The Agents Vol.3-9 / ジャンク屋にて

 数分前までの緊迫した活劇とはかけ離れた呑気な汽笛が鳴り響いて、鉄のコンテナの中にいた俺にも客室にいた上村にも船の出港を告げる。時刻は八時半を回ろうとしていた。騒ぎのお陰で貨物を積み込むのが若干遅れたのだ。
 ようやくかという思いが強い。下ろした腰をもう上げられそうになかった。コンテナの中に照明器具を持ってくるのを忘れた俺はときおりポケットから百円ライターを出し、指先が火傷しそうになるまで火を眺める作業に没頭した。真っ暗だ。コンテナの外も特別大きな照明などはないらしい。船さえ出てしまえば有り余る時間との戦いが仕事のようなもので、ティモンなどは爺さんの脇で気絶したように眠っている。
「ナリタ、あんたは寝ないのか」
「寝ないよ。日本に帰るまで安心して寝られたもんじゃないからな」
 拷問で無数の針を突き立てられた両腕がぱんぱんに膨れ上がって変色している。どうも痛めつけられた内臓とあいまって熱を持っているようだ。俺はライターの火が指を焦がす痛みでどうにか正気を保ってはいたが、正直爺さんと喋るのさえしんどいと思っていた。
 ライターの小さな火が消えてしばらくそのまま放っておくと、俺の脳は目の前の暗闇の中に幾度となく昼間の死体を投影した。何より自分の内からそういう画像が浮かんでくるという事実が俺にとっては不快でならなかった。ライターの火があるとすぐに死体の像は消える。UZIを小脇に抱えなおし、何度もライターを点けなおしては限界まで耐える。そんなことの繰り返しだった。
「暗闇が怖くなったかね」
 見ると、爺さんがコンテナの壁にもたれながら渋い面で俺を見ていた。
「ひどい顔だ。何かよくないものが見えてるんじゃろ。まあ、あの状況じゃそれで普通なんじゃよ。──ウエムラや、ワシみたいに、人殺しになんぞ慣れるこたぁないんじゃ。それでいいことなんぞ何もない。ワシはお前さんがそういう人並みの反応をしてくれたことに安心してるくらいなんじゃよ」
 疲れていたので返事はしなかった。発熱のせいでひどく体中汗をかいている。寒気がした。


 上村はニスの塗られた甲板を踏みしめて売店を探していた。デッキに出てみると、柵の向こうで漆黒の太平洋が艶かしく水面を波立たせている。アタッシュケースの中に『風と共に去りぬ』も入っていたのだが奴は湿気で頁がふやけるのを良しとせず、代わりに新聞を求めていたのだった。
 自分が乗船する直前に息巻いて船に乗ってきた血気盛んなゴロツキどもは、おそらく自分たちを捜しているのだろう。もちろん取引した貨物の受け渡し係ということも考えられるが、自分が港で殺してきた人数の多さを思うと彼らが正常な精神状態であるとは思えなかった。
 前方では甲板の上にいた何人かの中華系観光客がゴロツキたちに一グループずつ囲まれては凄まれ、怒声を浴びせられている。
(タガログ語で怒鳴られているから何も言い返すことができないんだ。気の毒に)
 せめて英語なり北京語なりフランス語なりラテン語なりアラビア語なりどれか一つでいいから覚えてくれればこちらとしても会話の疎通ができるのに……ゴロツキは目の前の中華系観光客を突き飛ばして今度は自分の方に声をかけてきた。上村は素知らぬ顔で立ち止まると彼らに一息つくまで勝手に怒鳴らせておき、その後自分が来た方向を適当に指さして、やりすごした。
 ゴロツキたちは上村を特に疑う様子もなく、上村の指差した通りに走り去っていく。犯人の目星もつかないままむやみやたらに走っているだけなのだ。単純だが、それだけに何をしでかすかわからない。やはり港に着くまでに(殺して)海に捨てておかないと面倒になるかもしれない。


 こんな時に言うのも何だが、上村という男の話をするたびに俺は無性に腹が立ってしょうがなくなることがある。上村にもし致命的な欠陥があるとするなら、それは奴が心の奥底で殺人をリンゴの皮剥きよりも安易に考えているといった点に尽きるだろう。
 それは上村と身をおいて付き合った人間がすべからく感じる、ある種の違和感をもたらした。上村自身はこのことに気づいてすらいなかったが、たとえ俺がそれを正確に指摘したところで――おそらくそれは上村の生まれつき持っていた障害のようなものだった──上村は生きるのに何ら支障は無かったし、俺たちはいたずらにお互いを苛立たせるだけだったに違いない。


