『マスター、ロックした貨物室内に一体の赤外線反応を確認しました。入室時の静脈認証を照合。適合者はリグ・ベイカー。貨物室内の監視カメラにエラー発生』
「リグだと!? おい、間違いないか」
『間違いありません。適合者はリグ・ベイカーです』
「この時間の客室の監視担当は」
『リグ・ベイカーです』
赤色光と黒い影とがコントラストを描き出す船内でテレンスが苦渋を噛み締める。走る速度は落とさなかった。リグ・ベイカーはテレンスやフェイと同じ船員の一人で、食糧・エネルギー管理のプロフェッショナルだ。当然二人とも顔はよく知っている。ゴワついたくすみがちの金髪に団子っ鼻。片手にサンドイッチをつかみながらポーカーをし、フルハウス以上の役が手元にある時しか大金を賭けない貯蓄体質の男。
『貨物室内部の室温が急激に上がっています。スキャン不能』
クラシック・モードに切り替えたエリザの声は平板な女性の音程で事実のみを告げる。テレンスはロックをかけられた乗客用貨物室の前まで辿り着いて呼吸を整えると、中で待つ最悪の事態を想定して自らの感情を消すように暗示をかけた。こめかみの火照りも流れる汗も全て思考の枠の外に置く。今彼がしなければならないことはシンプルだった。
「ドアを開けろ」
返答はドアの開くエアー音でなされた。テレンスは一息の間を挟んで、何も反応がないのを確認すると機械のような正確なステップで部屋の中にブラスターを向けた。
貨物室の中から今度はサウナのような熱気が押し寄せてきた。天井まで積み上げられたコンテナ類で室内は狭い通路状になっている。テレンスは壁沿いににじるようにして中に入ってゆき、連続的に続く十字路を一つずつブラスターを向けながら点検してゆく。エアコンの温度設定が限界まで上げられているらしく、吹いてくる熱風が咳き込みそうになるほど暖かかった。
一番の奥の角を折れたとき、彼の視力は部屋の隅に一枚の床板が剥がされ、放置されているのを見つけた。近くには対赤外線スキャン用のヒーターも転がっている。駆け寄ってみると床板が剥がされた一角は床下の配線スペースに繋がっており、そこから縦横無尽に走るパイプの列と共に無限とも思える数の逃げ道をテレンスに提示した。
諦めざるをえなかった。テレンスは半ば呆然としながら、ようやくブラスターを下ろして重い息をついた。
船内に鳴り響いた警報によって退屈な日々を打ち破られた船員たちは、何種類かのルートをとりながら大急ぎでそれぞれの持ち場へと散っていった。犯罪者も恐ろしいが、それ以上に恐ろしいのは”彼”の手でこの宇宙船が破壊されることだ。宇宙で船の制御がとれなくなることは直ちに死を意味する。乗客の数に比べ切り詰められた船員たちにとって、それぞれの負う責任は決して軽いものではなかった。
警報モードが一旦解除されたのはテレンスとフェイがオペレーション・ルームに戻り、警報を受けて駆けつけた船長に事態の報告を済ませてからだ。
船長のマルコム・グレイは四十代後半の白人男性で、若干赤ら顔になりがちな顔に赤褐色の髪と髭をたくわえていつも鷹揚に構えている。わし鼻や彫りの深い顔だちは同じ白人系でもテレンスと違うルーツのものだったが、人種間の混血が進んでいるこの時代においては家系図でもない限り祖先をたどることはむずかしい。
「リグが? それで、逃がしたのか」
「逃げられた。貨物室から配線用スペースに繋がるルートがあらかじめこじ開けられていたようだ。途中までエリザに赤外線スキャンで追わせていたが、貨物室の中を暖められて温度差での捕捉ができなくなった」
「乗客は」
「見つかっていない」
テレンスは言葉の重さに閉口し、一息おいてからまた口を開いた。
「責任は後で取る。さしあたって警報は解除したが、あなたには改めて各方面への警戒の呼びかけをお願いしたい。全船員を使っての乗客の捜索も」
感情を押し殺して端的に用件だけを述べるテレンスの横で、フェイは真っ青な顔をしながらその場に立ち続けている。マルコムは航路映写用のデスクに体をもたせかけながら厳しい目で二人の顔を交互に見比べると、やがてフェイに向けて気遣う言葉をかけた。
「どうした。メカニック」
名前でなく職業名で呼んだのは気付けの代わりだ。ともすれば長い宇宙生活の中で家族同然になってしまう船員たちの間にも、馴れ合いが不要なときがある。フェイはマルコムの声に促されてどうにか気をしっかりと持ち直す。
「外に、人間の目玉や内臓が浮かんでました」
フェイの言葉にテレンスとマルコムがそれぞれ目を剥いた。フェイは目を閉じてなるべく感情を乱さないように事実を積み重ねる。自分が見たものが何で、どうすればあの結果が生まれるのか。
「ばらばらに。凍って。ほぼ一人分。遠くに流れていくのが見えたから船の速度は遅かったと思います。あれは凍った人間を直接外に出したときはああならなくて……人間の仕組み的に内圧と外圧のバランスが変わってるから爆発しないんです。だからあれは凍った人間じゃありません。少なくともルームBから”持ち出された”乗客じゃありません。爆発するなら凍ってない人間です。つまり」
「船員か不法侵入者が外に放り出されたっていうのか」
横からテレンスが垂らした蜘蛛の糸にすがりつきたくなった。フェイの勘は嫌というほどあの飛び散ったものたちが船員の誰かだと訴えている。宇宙に出てから何ヶ月も船中を繰り返し巡回して、余計な人間のいないことを確認しているのだ。
それでももし誰かが船員たちの目を逃れてこの船に潜り込んでいてくれたら!
