祝福している。その中でただ一人、王の姿を複雑そうに見つめている人間がいる。
「しかし何て美しい王女様だろう!」
「お婿さんもよりどりみどりだねえ」
王女はちっとも嬉しくなかった。きらびやかな衣装など着たくもなかった。どうして人は偉くなることを即幸せととってしまうのだろう。貧乏な奴隷たちにとって、それはやはり夢なのだろうか?
王が何かとってつけたような演説をする。慣れない感じが聞いていてもわかる。
「ああいうぎこちなさも親しみやすいね」
人々は何でも都合よくとってしまう。今晩もきっと王は豪華な食事やら土地土地の名士やら何やらに手厚くもてなされて、尊敬語で扱われて、へとへとにくたびれてしまうに違いない。演説が終わると歓声と拍手があがり、王は微笑を浮かべながら手を振った。幹部たちも同じように笑っている。
「ほら、セフェリも笑って。王女様はかわいい方がいいよ」
カドゥーミにそう言われて、セフェリは感情を隠すように微笑んだ。
彼女は王の本音を知っていた。知っていても何もしてやれなかった。
(かわいそうなおじさん)
彼女の眼に映ったヴィークラムの首にはまだ鎖がつながれていた。それは鉄製のありふれた鎖ではなく、いわば黄金の鎖だった。周りからは見栄えがしてうらやましがられるのだが、本人には鉄の数倍の重さがのしかかっている。
彼はこう言いたかったのだろう。
「誰か助けてくれ」……と。
普通の暮らしが遠くへと逃げていく。それでも二人は笑っている。
一番質が悪いのは、その苦しみを誰も理解してくれないことだった。人々には結果こそが全てだった。
「鎖とその男に関する記録 / 第三章」