鎖とその男に関する記録 Chapter3-11

 その日、監獄から釈放されたオズワルドは王の訃報を聞いて愕然とした。
『ヴィークラム王、御息女に刺殺さる』
 全く信じられなかった。そんなことがあるはずはなかった。しかし現実に街の人々は揃って喪服を着ている。
「あなたもこれを着てください」
 キジキス家の使いだと称する男が真っ黒なローブを差し出す。男自身も同じものを着て、フードを深々とかぶっている。人々の顔はどれもフードの陰に隠れてますます暗くなっていた。
 オズワルドはローブを着ると、男に案内されるがまま粗末な馬車に乗った。馬車はゆっくりと街の外へ動き出した。
「しかしえらいことをしてくれたもんですね、あの王女は。オズワルド様も結婚なさらないで正解でしたよ」
「……いや、僕のせいだ」
 彼は静かにローブの裾を握りしめた。自分があの婚約者とその父の人生を捻じ曲げ、ついには死に至らしめたのかと思うと悔やんでも悔やみきれなかった。
「君はどうして迎えに来たんだ? もうキジキス家なんて無いも同然だろ?」
「ええ。商売の方はとっくに幹部の方々に乗っ取られました。あなたの椅子はありません」
 前から知っていたことだった。キジキス家は商売の中の地位にすぎず、別に息子だから金が残るというものでもなかった。馬車が街の外へ向かっているということはおそらくオズワルドを商売から追い出すつもりだろう。態のいいお払い箱だった。
「僕にはもう何もないってことだね」
「そういうことですね」
 馬車は街を出て原っぱをゆく。空は青く、時間の歩みは遅い。彼は長いこと物思いに耽っていた。使いの男と御者はそれを見守っていた。
「……どこまで行く気だい?」
「簡単にあなたが戻らないように、遠くへ」
「ならそうしてくれ」
 馬車はどこまでも道の上をゆく。街を一つ過ぎ、二つ過ぎ、遠くへ。陽が落ちれば灯をともし、腹が減れば粗末な食事をとり、遠くへ。
「あの街に着けばお別れですよ」
 男がそう言って遠くにぽつんと見えた街を指したのは朝だった。全く知らない土地が目の前に広がっている。
「一つ頼んでもいいかい?」
 オズワルドは男の方に向き直って言った。
「何でしょう?」
 男は相変わらず重々しい声で呟く。彼は簡素な笑顔を浮かべてこう言った。
「もし姫に会えたら、ちゃんと罪を償って幸せになってくださいって。それから僕はあの街にいるからって」
「そんなことを伝えてどうするんです?」
「釈放されても行き場がなかったら来てくれって言っといて欲しいんだ」
 男が黙り込む。フードの中で何を考えているのかはわからない。街はどんどん大きくなってくる。
「政略結婚ではなかったのですか?」
「父上はそのつもりだったんだろうね。でもこうなったら僕の勝手だ。僕は自分の意志で彼女を待つよ」
 素朴で何ともいい顔をしていた。何の後悔もなくそう言ったのだとわかった。
「確かに伝えます」
 男は感情を押し殺してそう言った。御者からは鼻をすする音が聞こえる。どうやら泣くのをこらえているらしい。
「何か辛いことでもあったのかい?」
「あなたと別れるのが辛いのですよ」
 馬車はとうとう見知らぬ街へと入った。そこにもやっぱり人々の生活があり、もう誰も喪服を着てはいなかった。そんな流れの端で馬車が止まる。
 オズワルドは他の二人と共に馬車を降りると、深々と礼をした。
「どうもありがとう。行ってくれ。伝言だけは忘れずに頼むよ」
 二人は答えなかった。彼らは深々と礼をして、馬車に戻ろうとした。
 ところが……
「お前は残れ」
 男は御者を突き飛ばすと馬車に乗り、戻ろうとする御者を抑止して、最後にフードを脱いだ。

 何も持たない、身ひとつの平民の男。

 馬車が走り出す。目を剥いたオズワルドと御者を置き去りにして。
「二人とも頑張れよぉ!!」
 抜けた空のように陽気な笑顔。それは故人のものであるはずだった。御者がフードを脱いで大声で叫ぶ。
「おじさーん!! ……ありがと――っ!!」
 長い黒髪が風になびいた。彼女の瞳には涙が光っていた。夢、幻、あるいは奇跡だろうか? 否、そのどれでもありえない。
「姫……どうしてここに!?」
「バールさんとカドゥーミさんが逃がしてくれたのよ。でも、もう姫じゃないわ」
 セフェリはいつまでも馬車の背中を眺めていた。馬車はどんどん小さくなる。
「国王と王女は死んだの。ここにいるのはあなたの婚約者よ。それだけ」
 父親が遥か彼方へ遠ざかっていく。
「おじさんも、やっとただの人になれた」
 セフェリは小さな馬車に手を振った。
 彼女の父親は彼女を置き去りにした。
 だが、さよならとは言わなかった。


 ――奴隷王朝の最初の王ヴィークラムは西暦一二〇八年に娘の手で殺されたということになっている。奴隷王朝はその後一二九〇年まで続いた。
 バールとカドゥーミはその後王を持たない政治を行い、最後まで民衆のために働いた。二人はそれぞれに家庭を持ち、よき親友であったという。
 マリノはタオとその後晴れて夫婦となり、三人の子供をもうけて私塾を開き、教師として子供たちの信望を集めた。
 セフェリは記録上は監獄の中で一生を終えたことになっているが、実際は遠方の町で夫のオズワルドの商売を手伝い、商魂たくましい主婦になったそうである。七年間の数奇な物語はこうしてとりあえず終わりを告げた。
 そして、彼の記録は……

「バルガスさん! あんたん所の鍋って本当に使い勝手がいいねえ」
「お、そうかい? ありがてえな」
「あのさ、この前遠くから来た人がね、あんたのこと死んだヴィークラム王にそっくりだって言ってたよ! 王様だって!」
「へえ、そりゃおもしれえや。だけどよ、こんなしがない鉄職人の方が、ずっと俺には向いてるわな!」


 ……彼の記録は、以後残されていない。


【完】


「鎖とその男に関する記録 / 第三章」



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