冷日の魔道士 第一章:菜の花

 その世界は私たちのいる世界と理が違っていた。機械文明は半ば廃れ、代わりに呪術や魔法がそれを補い凌駕していった時代のことだ。世界には魔術の属性を持った武器やら寺院やら召喚獣やらが溢れ、殺戮と魔法による強制的な再生によって時間軸はいびつに変形してゆく。
 レモ・クラックス率いる『共和国軍 紅玉第三部隊』は晴天の中帝国軍の未確認部隊に遭遇し、草原を咲き乱れる菜の花畑をみるみる炎上させながら血なまぐさい戦闘に突入していた。自軍が二十名ほどいるのに対し敵軍は十数名。しかし指揮官に有能な召喚士がいたのだろう……戦闘中にフィールドの中央がひきつれ、明らかに方向性を無視して回転する重力場から五メートル以上はあろうかと思われるレッド・ドラゴンが出現した。ドラゴンが吐く物理性の炎は対魔法処理(アンチマジック)を施した鎧をいとも簡単に通過し、貴重な兵士たちを焼却し絶命させてゆく。
「隊長、ここは危険です! 早く退避してください」
「あのドラゴンと召喚士を破壊する。もう少し時間を稼げ」
「しかし……!」
 指示を仰ぐ副官の前でレモは禍々しい形状の杖を引きずって、簡易だが二重の魔法陣を描いていた。内側の円が杖の身長を少し上回るくらいの大きさだ。副官にはその杖が先端の宝石からおびただしい量の血を流しているのが見えている。誰を傷つけたわけでもないのに、その血はあとからあとから溢れ出て大地に魔法陣を描くインクとなる。
「二分で全員後ろまで退避させろ。魔法班は音声消去(サイレンス)用意」
 レモの命令に副官が緊張してけたたましくラッパを吹き鳴らす。ラッパの音が何を意味するか第三部隊の全員が知っていた。魔法を使える少数の兵士は魔法を唱えながら全速力でレモの後方へと駆け戻り、それ以外の兵士はレモを守護するようにじりじりと後ろへ戻ってくる。残り五秒でレモより後ろへ下がって魔法の防御テリトリーに入るのが鉄則だ。
 それは呪文を成立させるための魔法陣ではなかった。レモがいくら方向を指示できるとはいえ彼の魔法は全方向へと影響をおよぼしてゆく。それも、甚大な。彼の描く魔法陣は彼自身の魔法の威力をセーブするためにあるのだ。あまりにも過大な力は時として遠くにいる無辜の民まで巻き込むものだということを、彼は骨の髄からよく知っていた。
 ドラゴンの火勢が風に巻かれて菜の花畑をどんどん焼き払ってゆく。か弱く焼け落ち、炎を纏って空へと舞い上がっていく黄色い花たち。そして草木の緑。レモのすぐ目の前まで。
 背中で音声消去(サイレンス)のテリトリーが発生したのを確認したレモは短く「退避」と叫ぶと、すぐに魔法陣の中央に立って呪文を詠唱し始めた。音声消去(サイレンス)ゾーンの中では全ての音をかき消された副官たちが仲間の兵士たちに声なき声で呼びかけていた。「急げ、飛び込め」と。古代語で呪文を詠唱するレモに呼応して杖が激しく振動し始める。同時に呪文制御のために描いた魔法陣が黒光りし、足元から土埃をみるみる巻き上げてゆく。
 足をつまづかせた兵が一人、足だけを音声消去(サイレンス)ゾーンからはみ出させてしまった。彼の悲鳴は呪文の効果にかき消されて、とうとう隊長のレモの耳に届くことはなかった。
「……」
 味方には聞こえない。レモの詠唱する古代魔法(エンシェント)も、彼から全方向へ一瞬で広がってゆく衝撃波の轟音も。それは見えないもののはずなのに黒い光の輪と化して前方の帝国軍へと襲いかかる。黒い光は一瞬でレモの前に広がっていた炎を跡形もなく消し飛ばし、その延長線上にあったドラゴンも兵士も召喚士も、音声消去(サイレンス)ゾーンからはみ出た味方の両足さえも、爆発させた。