「そう。多分」
テレンスは今この場にいないリグに事件の犯人としての容疑をかけている。それを覆す仮説を己の勘のみで打ち立てるには、フェイは対象の人物に思い入れを持ちすぎていた。
どちらの仮説を重んじるにせよこの船で人命が一つ失われたらしいという話には変わりない。マルコムは二人の前で眉間に深く皺を寄せると思わず黙り、三秒で私的な悔恨を済ませてすぐに船長としての揺るぎない顔を取り戻した。
「責任を取るのは一人だけじゃ済まんようだな、保安官。まったくお前さんの言うとおりだ。責任問題を処理するのはひとまず後回しにして、今はそれぞれの役目をフルに果たそうじゃないか」
オペレーション・ルームには駆けつけた三名のシステム・オペレーターが椅子を満席にして忙しく働いていた。マルコムは壁際にある無線用のマイクを取ると、十五面のモニターを睨みながら重厚な声で通達を下した。
「船長より全船員に通達。客室Bから逃走した不審人物は貨物室の床下から裏口を使って逃走した。まだ船内に潜伏しているぞ。警戒を怠らないでくれ。
警報は解除したがブラスターの携帯を引き続き許可する。携帯していないものはオペレーション・ルームまで連絡してくれ。手が空いた者は乗客の捜索を最優先。天井裏から床下までネズミ一匹見逃すな。
最後に、各部門のチーフは自分のチームの船員が全員いるか確認しろ。点呼がとれたらこちらへ報告するように。以上」
マイクを切って壁にかけると彼はまず最初にオペレーション・ルームの中を見回した。そこそこ広いとはいえ部屋の中の人数が数えられないほどではない。早速点呼をするべきシステム・オペレーターのチーフは椅子から腰を浮かせ、困惑した表情でこちらを見ていた。
船長のマルコムは全船員の部署と顔を把握している。彼の表情を見て、テレンスとフェイも遅まきながら室内のおかしな点に気づいた。
「どうした。ここは一人足りないように見えるが……今晩の当直オペは誰だ?」
テレンスとフェイの二人がエリザに呼び出されてオペレーション・ルームに入ったとき、室内には当直のオペレーターがいなかった。当直といっても平時は宇宙船の計器に全て任せていて、少しぐらい目を離していても問題のない業務だったから大して気にもとめなかった。エリザは何かがあってもすぐにオペレーターにはメッセージを送らず真っ先にテレンスを呼び出すようになっている。
チーフの報告を受けて姿の見えない当直オペレーターの寝室に入ったテレンスは、コンパクトな二段ベッドの下で寝息を立てている男を見つけて呆れ顔で声をかけた。
「警報が聞こえなかったのか! なんて奴だ」
短くカットされた漆黒の髪に黄色人種独特の起伏の少ない顔立ち。目を閉じて眠っていると同年代の白人系や黒人系より五歳は若く見える。真面目なくせにギャンブルをやらせると意外と無謀な勝負をするので、フェイは彼のことを「下手の横好き」と揶揄していた。
「ウォルター。ウォルター・スターリング!」
ウォルター・スターリングはテレンスが乱暴に体を揺すっても目を覚まさなかった。ブランケットにくるまったまま深すぎる眠りに落ちている様はさながら胎児のようだ。何度か揺すっているうちにテレンスも様子がおかしいことに気づいた。
「睡眠剤を使っているのか……?」
責任感の強いウォルターの性格を考えると、当直中に睡眠剤を使うなど考えられないことだった。何らかの原因で昏睡状態に陥っている可能性もあったためテレンスはその場で医師を呼び、眠ったままのウォルターを診せて診断を仰いだ。医師の診断はやはりテレンスの予想した通り彼が強い睡眠剤を服用したというものだった。
テレンスの脳裏に黒い人影が浮かぶ。犯人がウォルターに睡眠剤を盛って彼を眠らせ、その間に客室の監視カメラのデータを改竄したのではないか。
