冷日の魔道士 第二章:戦友との再会

 足を吹き飛ばされて死んだ兵士は本拠地のサカラク市に着く頃には死体搬送用のシュラフの中で全身を黒く変色させ、膿みきった傷口から肥大した虫をあぶれかえらせていた。レモの古代魔法(エンシェント)の影響をもろに喰らった結果がこれである。また部隊にいた呪詛祓い(ディスペル)使いが戦闘で死亡したのも大きかった。古代魔法(エンシェント)は基本的には「呪い」だ。呪いであるが故にどんな治癒魔法も受けつけず、対象が死亡してもなおその組織を蝕み続けるという性質がある。昔の人間がその性質の忌まわしさに魔法を封じたのもよくわかる。
 戦闘で疲れきった紅玉第三部隊を寺院で出迎えたのは白銀第一師団の隊長であるケレスト・フォーナックスという男だった。白銀と名前のつく団体は僧侶の軍団だ。フォーナックスはその中でも有能な聖職者として知られている。扉を開けるなり入ってきた悪臭に顔をしかめて嫌悪感をあらわにする清楚な僧官……。
「あいかわらずひどいな」
「済まない。また頼むわ」
「元老院の連中にまた目をつけられるぞ」
 元老院の老いた僧侶たちは、ある意味当然ではあるが、レモの古代魔法(エンシェント)を酷く忌み嫌っていた。古代魔法(エンシェント)はそれだけで神への冒涜行為だとされているし、古代魔法(エンシェント)によって穢れた人間はありとあらゆる化学変化で教会を汚す。いくら死者の埋葬と呪詛祓い(ディスペル)が教会の仕事だとはいえ、聖なる礼拝堂にそう何度も悪臭と虫けらで満ちた死体など持ち込まれては寺院としてもたまったものではなかった。
「別にね、ここで死者を弔うことを嫌がってるわけじゃあないんだ。ただ遺族に何て説明しどうやって納得してもらうか、それを考えると」
「……」
 真実を言うしかないだろうとレモは思う。フォーナックスも、聞くまでもなくそうするだろう。そういう男だ。


 レモ・クラックスとケレスト・フォーナックスの付き合いは長い。第三次世界大戦(サード・ラグナロク)の前の慢性的な地域紛争の時代からしばしば今日と同じ形で顔を合わせ続けてきた。片方は共和国軍の”英雄”として。もう一方は共和国軍の”司法”として。年齢も同じ三十代始めと非常に近く、年齢が若い割にその能力から重用されて、常に最前線に送られる運命も同じ。さすがにこうも何度も顔を合わせていると妙に分厚い友情が生まれてくるから不思議だ。戦友としての友情と言えばいいのかもしれない。用がない時には互いに会うこともないのに。
 フォーナックスはすっかり死人の血や泥で汚れた白い法衣を何度も石鹸で洗っては使っている。節制を旨とする宗教理念のためだが、ここでは法衣の洗浄が死体の搬送に追いついていなかった。
「慈悲の柱、四番目の球体(ケセド)の神エルの名においてこの魂に永遠の安らぎを。生命の樹(セフィロト)の神々の祝福がありますように……」
 寺院に立ち込める埋葬香の煙。フォーナックスは何重にも黄ばんだ法衣で神に祈りを捧げ、”背信者”のレモはその後ろで祈りも捧げずに埋葬香に包まれた部下の姿を見届ける。古代魔法(エンシェント)に全身を侵された死体は呪詛祓い(ディスペル)の儀式を終える頃には元のごく普通の死体へとその姿を変えていた。戦争による死者は遺族の元へ送り返されることはなく、身につけていた金属を兵役用に全て徴収されてからこのサカラク市……死亡した現地で、まとめて兵役者墓地に埋葬される。家族の写真が入ったロケットも真鍮製だから没収される。結婚指輪も。寺院の下級僧侶はニードルで歯に詰まった銀歯まで無理やり引っかきだしていた。
「しばらく見ないうちに教会もえげつなくなったもんだな」
 レモの軽蔑をこめた言葉に、フォーナックスは反論しない。彼自身も最近のやり方には内心怒りを覚えているからだ。共和国政府が物質の困窮を理由にいよいよ死者からの略取を始めたのは、二ヶ月ほど前のことだった。
「戦争を続けると国の名前などわからなくなってくる。上層部には神の嘆きが届いていないのだろうか」
 聖職者らしい台詞。末端の民は同じことを思っているかもしれない。善良な民はその善良さに比例して、意思が弱い。そして意志が弱い人間に人権のある時代はとっくに終わっていた。
「神様の嘆きと上層部の都合ってのは違うよ」
 あっけなく吐き捨てながら”英雄”は寺院の扉を開ける。寺院の外は曇って、いよいよ霧雨が降り出していた。


