アトリエ

都心から少し離れた 小さな一軒家
そこに二人のアトリエがあって
男の方は大介さんといって
女の方はリョウさんといった
撮影のための部屋がひとつ
現像のための暗室がひとつ
いろんな人間の寝るベッドルームひとつ
あと コンクリート剥き出しの壁と
空をいくぶんか大きくくりぬく天窓
光をいっぱいとりこむ小さなダイニング
フローリングの床でできている居間

他には何もなかった


天窓が月のひかりをくりぬくとき
八畳ほどの居間は暗くて蒼い
なのに月の光があるので明るい
青みがかったコンクリートにもたれてすわっていれば
ドアの閉まったベッドルームからは男二人の喘ぎ声
リョウさんは いつからか
そういうものを聞いていても平気になっていた。

それは大介さんが撮影を終えて
モデルの男と寝ているあかしなのだった。
大介さんは女も好きだが男の方が好きらしい。
女と寝ると、大介さんは男だから
自動的に子孫誕生がどうとかいうことになるのだが
大介さんはそういう満たされ方があまり好きではなかった。
女と寝ると満たされすぎてそこで終わってしまう。
基本的に 精子と卵子が結合して
愛情が完成されてしまうという経過が嫌いだった。
それは避妊をすればいいという感覚ではなくて、
避妊をしなければそうなってしまうという、
どうしようもない”つくり”に対する嫌悪だった。
そんなわけで大介さんは男と寝るのだ。
いつまでも欠落している純粋さを愛する。

リョウさんは そんな大介さんの主義をあしらいながら
毛布にくるまってフローリングの居間で寝るのだった。


天窓が朝のひかりをくりぬくとき
八畳ほどの居間は明るくも暗くもなく なんとなしに蒼い
朝の適度な光量と空気が窓から直通で入ってくるのだ
ベッドルームから居間に続くドアを開ければ
壁際で毛布にくるまって寝ている一人のリョウさん
大介さんは何とも思わない
ああ、いたのか……と、その程度に思う。

ベッドから出てきたモデルさんの多くは
しばしば リョウさんの存在に驚くのだった。
何せことを終えて出てくるとそこで寝ている。
「ちょっと、大介さん何だよこの男?」
「男じゃない。リョウっていうんだ」
大介さんはリョウさんのことを説明できないので
男達の嫉妬心をやわらげるのに年中苦労する。
リョウさんは モデルさんが間違えるような短い髪の切り方で
筋肉はあるくせに痩せていて 仕草が至極中性的で
しかも自分のことを「俺」と言うのだった。
リョウさんは女にも男にも程遠い。
女らしい心の動かし方も男らしい心の動かし方もよくわからず
結局ごっちゃのまま大きくなってしまったのだった。
おかげで ひとを心で好きになることはあっても
からだを触られるともうお手上げだった。
特に男だと駄目だったりする。
頭が真っ白になって 全身が混乱し
わけがわからなくなって逃げ出してしまう。

大介さんはそんなリョウさんのことを
「女」だとも「男」だとも説明できないので
「リョウさん」だと説明するのだった。


二人は このアトリエで暮らしている。
本来二人はそれぞれ自分の家を持っているが
この場所は二人が写真を編集するのにとても都合がよかった。
二人は互いのことを空気のように なれなれしく
そして自然にあつかったが
何を思ってかベッドルームにベッドが増えることはなかった。
ベッドルームに先客があって ドアが閉まっていたら
そこには入っていかないのがきまり。
のこった側は小さなストーブを焚き、あるいは窓を開けて
居間の毛布ですやすやと眠る。
そして朝になればむくりと起きて
食べたいものを人数分だけつくる。
「それは随分と変な間柄だなぁ」
モデルさんと三人で朝食をとることも珍しくなかった。
モデルさんは大介さんとリョウさんの仲を いぶかり
男特有の嫉妬心をこめていろんなことを探ってくる。
何もないのだと説明しても絶対にわかってくれないので
最近大介さんはこんな風に説明してカタをつけていた。
「ようするにな、二人とも同性愛者なんだ。
部屋を分け合う分には問題ない」

実際には そんな割り切れた仲ではなく
二人とも女も好きなら男も好きだった。
リョウさんは大介さんに比べて繊細だったから
大介さんのそういう説明が内心嫌で嫌でしょうがない。
大介さんはしょっちゅう恋愛に走るくせに
本当のところは突き抜けて 最高に無神経だった。
彼がしょっちゅう男を連れこんで声を上げさせている時に
居間でリョウさんがどんな思いをしているかなんて
何も感じていないといいながら 封じ込めた胸の奥には
小さいながらも うんと惨めな思いをしていることなんて
大介さんはコンマ三秒くらいで忘れる。
リョウさんは大介さんの話になると
あえて無神経になるように心をもっていくのだった。
こんなアトリエで 互いに全然違う方を向きながら
それでも一緒に居るためには
やりきれないけどそうするしかないのだと体で知っていた。


