鎖とその男に関する記録 Chapter3-10

 その日キジキス邸に政府の人間が入り、大量の薬が発見された。話によると薬は小麦の袋の中に隠されており、密告に密告が相次いですぐに発見の憂き目に遭ったらしい。当主のビンラオ・キジキスは即座に拘束され、息子のオズワルド・キジキスは王女と書斎にいたところを拘束された。
「どうしてあなたたちがここにいるの!?」
 王女は部下たちに激怒し、キジキス家の汚職について聞かされると根拠もなしに嘘だと連呼したという。一方オズワルドは彼女と対照的に静かだった。
「嘘、嘘よ。この人まで連れていかないで。やめてよ、この人に罪はないんでしょ!? お願い、やめてったら!!」
「姫」
 彼は王女を制すると、持っていた本を手渡して、沈んだ顔で微笑んだ。
「僕の父上は、ここまで来るためにいろんなことをした。僕も」
 王女の泣き顔が歪む。歪んでくれることをいとおしく思った。
「父上は、あれは欲望のままに生きてきた人だ。僕はそれを止めなかった。いろいろなものを失うのが、怖かったから」
 ――いろいろなものを失って、ひとりになる。
 誰もその孤独から逃れられない。
「孤独を踏み越えていけるような、強い人に……あなたの父上のようになりたかった。弱いということは決して清らかということじゃないんだ。だから罪を受け容れる。僕は父上の罪を裁くことも、父上のせいでいわれない傷を受けた人に何かを償うこともできなかった」
「そんなことない。あなたは捕まることなんかないんです、ここにいてください!」
「そうはいかないよ。お別れだ」
 王女は泣きながら彼に抱きついたそうである。人目も気にせずに、自分が王女だということも忘れて。痛ましい泣き声だった。泣けば何もかもうまく解決すると思っているような、願っているような、そんな泣き声だった。
 オズワルドは無言でそっと彼女を抱いてやると、一瞬腕に力をこめて彼女を放した。
「お元気で」
 そのまま彼は連行されていった。反抗するでもなく、王女の名を呼ぶでもなく、流れに従う笹舟のような背中。王女は黙ってそれを見ていたという。そして手渡された本を抱え、城へとぼとぼと帰っていったということだ。


 キジキス邸から帰る時、セフェリはまたもある男の姿を見かけた。押収された薬が売り出されたのか、街をゆく人々の多くが嬉々として薬を買ってゆく。どうやら彼もその一人らしかった。
「やったねえ、マリノさま!」
「これでタオさんも治るね!」
 小さな子供たちが彼の周りをちょこちょこと歩いている。それもたくさん。かるがもの親子が歩いているようだった。
 もう日が暮れかかっていた。彼らは大声で童歌を歌いながら彼女の前を歩き去っていった。あの男までもが子供たちに合わせて歌っているのだった。
「……あかい……おそらは……おうちにかえろ……あしたははれる……はやく、ねよ……」
 かぼそく童歌を口ずさみながら、彼女は城へと帰りついた。
「……あしたは、はれる……はやく、ねよ……」
 いつしか童歌の一説を繰り返し歌っていた。誰も声をかけてくれない。ぽっかり心に大穴があいた。あの男のいつになく満たされた姿をどうしても自分と比べてしまう。
 あの頃に戻りたい。何にも要らない。また普通の暮らしをして、もう一度オズワルドと恋をして、身分にとらわれることもなく一緒に暮らしたい。だがそれもかなわぬ夢なのだろうか?
 夕食を食べに部屋に入ると、そこにはヴィークラムが一人で待っていた。彼は何もかも知っているのだろう。実に辛そうな目をしている。
「お別れだって言われちゃった」
 それだけ呟いて席につく。辛いのにうわべだけ笑っている。彼はそれを見てしばらく黙っていた。ろうそくの明かりが懐かしく灯っていた。
「セフェリ」
 ヴィークラムは穏やかな声で彼女の名を呼ぶと、テーブルに手をついて深々と頭を下げた。
「すまなかった。辛い目に遭わせたな」
 ……何を謝ったのだろう? 辛い目になら数え切れないほど遭った。だが誰にこの男を責められよう。この男はずっと自分のために真剣に悩み、苦しんでくれたのだ。それ以上に自分は何を期待していたのだろう?
「……おじさんは、悪くないよ」
 平凡な台詞を言うのが精一杯だった。涙ばかりが出てくるのだった。
 セフェリはテーブルに泣き伏せった。悲しみを食べて消化するにはそれしかなかったのである。食べても食べても減らない悲しみと知っていても、何もせずにはいられなかった。
 それは王と王女の華麗なる食卓であるはずだった。人々はそれをうらやみ、そこには悩みや苦しみなど皆無だと思っているのである。
(セフェリも俺ももうついて行けねえ)
 ヴィークラムはその時心からそう思った。民衆への思いやりという鎖で、自分は大切な人間まで縛り上げていたのだと痛感させられた。
 もともと望んでいない地位である。人が何と言おうと、自分たちの望んでいたものは、ここにはない。
「捨てちまおうか? 王位なんて」
 セフェリは泣くのを一瞬やめた。
 ヴィークラムは宙を見上げたまま動かなかった。
 彼の中で、何かが外れた。