 潮気を帯びた海からの風が髪を乱す。この仕事に入ってからクラシックを全く聴いていなかった。自宅に帰ったらこのサイズの合わないスーツを一刻も早く脱いでモーツアルトを聴きたい。
 甲板を歩いていて目に入った医務室で、上村は俺に抗生物質と解熱剤が必要なことを思い出した。もとより俺が死ぬ心配など露ほどもしていなかったらしいが、それなりに危険な状態であることは認識していたようだ。コンテナ内での宿泊が非衛生的なのも傷口に悪影響になる。
 とはいえ、俺を医務室に連れ出せばどうしても医者に拷問の痕を診せることになる。自分たちのことを嗅ぎ回っている人間がいる以上、どんな形であれ自分らの情報が漏れるのは得策ではなかった。俺抜きで上手い具合に薬が手に入ればそれに越したことはなかったが、今は余計なことをせず危険を冒さないことが第一だと上村は判断した。
 気休めではあるが包帯だけでも貰うことにする。幸いにも無知なゴロツキと違って医者は英語とラテン語を解し、上村とも遜色なく会話をすることができた。
「包帯とガーゼと消毒薬を分けてもらっていいですか。怪我をして治療中の同僚がいるんですが、さっき包帯にコーヒーをこぼしてしまって」
「大丈夫かね。心配だったら診てあげるから、連れてきなさい」
 船医になってから長そうな、四十代半ばくらいの小太りのフィリピン人男性が白衣を着て座っていた。髪を風にかき乱され苦笑しながら断る上村の姿はせいぜい海外出張帰りの若手ビジネスマンにしか見えない。医者は慣れた手つきで包帯一式を手提げのビニール袋に詰めると、医務室の電話番号をメモに書いて一緒に上村に手渡した。
「ところで、外で何かあったのかい?」
「何か、と申しますと」
「うん、どうもさっきからあなたみたいな華僑の人ばかり来るんでね。みんな殴られたとか、突き飛ばされてどこかぶつけたとかで生傷作って、それで来てるんだ。タチの悪いやつが言いがかりをつけてきているみたいだね」
 日本人とか韓国人とかモンゴル人とか中国人は外部から見れば全て中華系になる。当人たちでさえ外見だけでははっきりと判別できない以上無理からぬことだった。
 それまで英語で医者と喋っていた上村はふいと言葉を止めたが、医者の勘違いをあえて訂正せずに礼だけ言って医務室を出た。外は海が時化って小雨が降り始めていた。


「あんまり天気がよくないようじゃな」
 最初は四分の三くらいあったライターのオイルが、今見た感じで残り五分の一ぐらいだろうか。俺と爺さんは小さなライターの光だけを頼りに、まだしぶとく起きていた。コンテナ自体の壁に阻まれて雨の音はしないが、もたれていた鉄の壁が雨に打たれて急速に冷たくなってゆく。湿気が酷くなり、一部結露も出ていた。爺さんは縮こまったティモンを抱きかかえ、俺を気遣いながらうずくまっている。
 暗闇でよく判らないが、傷口が何箇所か膿んできている気がする。寒い。毛布を持ってくるのを忘れていた。人を運ぶ仕事は初めてじゃなかったが今回は非常事態が重なり過ぎた。
「どうにかして外には出られんのか」
「誰かが来ないと無理だ。助けも呼ぶな」
 コンテナは鍵こそかかっていないものの、その構造上内側から開けられるようにはできていない。外側から閉じ、カンヌキじゃないが鉄の棒を通して中身の流出を防ぐしくみだ。内側から鉄棒をずらす手段が何かあれば良かったのだが。
「ウエムラが来るのを待つしかないのか……まあウエムラなら遅かれ早かれ必ず来るじゃろうが……ナリタ、ライターはもちそうなのか」
 ライターの透明なオイルが俺の余命だとでも言いたいのだろうか。そうだとしたら笑っちまうほど残りが少ない。
 俺が首だけ横に振って動かないでいると、爺さんは見えもしない周囲を見回してから自分の開襟シャツを脱ぎ両方の袖を引き裂いた。ベスト状になった残りの分でコンテナの床の湿気をぬぐい、また着なおす。引き裂いた袖はさらに紐状になるように細かく引き裂かれ、一本になるように結ばれた後湿気を拭った床の上にまとめられた。
「火を移すんじゃ。間に合わせじゃがウエムラが来るまでは仕方ない」
「本当にゴマカシだな」
「そうじゃな。これが無くなったらあんたの持ってる金でも一枚ずつ燃やすかね」
「金を?」
 バッグの中に入っている札束。爺さんは紙幣を一枚ずつ燃やそうと言っているのだ。ドル札が実際に一枚端から燃えるところを想像して、俺は次の瞬間笑いが止まらなくなった。
「何がおかしいんじゃ」
「爺さん、俺を笑い殺す気かよ! 金だろ? 金。それを燃やそうなんて……」
 あんまりおかしくて腹がよじれてしょうがなかった。「正気の沙汰じゃない」爺さんは俺が笑い転げているのを理解できないようで、ただただ俺の様子をいぶかっている。
 爺さんが作った紐に火を移してから十五分ほど笑っていただろうか。いい加減苦しくなってきたあたりで俺はどうにか笑いの虫をおさめ、自分のアロハシャツを脱いで爺さんに手渡した。
「ああ、こんなに笑ったの何年ぶりだろうな。苦しかった。さすがに金燃やすのだけは勘弁して欲しいぜ。東京港でストリーキングやった方がまだマシだ」
「ワシはストリーキングなんかやりたかないぞ!」
「わかったわかった。そんじゃ妥協しよう。まずそのアロハを燃やすだろ。それで駄目なら俺と爺さんとでズボンの膝下それぞれ切って、ハーフパンツにしようや。それからティモンのシャツっていう風にやってって、最終的にブリーフ一枚でどうだ」
「短パンまでつけろ。この歳で情けなくなってくるから」
 爺さんはアロハシャツを引きちぎりながら俺と会話を繋ぎ続ける。火が途絶えて暗闇に呑まれ、コンテナの中に閉じ込められた状態で俺やティモンがパニックに陥るのを爺さんは恐れていた。布をちぎる力もないほど衰弱していた俺を励ます必要があるとも感じていたようだ。

