レインボー・チリ・ペッパー

 俺とヒゲ男は廃車寸前の古い赤セダンに乗り、山間の国道をかなりの速度で飛ばしていた。カー・ラジオから爆音で流れ出るグランジがウィンドウの隙間から高速のリボンになってたなびき、後続の車にあたって気化していく。
 ヒゲ男は後ろのシートにだらしなく寝転がりながらパーティーの残り物のピザにこれも会場からかっぱらったコショウをふりかけまくっていた。むさくるしい体臭をまとっていつまでも笑い続けている。あんまり笑い声が続いて癇に障るので、俺は運転席に座ったまま後ろに怒鳴った。
「おいちょっと黙ってられねえのかよヒゲ男。うるせえんだよ」
「黙ってろデブ。いひひひひひひひ」
 ヒゲ男は、いわゆるラリパッパというやつで、昨日パーティーに行くまでは至極まともだったがパーティー中に離れたあと戻ってきた時には恐ろしくフラワーチャイルドになっていた。さっきからウィンドウの外の光を指差して「ハロハロ天国」と連呼している。ハロハロの意味はともかく天国の意味については俺は考えないことにした。
「ピザ食う? なあピザ。ピザ食うと虫歯が治るよ」
「あーわかったわかった。わかったから!」
 ヒゲ男が突き出してきたピザの具が今にもシフトレバーの上に垂れそうだったので俺はあわててピザを受け取り、運転しながらコショウ満点の刺激的なチーズを腹の中にたいらげた。

 パーティーがあったのは都会からちょっと離れた山中の町にあるクラブハウスで、俺とヒゲ男は昨日そこでアングラ・マイナーバンドの『ミミィ&キッド』のライブを見た。バンドメインのパーティーというよりバンドの方がパーティーのパセリみたいな存在だったが、俺としてはボーカルのミミィが拝めればそんなことはどうでもいい。
「ぐひひ……デブよお、俺は知ってるんだぜ」
「何をだよ」
「おまえが、おまえが、おまえが……うひひひひ、ミミィちゃん」
 そこで台詞が終わってまた笑う。唐突にセンテンスが切れても何の疑問も感じないヒゲ男の脳を、ジューサーにかけて高速道路にぶちまけてやろうかと思った。
 『ミミィ&キッド』のミミィはバンドメンバーでギターのキッドと入籍したばかりで、できちゃった結婚とか言っているがその実腹の中のガキはキッドの子ではない。多分数年来のコアなファンだった俺がコンドームを使わないでトイレでミミィを襲ったからだが、キッドは律儀なくせに自分がどこかでラリパッパになってコンドームをするのを忘れたからだとかたくなに信じている。さらに言うとミミィはガキの父親は俺以外のストーカーだとかぬかしやがった。ゆうべトイレの個室の中で。
 ハンドルが青く変色してゴムホースのようにぐにゃりと曲がった。俺が驚いてハンドルを引っ張ると、ハンドルはろくろっ首のように根元から伸びた。
「ああああああ!」
 おい、ハンドルが伸びたぞ!!
 車は赤玉さながら黒い子宮の中へ飛び込んでいく。赤色灯が巨大な赤血球のように丸くなって窓の外を次々と飛行している。
「ヒゲ!! ハンドルがガムみてーに伸びちまったじゃねえか! あ!?」
 バックミラーの中でヒゲ男が笑いながらけばけばしいピンクのコショウ入れを振り乱していた。「ピザ食うと虫歯治る!」俺はピンクのコショウ入れの中身のラリパッパがハロハロ帝国の陰謀だと気づき、後ろのシートに身を乗り出してヒゲ男から急いでコショウ入れを取り返そうとした。
「てめえっハロハロ帝国のスパイだろ!? 変なもん盛りやがって!!」
「あーーやめろ! ハロハロ天国だ! 帝国じゃないーーっ」
 車は発光する子宮の曲がり角に吸い込まれて思ったよりも硬い強烈な感触でクラッシュし、瞬間俺もヒゲ男も車内でピンボールの玉のようにはねくり返った。