 一ヵ月後。
「マリノ様! 大変です!!」
 元気になったタオが血相を変えてマリノを叩き起こす。いつもの朝である。
「……ん、何だ、遅刻なら寝かせてくれ」
 マリノは寝ぼけ眼で肌かけにくるまった。タオはあたふたして強引に彼を起こす。
「それどころじゃありません!! 大変なことになってるんですっ!!」
「? 落ち着け。何があった」
 あんまり彼女が慌てているので、マリノは仕方なく起き上がってあくびをした。外からも人々の騒ぐ声が聞こえてくる。只事ではないらしい。
「王様が、王様が」
「王がどうした」
「王様が、ゆうべ王女様に刺し殺されたって!!」
 マリノはその言葉に仰天した。タオもそれは同じであるらしい。
「えと、何でも王女様の側に婚約話があって、でもそれは駄目になってしまって、その関係の恨みか何からしくて、とにかく国中大騒ぎになってます!!」
 朝っぱらから血圧が上がっている。マリノは「婚約話」の内情をすぐに理解したが、この訃報には首をかしげた。
「どうしましょう、うちも喪に服さなくちゃ。王様のお葬式とかも行われるでしょうし」
 マリノはタオの一人言を無視してその点を考え始める。
「タオ、王女は?」
「王様を殺した罪で無期懲役になったそうです。ああ恐ろしい……!」
 あの王女の婚約相手は今のところ投獄されているはずである。幸運にもあまり重罪を課せられることはなくもうそろそろ外へ出られるはずなのだが、今王女が罪を犯すのはそれこそ矛盾している。
 彼はそう思ったところでぴんと来た。
「それじゃ王女はもう二度と人目に触れないということだな?」
「ええ。そうですけど?」
「まさか王の棺をこじ開ける者もいまい」
「……マリノ、様?」
 マリノは急に笑いだした。彼女から見れば、それはかつて自分を陥れた人物の死をせせら笑っているかのようだった。
「タオ、喪に服するなんてやめておけ。馬鹿馬鹿しいから」
「いくら恨みがあるからって、死んだ人を邪険にしてはいけませんよ!」
 マリノはその言葉を小馬鹿にするようにしてまた笑った。外の人々は悲嘆に暮れているというのに、彼は不謹慎なほど笑っていた。何とも愉快そうな笑い声だった。
「そうか、あの男はその道を選んだか。国王は死んだというわけか!」
 それは憎しみから起こる嘲笑ではなく、むしろ共感から来た笑いだった。


 実に盛大な葬式だった。人々はみな善良な王の死を悼み、彼の優秀な両腕であり親友であったバール大臣とカドゥーミ大臣が弔辞を述べた。町には真っ黒な衣服があふれ返り、献花を申し立てる者が数万人に及んだ。棺が火葬のための広場に置かれ、その場所に未曾有の国民が詰めかけ、広場は黒く染まった。棺から数キロメートルの所までの地面が残らず黒くなり、煙が空へ立ち昇ってゆくと人々は沈痛な面持ちでいつまでもそれを見ていた。
 棺が燃えてゆく。笑う者はなく、彼を罵倒する声も力を失い、黙って王が空へ還ってゆくのを見届ける。
 恐ろしく静かな午後だった。
 空は抜けるような青さを帯び、大地はどこまでも黒かった。
「ヴィークラムも英雄扱いされるな」
「どうして?」
 バールとカドゥーミは彼がいかに良き王たりえたかを目の当たりにした。
「栄光のうちに死んだからさ」
 歴史に名を残す人間が早死にするのではなく、衰退を知らない人間が歴史には多く残りやすいのである。二人はこれからある罪を抱え、政治を支えてゆかなければならない。
「あたしたちにはどだい無理だね」
「別にいいさ。そんな重い名前は要らない」
 二人はいつまでも立ちのぼる煙を見ていた。燃え上がった灰は翼を得て、誰も知らない空の彼方へと舞い上がってゆくのだった。


「鎖とその男に関する記録 / 第三章」


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