 俺はなぜ幻覚を見るのか。慣れていなかったからだ。俺は他の普通の人間と同じように──まだ人を殺したこともなく、死から遠い所にいた。怨念でも何でもなく最初からわかっていたことだった。
「大丈夫だって。そんなに心配しなくていい。布はちぎれねえけど”こいつ”のレバー引いてぶっぱなすのには何も問題ないから」
 俺はUZIの銃身を軽く叩いた。爺さんを安心させるという意味もあったし、単純に自分の主義を確認するという意味もあった。
 罪悪感におののくには既に遅すぎる。それに、躊躇った結果相手を殺せないで自分が殺されるなんてのは愚劣の極みだ。一線はあっさりと超えられるべきだった。俺は自分の中にある中途半端な願望の存在に気づいて高熱の中で自嘲し、かぶりを振った。


 上村はその頃、自分の寝床が割り当てられた船室で買ってきた夕食のサンドイッチを食べながら英字新聞を読んでいた。とにかく腹ごしらえだけは済ませようと思ったらしい。小柄な体の割に燃費は良く、腰掛けたベッドの傍らには既に空になったサンドイッチの袋が二つとデザート代わりのリンゴが置かれていた。
 ”R社がU社と資本提携の運びへ”
 ”××事件の容疑者が再公判で無罪判決に”
 自分が殺した連中が載るのは明日の朝刊か夕刊になるだろう。捜査陣がマフィアの抗争絡みと思ってくれれば都合が良いが、彼らは老人と少年の失踪には気づくだろうか。いずれにせよ、日本に戻ったら社長に報告しなくては。
 上村は溜め息をついた。フィリピンに着いてから随分予定外の行動をしてしまったし、かなりの人数を独断で殺した。依頼主の必要な情報を持って帰っても今回は上から報酬は下りないだろう。次の依頼の報酬もペナルティとして何割か棒引きされるのは間違いない。
 報酬が入らないとなると、僕のこの行動は無料奉仕ということになるのか。……いや、こんなことで生活に困るほど貧乏ではないけれども。あの男じゃあるまいし。僕はあくまであのご老人と少年に対する個人的な好意からいろいろと動いたのであって、いわばこの旅は僕の個人的なバカンスになったわけだ。ビジネスはついでだ。そう思うことにしよう。そう思わないとやってられない。
 上村は自分が組織をクビになるという考えなどはなから持っていなかった。それだけ組織への貢献度に関しては自信を持っていたし、何より社長は自分の性分に理解を示していた。
 数時間前に人の喉を切ったナイフがリンゴを八等分にし、芸術的な薄さで皮を剥く。上村はリンゴを綺麗に腹におさめると外していたジャケットのボタンを留めなおし、荷物を持って部屋を出た。
 九時半を回って廊下はいよいよ人の出入りが少なくなっていた。頑強な船内灯がいくつも連なり、中の白熱電球で温かく廊下を照らす。一歩ごとに湿った床板が軋むのが上村にとっては気にかかる。できることなら誰にも気取られずに外に出たいところだ。
 トイレの前を通りかかる際に先ほどのゴロツキの一人とすれ違った。くりくりとした目に浅黒い肌の小柄な男で、陽気なアメリカン・プリントのアロハシャツが愛嬌を誘う。向こうは用を足すのに気がいってか、こちらには何の注意もしなかった。上村は立ち止まって男が入っていったトイレを見やり、五秒ほど考えた末につま先の方向を転換して男の後を追った。
 小便器が二つに個室が一つ。男は小便器の前でベルトを解いている。床が汚いのでアタッシュケースを置きたくないなと思いつつ男の後ろを通り過ぎて個室に入り、手早くトイレの構造を確認する。個室には丸い窓があり、海からの雨粒を受けて湿っている。若干小さいが用は果たせるだろう。
 手ぶらのままで個室を出る。ゴロツキはちょうど用を終えてベルトを締め直しているところだった。上村は歩きながらスムーズに銃を取り出し、銃底で後ろから男の頭を殴った。

 鍵をかけた個室の中でネクタイを解き、上村は淡々と男が絶命するまで首を締め続ける。男はしばらく泡を吹いた後浮き上がった体をがくんと沈ませ、汚物を垂れ流して絶命した。小さな窓に合わせて手際よく死体の両肩の関節を外すと上村は窓から外に身を乗り出し、下に同じような窓がないことを確認して、死体を窓から捨ててしまった。


「The Agents Vol.3 / ジャンク屋にて」


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