螺旋回廊

 とかく不経済な男女だった。中世の王侯貴族の富は数百数千万の奴隷の血を搾り取るようにして築かれたが、日本に暮らすこの男の場合もあるいはその血の一滴、二滴なりと流れていたやもしれぬ。
 都内でも県境に近い地区、住宅街からほんの少し離れた小高い丘の上にその男の邸宅はあった。三十代にして両親はなく明治時代からの堅牢な一軒家を相続し、おまけでついてきた幾分かの金を相続税にあて、残りの一部で一軒家を好き勝手にリフォームした。それまで堅実且つコンパクトなつくりだった階段が男の意思一つで壁際を這う螺旋階段になり、旧時代の金持ちならではの高い屋根とあいまって豪奢な吹き抜けをつくる。
「壁紙がかびてたんで全部張り替えたんだけど、寝室のこの白はもう飽きたんだよ。近いうちに真っ赤に張り替えるから落書きでも何でもして良いよ」
 スノビズム(=俗物根性・紳士気取り)と狂気の合作ともいえる異様なオーラを醸し出した家だった。三十代にして家を持ち、うるさい両親もなく天涯孤独で金回りも学歴も見栄えも良かったこの男はたくさんの女にもてた。しかし豊かさを追い求めるにはあまりにも若年にして多くを手に入れすぎ、彼は女を連れ込んでセックスを重ねるたびに寝室の調度品を変えていく。誰も止めるもののない中で一軒家の調度品はどんどんちぐはぐな組み合わせへと暴走していった。
 調度品と同じ頻度で女を取り替えていった結果、今の女に落ち着いた。今の女は家具同様万人に好かれる類の女ではないが、金と自身の安定への興味が毛ほどにもなく男が贈ったディオールの時計にも美しい顔をひそめて軽蔑の視線をくれた。ただ趣味ではないというそれだけの理由で。それよりもアクアリウムを買ってと女が言うので男は時計を贈った後おまけで数十万のアクアリウム一式を買い、女がベタという熱帯魚の雄を何十匹も買い占めて三日で全て死なせアクアリウムに苔を生えさせるのを見ていた。女はアクアリウムに飽きたのだった。
「ベタって二匹同じ水槽に入れると死ぬまで戦うっていうあれだろう」
「ええ」
「水が腐ってるから一回全部捨てて、入れ替えよう。タニシでも入れておけば。あれは水槽の表面につく藻を食べるはずだから」
 結局男は女と一緒に数十匹の腐ったベタの死体を水洗トイレに流し、巨大な水槽を男の邸宅に持ち帰ってサーモスタットやエアーポンプなどの装置一式をつけ、洗った砂利をしいて数匹のタニシを飼うことにしたのだった。
 一階フロアでタニシだけの巨大な水槽にこぽこぽと空気が噴き出される。女は水槽とともに男の邸宅に寄った後はどこへもいかず、二人でジンをあおった後にセミダブルのベッドでたわむれてから壁に絵を描き始めた。
「本当に描きやがったよ、この女は」
 女は白い壁紙にボールペンで細密な描写をする。DNAのように一つとして同じものがない小さな図柄が細胞のようにくっついて無限増殖していった。男はベッドの上から女の創作風景を眺めつつ、次に部屋に貼る壁紙の赤の色合いを考えていた。

「赤は、ヨーロピアンでも黄色がかった鮮やかな赤が良いな。花びんを買ってきてダリアを飾ろう。なあ、ディオールもいらないんなら壁に打ち付けちゃっていいか」
「どうぞ」
「うん。一階の電話脇かトイレの壁にでも打ち付けちまおう。お前さんはどこの時計ならよかった?」
「興味ないわ。そのへんで売っているもので、いいものがあれば」
「来週店でも回ろうか。カルティエ、ブルガリ、グッチ、エルメス、シャネル、ロレックス、ティファニー、フランク・ミュラー……」
「ブランドものばかりね」
「ブランドにただのひとつも興味がない女というのは、逆に思い上がりだと思うんだがね。仕事や車に金を使うのは当然だが余分な金があったら女を愉しませてやりたい。野菊よりもダリアが好きなんだ。アメは七色あったら全部買う」
「あなたは余分な金ばかりじゃないの」
「そうさ。悪いか?」
 女は男の問いかけには返事をせずに細かい絵を描き続ける。悪いということはひとつもないのだった。
「女も良いけれど男同士での社交もなさいよ」
「若いころの友人たちは今みんな貧乏なんだ。いや、貧乏とはいわないが中流層でね。これだけ格差があるとなかなか心安らぐ付き合いとはいかないんだよ。俺自身がこれほど金持ちになるとは思ってなかったから」
「それは不幸なことね」