 日常的とはいえ惨たらしい決着だった。戦闘のあとに残るのはいつも竜巻にでも見舞われたかのように荒れ果てた自然と、大小まんべんなくグロテスクな帝国軍兵士の肉片。晴天の中、生き延びた足元の菜の花たちが血と肉片で汚れている。
 足を粉砕された兵士に治癒魔法をかけている魔道士の横でレモは苦りきった表情のまま瞑目する。どこまで治せるかというレモの問いに対して魔道士の答えは絶望的だった。
「骨も神経も完全に粉砕されている。しかも古代魔法(エンシェント)はもともと治癒が困難な系統ですから」
 単純に火水風土(マテリアル)を操る精霊魔法(エレメンタルマジック)は、使用用途も様々であり治癒も比較的容易だ。それぞれの症状に対する治癒魔法の研究もしっかりとなされている。魔法が発達している昨今では致命傷でもない限り精霊魔法(エレメンタル)で命を落とすことはありえないし、不具になるということもほとんどありえないのだ。これらの理由から魔法を学ぶ初心者や子どもたちはその基本を精霊魔法(エレメンタル)に置くことが共和国法によって定められている。多くの子どもたちはこうして魔法を「自衛と平和創造への道」と強く信じて会得してゆくのである。
 しかし残念ながら現実は違う。
 今や攻撃も治癒も学び尽くされた精霊魔法(エレメンタル)に限界を感じ始めていた魔道師たちは、人間の魔力を超える物理・魔法攻撃力を持つ幻獣を召喚する召喚魔法(サモンズ)や極度の地域性に依存した特殊魔法(リージョナル)、高級宗教職にのみ可能な神聖魔法(ホーリーマジック)、そして未解読の部分が多い古代魔法(エンシェント)と、いわゆる「戦場の魔法(キリング・マジック)」に目をつけ始めた。より治りにくい攻撃魔法や一撃で相手を殺せる魔法こそが至上だったのだ。それも相手が蘇生できないほど完璧に殺せるものがよいとされる。
「おそらく良くて一生車椅子で暮らさなければならないでしょう。処置が遅れれば命に関わります。傷口が魔法負けして化膿し始めている」
 戦争が始まった頃から、魔法は歪んだ。それは明らかに平和目的のものから殺戮目的のものへ突出した進化を遂げるようになっていた。だからレモのような魔道士が隊長などになれるのだ。サポートの魔道士が音声消去魔法(サイレンス)で衝撃波を無効化しなければ彼の呪文は全ての人間を破壊する。今回のような悲劇も一度や二度ではない。レモはそのたびに瞑目して、犠牲になった兵士の憎しみや悲しみを神妙に受け止めるしかないのだった。
「隊長。仕方ないです。戦争ですから……」
 ”英雄”に兵士のかける言葉は限りなく優しい。
「喋るな。傷口に障るぞ」
 レモが辛そうにしているのを見て、その兵士は両足をなくしたまま苦しそうに笑おうとしていた。兵士は本拠地に戻るまで持ちこたえられず、二日後に死んだ。


 共和国暦五六九年、共和国と帝国による第三次世界大戦(サード・ラグナロク)が始まってから五年が経つ。レモ・クラックスは疲弊しきった両国の争いの中で”英雄”として、既に数え切れないほどの殺戮を繰り返してきていた……。


「冷日の魔道士」
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●Novegle対応ページ ◎作者:桔梗鈴◎カテゴリ:FT◎長さ:長編◎状況:連載中◎ダウンロード◎あらすじ:ある所に”英雄”と呼ばれる大魔道士がいた。呪われた杖と災厄以外に何ももたらさない古代魔法を武器に彼は大戦最後の戦いへと身を投じていく。
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