The Agents Vol.3-8 / ジャンク屋にて

 マニラの夜は俺たちの事情を差し置いて刻々と過ぎてゆく。俺は意識を取り戻した後服を着て、松葉杖の代わりになる棒を探すことにした。上村は論理上動けるはずだとフザけたことをぬかしていたが、普通に考えてもこの怪我は病院送りだ。壁にもたれないと長時間歩けないのが自分でもわかって情けない。
 通路には寺内を含め何人もの男たちが倒れていた。さっきまで俺を拷問にかけていた奴らがあまりにも簡単に命を奪われている。蛍光灯の下で廊下を覆う夥しい血痕から無意識に眼をそらそうとして、そこら辺に無造作に倒れている死体の顔を見てしまう。二度とまばたきをしない奴らだ。しんとした空気が鉛みたいに重く腹を締め上げる。
 俺は、ただそれまで、こんなに多くの人間が殺された現場を見たことがなかった。それもたった一人の人間に。
 未来を見てしまった人間はきっとこんな感じなんだろう。
「大丈夫?」
「……大丈夫だって。さっき腹しこたま殴られたから、ちょっとな」
 酸っぱさを通り越して辛い吐瀉物を、飲み下した。上村はさっきから平気そうな顔しかしていない。奴のことを化け物だと初めて思った。
 ティモンは真っ青な顔で、それでも重傷の俺を支えて歩こうとしている。
「おれ、ウエムラのこと最初はカッコイイなって思ってたけどさ。何でウエムラがああいう奴なのか、ちょっとわかった気がする。
 ウエムラには、これが当たり前なんだよ。多分」
 まるで俺たちの罪を一人で全部抱えこんでしまいそうな弱々しい声。ティモンは自分を奮い立たせるように話し続ける。
「ウエムラがね、おれのことも『人殺しだ』って言ってた。おれ、その時は違うって言ったんだ。おれ人殺したことないもん。
 でも、こういうとこ見てると『違う』って言えない。自分が殺したって思った方が楽なんだよな。なんでかわかんないけど」


 俺はティモンのように全てを背負う気にはなれない。ティモンには悪いが、死んだ奴には同情のひとかけらも無い。ただ死んでも当然の連中ばかり死んだ。吐き気をもよおしたのはこの場所が飛び抜けて凄惨で、不気味だったからだ。
 今まで対等のつもりで付き合ってた上村の奴が、急にはるか孤高の人間に思えた。そのくせ人格は何も変わらず、「その程度か」と俺を鼻で笑う。
 死んでなるものかと思っている。絶対に上村の奴に舐められてたまるかと、眼をぎらつかせる。こればっかりは俺の意地だ。生き延びるために俺は良心をいくつ捨ててきただろう。今までも、そしてこれからも。


 物置で杖になりそうな鉄パイプを見つけてどうにか歩くめどが立つと、俺はすぐに残り二人と合流した。
 真っ先に上村からUZIを借りた。とにかく手ぶらでいたくなかったが故の行動だったが、いかんせんこいつが三キロ近くあって重い上に弾薬がない。一秒あれば十五発以上確実に撃てるとは上村のうんちくだ。弾を三十二発分全部装填したカートリッジでも二秒で弾切れになってしまう。
「そんなに早く弾が出ちまうのか」
「弾丸自体は僕が使っているのと同じ弾ですから少しは融通が利きますけど、節約してくださいね。貴方がそれで三十発撃つより僕がワルサーで一発撃った方が確実なんだから」
 訓練を受けていない素人とプロの差を埋めるためには最低でもそれだけの火力差が必要だろうと上村は言う。あくまで最低ラインだ。あと二人が老人とガキであてにできない以上、どうしても俺と上村のどっちかが先頭でどっちかが一番後ろを歩くことになる。
「もう一丁何かくれ。こいつだけじゃ不安になってきた」
「貴方本格的な戦闘経験はあるんですか」
「いや、ない」
 プロの密輸業者はいかに暴力を使わずスムーズに事を進めるかを考えるものだ。腕っぷしや体力はあると便利だが、戦闘のプロである必要は全くない。
 上村はかすかに鼻白んだ表情で俺を見ると、少し考えて「そうですか」と洩らし廊下へと歩いていった。まったく片付けていない死体のうち、一体の手元から血を流したままの銃を拾って戻ってくる。
「それじゃこれを」
 拳銃にしては重い銀色のボディに、見覚えのあるフォルム。いわく付きのトカレフはその銃身やグリップに血をたっぷり吸いこんで、俺の手の中で余計に重さを増しているように見えた。
「最初は下手に使い分けずにそのUZIを使って戦った方がいい。UZIは銃身の上のレバーを引いて引き金を引けば弾が出ます。弾が切れてどうしようもなくなったら、これを使う。こちらは引き金を引くだけです。安全装置は最初からついてない」
 上村は爺さんにトカレフの弾丸の有無を尋ね、爺さんと少し話をすると再び廊下へと銃をあさりに行った。爺さんは手持ちの弾丸は全て上村に渡してしまったらしい。
「同じトカレフかグリップのところに星のついてる黒い銃を探すんじゃ。”黒星”だったら誰か使っとるかもしれん」
 ”黒星”という言葉は、俺も聞いたことがあった。中国製のトカレフのコピーがそんな名前だったような気がする。密輸仲間に扱ったことがある奴も多い。現在実戦で使える拳銃でトカレフと同じ弾丸を使っている銃は”黒星”以外に存在しない。