(リグは食糧担当だった。可能かもしれない)
いずれにせよ、オペレーション・ルームに戻ってマルコムから点呼の結果を聞き出さなければならない。今のままでは不確定要素が多すぎた。テレンスはウォルターの看護を医師に頼むとすぐに個室から退出し、気ぜわしい足取りでオペレーション・ルームへと向かった。
出会う人間出会う人間、みな気心の知れた仲間だ。これ以上船員の中から犯人も被害者も出てほしくない。テレンスは極力理詰めでものを考えながらフェイの見たという人間の残骸が幻であることを願っている。第二の事件が起こる前に自分が犯人のリグを捕らえ、盗み出された乗客も無事に見つかる。そうすれば誰も重荷を背負わずにこの先も生きてゆけるはずなのだ。
ドアの前にある静脈認証システムに右手をかざすと青白い光のパネルの上を赤いスキャンの光が一直線に透過する。認証を終え、ドアを開けて中に入ったテレンスを待っていたのはマルコムの深沈とした顔だった。
「ウォルターは自室で寝ていた。何かのアクシデントで睡眠剤を服用していたようだ。今はドクターに処置を任せてある」
「そうか」
その場に居合わせたオペレーターたちの間に複雑な安堵が流れた。肩に入った力をわずかに緩めながら、テレンスとマルコムの目は依然として厳しい。
「こちらも船員全員の状況を確認した。これでリグ以外は全員シロだ。食糧・エネルギー班に確認をさせたがリグだけまだ見つかっていない」
とにかくリグと乗客を探すことが事件を解く最短ルートになるという点で二人の意見は一致した。フェイの見た死骸の話については二人とも口には上らせず、忙しさに便乗してまたそれぞれの仕事へ戻ってゆく。
息苦しい密閉空間の中で、無限に広がる可能性の枝をそういくつも追いたくなかった。船の外に出ても空気を吸うこともできない。ふとコールドスリープの乗客たちの夢の中には広大な台地があるのだろうかとテレンスは夢想する。あるいはそれも人体が作り出す一種の擬態なのか。
氷点下の乗客室では、フェイを含めたメカニックたちが交代で息を凍らせ冷凍カプセルの修理点検にあたっている。冷凍カプセル自体は他の部屋に予備が数台あるが、壊された一台については船が次の星に着くまで修復のしようがなかった。現時点では配線をチェックして電気系統のトラブルが起きないよう処置を施し、システム・オペレーターと協力して壊れたカプセルを操作区域から外してもらう。他のカプセルのチェックはなるべく他のメカニックに任せ、フェイは肝心の壊れたカプセルの調査にあたった。
無理やりこじ開けられたせいで真っ白に凍りついたシートの中に、散乱した頭髪にまぎれて先ほどは気づかなかった何かが落ちている。不審に思ったフェイが分厚いグローブの手でそれを拾い上げてみると、紙のようだった。何かが印刷されているが表面にびっしり霜が付着していてはっきり読めない。フェイは紙の表面をこすり、上から新しい霜がつかぬよう息を止めて目をこらす。
『私はコールドブレイカーだ。公的には、これが私の残す初声明になる。
次の星に着くまで仲良くしよう。諸君』
──思い上がりとしか言いようのない尊大さ。人を殺すことで人間はこれほどまでに己の力を過信するものなのか。リグとは断定しないが、フェイの仮定の中では既に誰かが死んでいた。人間の手には余る力を身につけた犯人がどこかで自分をあざ笑う声が聞こえる。
(誰がお前一人に媚びるか。寝言はベッドの中で言うもんだ)
止めていた息を吐く。メッセージはフェイが細く吐いた息の湿気でまたすぐに氷の衣をまとい始めた。フェイは湿気にも構わずに紙をコートのポケットへ押し込むと工具を手に持ち直し、躍起になってカプセルの修理作業を続けた。
「Cold Breaker」