 お洒落を気取るスノッブ男の多くがイタリア製品を愛するという中流層の思い込みをなぞったものかどうかは知らないが、男は一軒家のガレージにマセラティ・スパイダーを一台持っていた。
 家の中で工具箱を傍らに男がディオールの時計を電話脇へ打ち付け終わると、二人はマセラティに乗って都内のブランド通りへと繰り出した。男も見栄えが良かったが女もディオールの時計程度には見栄えが良かった。二人は通りをゆく人々の羨望のまなざしを浴びながらウィンドウ・ショッピングをし、結局女の趣味で時計ではなく高さ一メートルほどの大きなうさぎのぬいぐるみを買った。夜はホテルのレストランで夜景を見たが、男も女も頭にあるのはあの異様な邸宅の改装のことばかりで夜景も高級料理の味も大した記憶には残らなかった。
「ねえ」
「ん?」
「三人掛けか四人掛けのテーブルを買いましょう。うさぎを床に置きたくないわ」
「それは構わないけど。というか、お前さんは俺の家に住む気なのか」
「居心地が良いからもう数日いても良いかしら」
「良いけれど」
 女は自分から住みたいと言ったわりには自分で違和感を感じたらしく、男が帰りに四人掛けのテーブルセットを買ったところで「やっぱり帰るわ」と言い出した。男は「それが良いだろうね」といいながらテーブルセットを自宅に運ばせ、代わりに自宅にあった十人掛けのテーブルセットを引き払わせて女のうさぎを四人掛けの椅子においた。男は翌日テーブルについたうさぎと自分と空き席二つとで静かな朝食をとり、その日の仕事を終えると女を邸宅に連れ帰ってうさぎを交え夕食をとった。女は二日もするとうさぎのぬいぐるみにも飽きた。男が壁紙業者に手配をする前にぬいぐるみはゴミに出され、
「もうちょっとリアルなのを置きたいから人形を買って」
 という女の一言で男は女に年代物のフランス人形を買った。

 男が深夜のたわむれから目を覚ますと、女はランプの光を壁にかざしてまた絵を描いていた。ベッドで眠っていた男の寝顔のクロッキーが、白壁に浮かび上がる。
「嫌だな。俺の似顔絵を描くなよ」
 男はそれまでになく険悪な表情を浮かべた後で絶対に壁紙の張り替えを急がせなければと考えた。男は自分で鏡を見るのと違って、他人に似顔絵を描かれるのが嫌でたまらなかった。自分を見る他人の心の中を直に覗くようでぞっとするのだ。
「あなたも何か描けばいいわ」
「嫌だね。何を描いたらいいかわからないし、お前とだと悪趣味になりそうだよ」
「一度くらいきちんと見ておいたらいいのよ。悪趣味というものを」
 男は女の勧めにも首を横に振る。そこまでして意図的に家を悪趣味に走らせる気はなかった。
「似顔絵以外は何を描いても良いけどな、その絵は週末になったら壁紙ごと根こそぎ剥がして捨てるからね」
 翌朝男はフランス人形の女の子を間に挟んで女と朝食をとった。今まで男に結婚をもちかける女は何人もいたが、男はあの打算の入り混じった砂糖菓子のような口調に出会うとそのたびにうんざりしてその折々の彼女を取り替えた。家のちぐはぐな調度品に女たちが持ち込む安定や憧れの色も何度となく壁紙や調度品を変えては消す羽目になる。
「何かが違うのよね」
 朝食の場で女は早くも男の買い与えた人形に向かって考え込むそぶりを始めた。朝食の場で二人の目はフランス人形の少女にそそがれる。小さくてマホガニーの椅子から今にもこぼれ落ちそうな、完成された形骸だった。
「俺とお前さんとフランス人形でかい?」
「閉ざされた未来って感じの構図が嫌」
「まあ確かにね」
 女は結局二日後にはフランス人形をゴミに出していた。週末になって男の家にリフォーム業者が訪れ、男が改装の間マセラティで外出していると帰ったときには男の寝室は鮮やかな赤の壁紙になっていた。
 夜になると女は突然ゴールデン・レトリバーを買って家に帰ってきた。寝室のプロジェクターで映画を見ていた男が突然の犬の鳴き声に驚き螺旋階段に出てみると、階下に人懐こい顔立ちをした大型犬と女が立って男を見上げている。
「どう。かわいくない」
「うちに犬小屋はないぜ」
「ガレージで寝かせてよ」
「おい! ガレージに入れたら殺すからな。そんなの玄関に縛りつけとけ。冬じゃないし屋根は明日以降でもいいだろう」
 犬を玄関の柱にくくりつけたあと女は男の部屋にあがり、真っ赤になった部屋の中で映画を垂れ流しながらベッドの中でたわむれた。ゴールデン・レトリバーは他のものと違って結構長持ちした。女は落書きが捨てられたのを惜しんだが男としばらくの間むつまじい関係をもち、二人で犬小屋を買うときも皿を買ってドッグフードを流し込むときもご機嫌な調子でいた。