「爺さん、いいのかよ」
「何がじゃ」
「俺にこのトカレフ持たせていいのかっつってんだよ」
 いわく付きで、それでも爺さんが捨てられなかった因縁の品。わざわざ専用の弾を必要とする銃だ。俺としては他の銃を使うという道もある。この銃は爺さんに返して、爺さんの手で始末をつけさせるべきなのかもしれない。
 だが爺さんは微かに微笑んで、首を横に振るだけだった。
「もう遅い。今更大切に仕舞っても錆びつくだけじゃよ。その銃は息子の手を離れた」
 最後まで血にまみれるのがそいつの天命だと爺さんは言う。
「お前さんも見ればわかるじゃろ。さっき物置から出した時には曇っとったのに、今のそいつは水を得た魚みたいに光っとるじゃないか」
 長いこと拳銃を作り続けてきた人間は、自分の作った拳銃が人を殺しても、はたして喜ぶのだろうか。皺の中に隠された複雑な表情を前にして俺はトカレフを捨て損ねた。
「つまり、俺が使ってもいいんだな」
「誰が使っても構わんよ」
「わかった」
 銃身をズボンに突っ込み、外の様子を見に行く。後ろで上村が弾丸を見つけたようなことを言っていたが聞き流し、でき上がったカートリッジだけくれと言っておいた。
 七時二十五分。港にあとどれだけ”シゲシゲ・スプートニク”の追っ手がいるか見当もつかないままに俺が事務所の外を見ると、停泊している船に色とりどりの照明がいくつもかかっているのが見えた。オイルと潮の混じったいつもの臭いも変わらない。そのくせ誰も居ないポートはこの状況下では次の犠牲者を待ち構えているかのようだ。
「なあ。船、出るのか? 人いなくなっちゃったけど」
 窓際ではポケット・ピストルを離せないままのティモンがずっと外を眺めていた。貨物の積み込みも銃撃戦が始まってから停止している。七時半から客の乗り入れが始まる予定だが、遅れが出るかもしれない。
「船は必ず出る。あの船には”そういうもの”が乗ってる」
 シゲシゲ・スプートニクが寺内を通じて日本の誰かと”取引”したもの。それが何か俺は知らない。麻薬かもしれないし、拳銃かもしれない。人間かもしれない。いずれにせよ彼らはビジネスに乗ったのだ。人が何人死のうが納期までにブツを届けなければ、どんなに大組織といえども信用を失う。
 一方、俺たちもそろそろ乗り込む潮時だ。こちらは寺内のコネを使わずに独力で船の中に潜りこまなくてはならない。何人か船員どもを買収する必要があった。
「俺のバッグはどこだ」
 上村は爺さんと一緒に部屋の中で銃の点検をし、空になったカートリッジを捨てて静かに持ち弾の残りを数えていた。ボストンバッグは上村の隣にきちんとあった。俺がここに来た時に寺内に没収されたものだ。ファスナーを一気に引っ張って中にある剥き出しの札束を数えると、五百万は手付かずのまま残っていることがわかった。


 七時半。それまで抗争を飲み込んでいた暗闇がにわかに衣を被る。無人のコンテナが動き出し、乗務員たちが六番ポートの貨物船にタラップを下ろした。港の待合所からぽつぽつとお客が外に出てきて、蒸しかえる潮風の中を船へと歩いてゆく。回転するサーチライトの影で、いくつの死体が貨物の影に倒れているか……それは乗客たちの知るところではない。
 俺は爺さんとティモンを連れて仕事をサボっていそうな船夫を探しては片っ端から声をかけていった。何せ時間がない。最初にティモンが肩を叩いて声をかけ、次に俺が無言で札を何枚かひらつかせる。最後に爺さんが出てきて涙モノの語りで締める。
 俺たちはギャングの目をぬって次々と取引を成立させていく。


 東京行きの貨物船にはいつものように多くの職種の人間が乗り込もうとしていた。東京まで往復して戻ってくる船員たちはもちろんのこと、日本へ観光に行くフィリピン人の親子や留学生。出稼ぎ労働者もいる。逆に日本から出張してきて航路で帰国する企業戦士や、観光帰りの新婚カップルもいる。全然関係ない外国人も混ざっている。待合所はいつもそんな人間でごったがえし、日々小さなドラマの応酬で室内の空気をかき回す。
 滑り込みでチケットを手に入れた人間は数人いた。マニラに出張してきていたある日本人サラリーマンもその一人で、彼がポートに出たのがぎりぎり七時五十分だったろうか。どっと湧いた汗に潮風が気持ちよかった。彼は自分の予定が狂わずに済んだことに胸を撫で下ろし、タラップを駆け上がって自分の個室で休みたいという思いに駆られた。
 ところが実際にポートに出てみると、途中で何人ものいかつい男たちが殺気立った表情で自分を追い越して船に乗り込んでいくではないか。全く風情も何もない。彼は一小市民としてああいうやくざの類が好きではなかった。旅をする以上、いつでも余裕が欲しいと思う。遅れてきた人間の言うことではないが。
「あなたも、そろそろ乗り込んだ方がいいですよ」
 出航まであと十分ほどだ。彼は色々なことを考えつつタラップの前まで歩を進め、最後に何気なくポートに残っていた日本人に声をかけた。


「ああ、お構いなく。ありがとう」
 上村は彼に困ったような微笑を返すと、優雅に自分のアタッシュケースを手に提げてゆっくりとタラップを上りはじめる。彼の視線の先には高々とクレーンに吊り上げられて船に乗せられていく一台のコンテナがあった。
 冗談みたいな柄だった。真っ赤な扉に大きくスプレーで描かれた白のスマイリーマーク。よく見てみると、そのコンテナだけ扉の鍵が消えている気がしなくもない。
「あなたも仕事ですか」
「ええ。仕事といえば仕事ですね」
「このご時世に船で帰ろうなんて、お互い困ったもんですねえ」
「まったくです。気苦労が絶えないですよ……本当に」


「The Agents Vol.3 / ジャンク屋にて」


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