天窓が太陽のひかりをくりぬくとき
八畳ほどの居間は眩しく 黄色っぽいクリーム色になる
部屋中いっぱいに満ちる太陽の恵み
「それじゃあ送ってくるよ」
暖かいコンクリートの壁にもたれて
リョウさんは二人を見送る。


そんな折だった


「こんにちはぁ。大介さんいますかー?」
うとうとしそうな昼下がりに
アトリエのチャイムを押す少女がいた。
リョウさんが何事かと戸を開けると
少女はおませで 意志の強い顔をして
眠そうな顔のリョウさんをじっと見上げた。
「お姉ちゃんがうちのお父さんの恋人?」
昔大介さんが選んでいたリボンを
きっちりとポニーテールに巻いて。
「違うよ。そんなにいいもんじゃない」
説明しても絶対にわかってもらえないので
リョウさんはとりあえずその少女を部屋に上げることにした。


「今度ね、お母さんが再婚することになって、
それで日本に帰ってきたの。
めちゃくちゃかっこよくてやさしくて若い男の人なのよ。
知らないんじゃお父さんがかわいそうだから
一応報告しといてあげようと思って」
前に大介さんからちらっとだけ聞いたことがある。
その女の子はゆかりちゃんと言って、
日本人で半分アメリカ育ちの女の子だった。
見た目はどう見ても日本人の十歳の女の子だったけど
中身は母親似で、頭が良くてはっきりさばさばしていた。
「すてきなアトリエね」
ゆかりちゃんはこのアトリエをひどく気に入ったようだった。
光が一杯に満ちた何もない部屋と
自然と雑多な散らかり具合になったスタジオや暗室が
秘密の場所みたいで好きだといった。
「お姉ちゃんはいいなあ。こんな秘密の場所で
お父さんと一緒にお話ができるなんて」
「そうかな?」
「そうよ。こんなすてきな秘密の場所ってなかなかできないのよ。
私室内でデートするならこんな場所がいいわ」
おませで ちょっと可笑しくて かわいい花が咲いたようだった。
人によってこのアトリエはこんなに変わるのかと思いつつ、
リョウさんは彼女につられて笑ってしまった。
「紅茶でも淹れようか。何がいい?」
「アップルティーがいい。砂糖は一個と半分ね」
ゆかりちゃんは何事にもはっきりとものを言う女の子だった。
リョウさんは アップルティーだけは用意できなかったけれど
それだけきちんとこだわるゆかりちゃんを好もしく思った。
光いっぱいのキッチンに 二杯のレモンティーと
どこかの国の茶菓子が並んだ。
「これなあに? 外国のお菓子?」
「うん。どっか行った時にお土産で買ってきたやつ」
「どっかってどこ?」
「さぁ……? 英語で書いてあるし、多分英語圏のどっか」
リョウさんはしばしばいろんな国へ出かけた。
大介さんが人間や生き物ばかり撮るのに対して、
リョウさんは風景や静物を撮るのが好きだった。
二人ともパスポートには無数のハンコを刻みつけている。
英語は楽々話せるし、他の言葉も少々は話せた。
フランス語、ドイツ語、スペイン語にロシア語にアラビア語。
中国語にインドネシア語にスワヒリ語にヒンズー語……等々。
「オーストラリアって書いてあるわ」
「じゃあオーストラリアのお菓子かな」
二人のアトリエには、国籍の匂いがなかった。
ゆかりちゃんがこのアトリエを「秘密の場所」と言うのには
色々特有の匂いがなかったことが大きかったのかもしれない。
もっとも機材や現像液の匂いはもとからあるのだけど。
「私ねえ、お父さんのこういうとこが好き。
お父さんにはすてきな秘密が数え切れない程一杯あるわ。
だからお父さんはおじさんになってももてるのよ。
ねえ、お父さんには新しい女の人できた?
私ね、ほんとのところはそれが聞きたかったの。
お姉ちゃんはほんとに違うの? 恋人は他にいるの?」
父親がモデルの男をとっかえひっかえして
やりたい放題で生きているなんてとても言えなくて、
リョウさんはテーブルに首を落としてしまうのだった。
どう説明しても絶対わかってもらえない。
このアトリエの秘密。

「女のひとは、いないみたいだよ。
大介さんはゆかりちゃんのお母さんにしか心を許してないから」
それさえも嘘だと言いながら思った。
大介さんはだれの奥にも踏み入らない。
そして誰も自分の心の奥には入れないだろう。
欲しい時には自分で実力行使して
からだと感覚だけ繋げればいいと思っているに違いない。
いつまでも欠落している環境を心底愛している
あのひとのことだから……
「私に遠慮することないわ。
私ね、男女関係ってもっとドライなものだと思うの」
ゆかりちゃんの方が自分より
遥かにさっぱりしているとリョウさんは思った。
それに対して 光いっぱいのこのアトリエで
ちいさな感情にうだうだ悩む自分って一体何なんだろう。
「お姉ちゃんはお父さんの事好きなの?」
「好きだよ。いいカメラマンだと思うし、人格に深みがあるしね」
「そうじゃないわよ。”Like”と”Love”と、どっちなの?
それが私にとって一番たいせつな事だわ!」