 ”英雄”の称号は、基本的にその宗教を問わない。共和国軍のために大きく貢献しさえすれば鬼も悪魔もみな”英雄”である。政府や寺院が戦争の実情から民衆の目を背けさせるために生み出した、一種の幻惑。
「やはり寺院の香の中には長時間居られないか」
「……ああ、そうだな。腕が燻られたようになる」
 サカラク市の共和国軍駐屯地に向かうレモの腕は常人なら何ともない寺院の埋葬香に軽いダメージを受け、革のグローブの下から病的に黒ずんだ火傷の痕を見せつけていた。霧雨の中で立ち昇るほのかな湯気。杖を背負っている背中も軍服越しに軽い火傷を負っている。いつものことであるから本人がそれを気にする様子はない。
 レモ・クラックスという魔道士を”英雄”たらしめたのはひとえに彼の強力無比な古代魔法(エンシェント)による敵軍の殺戮だった。古代魔法使い(エンシェント・マスター)の中でも彼ほどの魔力と技術を持った人間は共和国の中にはいない。第三次世界大戦(サード・ラグナロク)の混沌が生み出した共和国軍の黒い超新星(スーパーノヴァ)と称えられ、彼が実は誤って味方をも何度か殺したという事実は共和国政府によって巧妙に隠蔽された。学校で魔法を学ぶ子どもたちは彼が古代魔法(エンシェント)によって憎っくき帝国の鬼畜どもを日々圧倒的な力でやっつけ、追い払ってくれているのだと無心に信じている。
「戦場はずっと一緒なのにお前は今や五千人師団の大隊長。かたや俺は五十人部隊のヒラ隊長で万年最前線要員ときたもんだ。魔道士も強すぎると得なことがない」
 フォーナックスはそれが上層部の恐怖を意味していることを知っていた。レモの持つ古代魔法(エンシェント)の破壊力は本人が二重の魔法陣でセーブしなければならないほど強大で邪悪なものだ。そんな人間に大部隊を任せることのリスクは高い。
「君が権力の座を狙うことが怖いんだろう」
「分相応の働きでもぎ取った自由くらいは欲しいんだがな」
「誰だって制御できない力は恐ろしいよ。召喚竜(バハムート)が権力の座を握れずにいつまでも使役されるのと同じ」
 言外にモンスターと同等扱いされたレモは白けきった顔で軽く溜息をついた。フォーナックスは僧侶にしては変わっている人種に該当すると思う。古代魔法(エンシェント)に組する人間を憎悪しないし、言動に日ごろからまるでオブラートというものをかけていない。
「クラックス、君は古代魔法(エンシェント)を選んで失敗だったね。僕のように神のご加護を得れば最終的には救われるのに」
 古代魔法(エンシェント)神聖魔法(ホーリーマジック)が表裏一体だとレモに教えたのもこの男だった。どちらも「限りなく破壊」し「限りなく癒す」という目的のため互いに光と影となって作用しあっているのだ。
 しかしそれにもかかわらず古代魔法(エンシェント)神聖魔法(ホーリーマジック)に比べて使用用途が極めて限定される。戦場の中で人間とモンスターを破壊し殺戮する、それだけのために生まれた系統。平和な世界では決して使われることも、認められることもない魔法だった。
「しょうがない。俺は力が欲しかったんだから」
 誰よりも強い魔法を使えば戦争を終わらせられるかもしれないと思っていた青春時代を今ではなつかしく思う。それから昨日の菜の花畑の黄緑。
 古代魔法(エンシェント)は着弾した場所をどこまでも呪う。昨日はどうにか生き延びた菜の花畑も今日は根こそぎ枯れ、土まで汚染されているだろう。使用した場所に不毛の災いをもたらす”英雄”の古代魔法(エンシェント)を政府や寺院が持て余しているのは、レモ自身にも何となく解っていた。


 一時間後、レモとフォーナックスは揃って共和国軍総司令部の執務室に出頭した。執務室というのは将軍からの呼び出しがあったからだ。五千人の師団を指揮しているフォーナックスと違ってレモには本来将軍に謁見できるだけの階級はないが、そこは軍も気を遣っている。レモの胸には任されている部下の数に不似合いなほどたくさんの勲章が与えられていた。
「お前らも同期なのに、またえらく毛色が違っちまったなァ。いつの世も世渡り上手と世渡り下手がいる」
「余計なお世話ですよ、将軍」
 階級に似合わず尊大な口を利くレモにメイジャー将軍は寛容だった。もともとはレモも十分フォーナックスと同じかそれ以上の戦績があり、五千人師団を任されていてもおかしくはないのだ。味方に死者を出して上層部にうるさく言われなければの話だが。
「お前もな、クソ正直に死者の報告なんぞしないでおけば今頃今の百倍くらいの部下がついてただろうよ。まあそういう融通の利かないところがこ狡くなくて俺は好きだがね」
 どうしても偉くなると人間狡くなる……そう前置きしてからメイジャー将軍はレモの昇進を告げた。階級は少尉から大尉になり、部下の数は二百人になる。フォーナックスも少将に昇進していた。今度は七千人の師団を任されるらしい。
「何か言いたそうな面だな。クラックス」
 メイジャー将軍の前でレモがいかに不信感丸出しな目をしていたかは想像に難くない。突然の二階級昇進。
「死んだ部下の件はどうなったんですか」
「あれは殉死だ。もうそういう風に処理してある」
 帝国軍との戦闘中に死んだということだけを家族に伝えたらしい。それは軍内では日常的に行われていることだった。ある者はコネを使い、ある者は力や権力に訴え、賄賂を贈り、恩を売る。そうでなくてもレモへのこれまでの仕打ちは厳しすぎた。普通なら取り上げないような粗でさえ彼の場合は昇進を妨げる理由にされていたから。
「詳しいことは明朝の会議で説明する。両名とも下がってよし」
 メイジャー将軍はレモにそれ以上質問の時間を与えてはくれなかった。レモは分かりやすい嫌悪感を沈黙の中に匂わせていい加減な敬礼で退出し、フォーナックスはその場に”上層部”の意図を嗅ぎとったのか、何も聞かなかったような作り顔でレモの後から丁寧に敬礼し退出する。
 四月の始めだった。一人になったメイジャー将軍が静かにガラス張りのテラスの外を見やると、玄関広場が霧雨に包まれているのが見える。ターコイズブルーと白の下地に農耕用の牛車をあしらった共和国の国旗がたなびいていた。


「冷日の魔道士」
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