「なあ」
「なに」
「お前は”結婚して”って言わないんだね」
「結婚してって、何をどうするの。友人を招いて挙式をするの? ハネムーンをするの?」
「そうだよ。そういうものを夢みるんだ。俺だったら行き先を厳選して毎日夢のような景色を見せてあげるよ」
「新婚旅行の間はでしょ。……逃げたくても逃げられない関係なんて考えられない。ましてあなたと」
「おいおい、そんなことを言うがね。この前からお前がころころ変えてるうさぎやら人形やら犬やら……あれは一体なんなんだ」
 二人ともがベッドの中でむっとして遠くを見る夜に、犬の遠吠えがうるさかった。男は自分から女をなじったが、結局女が男に背を向けて何も言わずにいると自分も背を向けて眠り込もうとした。
「吠える声がうるさいわ」
「去勢してしまえよ」
「うん……何かが違う」
 女がふらふらと寝室を出て螺旋階段を降りていく。しばらくして犬の遠吠えはしなくなった。
 男が寝室を出て螺旋階段に座り、吹き抜けの天井からガラス窓越しに月を見ていても女はなかなか戻ってこなかった。アクアリウムのタニシもそろそろ風景に同化していて、捨て頃のように感じた。新しい水草を入れて魚も入れればまだ保つだろうか。あの水槽は圧倒的な存在の風化に、耐えられるのだろうか。
「ねえ、大型犬ってゴミに出せるの」
「無理。死んだ?」
「うん」
「物置にシャベルがあるから庭に埋めよう」
 男は口から泡を吹くゴールデン・レトリバーを月夜の下で庭に埋めた。作業を通して男と女は仲直りし、あくる日にはまたそ知らぬ顔で二人きりの朝食を摂っていた。二人はやがて施設から十歳ほどの里子の少女を一人調達し、ぼろだった服を男の手によって新品のブランド子供服に変え三人で食事をとるようになった。里子の少女は男の邸宅に入った瞬間から螺旋階段のフロアの異様な雰囲気に首をきょろきょろさせ、まったく自分の家とは思えない様子でがたがたと震えていた。
 里子の少女は二日もたなかった。女は朝食の場で男と自分と間に座る少女を見比べ、またも軽い調子で眉をしかめた。
「何かが違うわ」
 ふむ、と相槌をうちながら男と女は見つめ合う。二人の間に座る里子の少女も二人にとってはまた欠落していたのだった。男はそろそろ赤い壁紙の方にも飽きてきたので週末には青い壁紙にしようと言い出し、タニシと一緒に里子を殺して土に埋め女と一緒に新しい水草を買いに行った。

「ねえ、飽きたわ。今度はフロアの壁を塗らない」
「そうだな。寝室は青くするから、オレンジで塗ろうか。いい具合に補色になるかも」
 男はマセラティに乗りながらけさ朝食の場に座っていた少女の違和感を考えた。そうして途中で買い物に行くのをやめ、勝手に車をUターンさせて再び自宅へと向かった。
「どうしたの」
 忘れ物でもしたのかと小首をかしげている女をとりあえず家まで運び、ガレージに車を停めると女の手を引いて家に入り螺旋階段を音を立てて一段一段のぼっていった。
「やっぱり俺たちで作ろう。子ども」
 本能的な判断だった。男の言葉に女は初めて寒気にも似た納得を感じ、全身全霊で叫んだ。
「破滅するわ」
「うん、そんな気がするんだけどさ。一旦思いつくと、もう他のことは何をやっても退屈なような気がする」
 かくて二人は退屈を紛らわせるもっとも刺激的な行為のために真っ赤な寝室に戻り、手を取り合ってベッドへ向かうのだった。


「螺旋回廊」

●Novegle対応ページ ◎作者:桔梗鈴◎カテゴリ:恋愛◎カテゴリ:現代◎長さ:中短編◎状況:完結済◎ダウンロード◎あらすじ:金にあかせて屋敷の調度品を買い替え続ける男と、すぐ買ったものに飽きる女。果てしない消費の果てに行き着いた二人の答えとは。

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