このアトリエでは、はっきりしてないものを
あえてはっきりさせる習慣はなかった。
だから壁時計は現像用以外なくてカレンダーだったし、
テレビはなくて時々音が飛ぶラジオが置いてあったし、
ベッドルームにはベッドが一つしかないのだった。
「どっちかにしなきゃいけないかな?」
リョウさんの答えはテーブルの上を彷徨った。
ゆかりちゃんは、その答え方が
あまりにアトリエと調和しているので 妙に納得し
おしゃまな仕草でレモンティーをすすった。
「それも秘密なのね」
「そう。はっきりしてないことはここでは全部秘密になる」
自分の中の小さな秘密を暴かないで、
そのままにしておいてあげたかった。
秘密だからこそ美しいことがある。
はっきりさせたらここでは全てが色褪せてしまうことを
リョウさんは知っていた。
「秘密を守るのってつらい?」
「つらいよ。時々はっきりさせたくて叫びたくなる。
そういう時にはアトリエには入らないようにしてる」
アトリエは確かにすてきなところ。
だけど、いつも住む場所じゃないんだ。
リョウさんはそう言ってレモンティーを飲み干した。


天窓が夕日を部屋の中に満たす頃になって
大介さんはようやく帰ってきた。
「お父さん、お帰りなさい」
ドアを開けて大介さんはきょとんとした顔になった。
何せ忘れかけていた娘がいたのも驚きだが、
その娘がリョウさんとうちとけて話しているのだ。
もうすっかりこのアトリエの住人になったかのように。
「お姉ちゃん、バイバイ。もう会わないかもしれないけど
お姉ちゃんとはお友達になったってことでいいわよね?」
ゆかりちゃんはリョウさんと”秘密”を作ったことで、
アトリエの住人になる資格を手に入れたのだった。
秘密を抱えた彼女は アトリエを訪れる前よりも一層可愛らしく
また大人へと近づいたようでもあった。
「また、いつでもおいで」
リョウさんはそんなゆかりちゃんを笑顔で祝福した。
間柄や年齢を越えて彼女と友達になれたことが嬉しかった。


そんなわけで、アトリエにまた夜がやってくる。
必要最低限の高熱電球でアトリエは夜を受け容れる。
「いやあ、女ってのはわからんよ。
あれだけわけのわからないエネルギーを肋骨の内側に
何の苦もなく収めてるんだからなあ。女の胸の中には
混乱(カオス)が高濃度でうずまいているんだなあ」
その日も大介さんは思想的な台詞を惜しげもなくぽんぽんと
吐き出し、ポタージュをすするリョウさんを苦笑させた。
「そういうもんなの?」
「ああそうだ。女ってのは物心ついた時からそうだぞ。
お前も何となくそういう兆候ないか?」
「わかんない。度合いが弱いからわからないのかな」
自分のそれは純度の高い女性からすればかわいいものだろう。
「肋骨があんまり強くないのかもしれない」
「ああ、きっとそうだ。女は肋骨の強度がまるで違うんだろうな」
わけのわからないことばかりがここでは習慣のように
認められていく。それが正しいのか間違っているのか、
AなのかBなのか。このアトリエでは裁かない。
「俺の娘もしばらく見ないうちに女の肋骨を作っちまってたなぁ。
あの中に男とは比べものにならんほど混乱を収めて、可愛く
笑ってるんだもんなあ。いやわからんわ。ほんと」
「確かにあんたにはわかんないかもな。あの中にうずまいている
ものを分析しないで、混乱なんて言っているうちはね」

時々、大介さんがあんまり無神経なので
リョウさんは意地悪をしたくなることがあるのだった。
女らしい女ではないにしたって、いろんなことを考える。
一つの感情が相反する感情を産み、混ざってふくれてゆく。
人間の肋骨の内側。
「ちょっと聞いていいか」
「何を」
「ゆかりがな、俺に何か言いたがってたんだ。なのに訊ねると
絶対に教えてくれないんだよ。ここで何かあったか?」
「……さあ? 知らないね。本人に訊けば」
秘密だからこそ美しいことがある。
アトリエの日常。


「アトリエ」 / 第三回うおのめ文学賞 実行委員長特別賞受賞作品

●Novegle対応ページ ◎作者:桔梗鈴◎カテゴリ:現代◎カテゴリ:恋愛◎長さ:SS◎状況:完結済◎ダウンロード◎あらすじ:トランスジェンダーな♀のリョウさんとバイで男好きな♂の大介さんはなぜか同じアトリエで暮らしている。アトリエの日常。

Copyright © 1999-2009 桔梗鈴 All rights reserved.
Thank you