 へしゃげた鉄の塊からどうにか脱出した俺は黒い子宮が実はコンクリートの柔らかいトンネルであることを知り、真っ赤な空気の中で立ち上がったあと二時間ほど片足立ちで浮遊してから足を下ろした。内臓がバウンドした音が聞こえる。トンネル内の臭くて緑色のニオイが赤い空気の中に混じって視える。アスファルトに這いずりだしてきたヒゲ男は右足の膝から下が妙な方向に捩れていて、血まみれ粉まみれになりながらまだおかしそうに笑っていた。
「デブ! なあなあ緑のバンビが百匹ぐらい走ってくる音が聞こえる」
「あああいねえよおおおおおおおそんなのは!」
「ミミィちゃんと大地。ミミィちゃんは大地なんだ。おまえら二人で合体してバイブする白い石鹸なんだろ?」
 ヒゲ男はミミィの名を連呼しながら公然とズボンとパンツを脱ぎ、アスファルトにうつ伏せに寝そべって腰を動かし始めた。奴の一物がアスファルトを貫通して大地と接合した時世界は奴の精子に犯されるという危機的な状況を阻止するため俺はへしゃげた鉄の塊からはずれかけたバンパーをむしり取ってヒゲ男を後ろから三百発近く殴り続け、奴の脳みそが頭からファストフード店のシェイクのように出てくるのを確認したあたりでミンチにならなかった奴のケツに蹴りを一発おみまいした。ヒゲ男はやっとおとなしくなった。
 このトンネルはどっちが出口なのか。どっちが入口なのか。俺は両方に目を凝らしてハロハロ帝国じゃない方へ足を進めることにした。天井に定感覚でつけられた扇風機が空気を混ぜて俺の足にはたらきかけ、俺は何度も足をとられ転びかけた。斜めになったまま三十分ほどフワフワ歩いている時が一番心地よかったが、あとはおおむね気分がよくならず、早くこの赤い世界から出たい気分で一杯だった。
 途中でディスカバリー号の発射シーンのあの炎がロケット燃料じゃなくて核なのではないだろうかと思い始め、トンネル中をSF映画のクラシック音楽が足を生やして俺の脇を大行進していった。俺は宇宙に飛び立つために生まれてきたのです……今はこんなところでふつうの人としてくすぶっているけれど。
 三日ほどトンネルを歩いたと思うがトンネルを出られなかった。携帯と腕時計が途中から読めない文字しか表示しなくなり、壁の標識もいっさいがっさいが読めなかった。全部ハロハロ帝国の陰謀だ。俺はハロハロ帝国に捕らえられ巨大な女の子宮に捕らわれた虜囚なのだ。ざらついた壁にはどこもコールタールとヤニがしこたま付着しており、俺は三日と二十分の長さの違いがわからないまま道路脇にへたりこんでしまった。

 ナンセンスだ……。

 さっきヒゲ男がバンビの蹄の音とか言っていたのは実はトレーラーぐらいでかい芝刈り機の音だった。全部意味があるくせして大した意味がないんだ。去勢された意味ってやつだ。俺は遠くに回ってる芝刈り機がこっちに来て俺をミンチにしないうちに立ち上がってまた歩きだす。
 一週間歩いた甲斐があった。UFOみたいな赤血球をばら撒き続けていたコールタールのトンネルはようやく外への出口を無限にあけ、赤い光のリボンを巻いた白黒のハイヤーを俺の前に待たせておいてくれた。


「君、ちょっと署まで来てもらおうか。トンネルの中の死体は知り合いかね」
 くすんだブルーの制服を着た警官が俺の両手に本物の手錠をかける。俺はまだ事情が呑み込めていなかった。見ると、重い手錠をつけた俺の両手は血まみれで、俺のシャツも血まみれで、俺のズボンも血まみれだった。
 俺は至って正気で本気だった。
「汚ねえなあ。これバンビの血だろ?」


「レインボー・チリ・ペッパー」

●Novegle対応ページ ◎作者:桔梗鈴◎カテゴリ:現代◎長さ:中短編◎状況:完結済◎ダウンロード◎あらすじ:デブはパーティーの帰りにヒゲ男の振ったコショウ入りのピザを食った。現実を突き破りまくる五感と馬鹿馬鹿しさがデブを襲う。

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