鎖とその男に関する記録
Chapter1-1 [2/3]


 数日後、バルガスは鎖を持って一人でマリーニ家を訪れた。
「ご苦労。金を受け取ってくれ」
 目の前に金袋が二つ差し出される。彼は袋を一つだけ受け取ると、顔を伏せてこう言った。
「金は半分で結構です。その代わりにあの子をもらえませんかね?」
 マリノ・マリーニが物珍しそうに彼を見る。
「かまわんが、あの奴隷はちっとも使えんぞ? その袋一つで買うのは高過ぎると思うが」
 そこまで言うと、マリノは涎を垂らしそうな嫌味ったらしい顔付きになった。
「そうか。”ああいう類の”女が好みか」
「そんなつもりでは」
「よいよい隠すな。確かにあの娘、顔だけは美しかったからな」
 バルガスは決して顔を上げなかったが、内心吐き気が止まらずにいた。長年マリーニ家に仕えていて慣れてはいたが、この時ばかりは彼も心底仕事を辞めようかと考えた。
 目の前で若々しい豚が能書きを垂れる。セフェリという娘について。奴隷を弄ぶ快楽について。たった十歳の少女を征服した時の奇妙な背徳と達成感について……等々。バルガスは耳を塞ぐことができなかった。マリノを殴りつけることもできなかった。
 これが同じ人間だろうか? 「クシャトリヤ」というのは貴族でなく自己満悦の脂でできた豚のことを指すのだろうか?
 しかし彼は何もできない。
(俺は豚にも劣るのか)
 バルガスは話が終わると庭を出た。何ともやり切れない話だったが、豚に食わせてもらってる以上平民の彼にできることなど、ほとんどなかった。

* * * * *


 その日からバルガスはセフェリの面倒を見るようになった。鎖をつけず、食事は自分と同じものを与え、寝るときは同じように床の上で寝た。
 彼女は全く心を開かない。口もきこうとしないし、何より触られるのを極端に嫌がる。二人の距離は遠かった。彼は無理に距離を縮めようとはしなかった。彼女には時間が必要だ。心を癒すための時間が。
 バルガスは毎日黙々と鎖を作っていた。
「いいか、熱いからそこから先には入るな」
 セフェリがこくんとうなずく。彼女は一人で出歩くか、さもなくばこうやって工房にいるのだった。小さな、ススの匂いのする工房の入り口で彼の仕事を飽きもせずに見ているのだった。
 毎日同じことの繰り返しだった。一緒に寝起きして、食事して、工房で奴隷用の鎖を作る。しかし彼女の首にもはや鎖はない。
「あなたのおなまえは?」
「ヴィークラム・バルガスだ」
「バルガスさんね」
「おじさんでいい」
 鎖の仕上げに集中していて、バルガスはその大きな進歩に気づかなかった。セフェリが自分から話しかけてきたのはそれが初めてだった。

* * * * *


 何とも奇妙なおじさんだ……と、セフェリは思う。この数ヶ月というもの、彼女は何もしていなかった。ただ一緒にいるだけで今度のご主人は何の命令もしない。単に話し相手が欲しかったのだろうか?
「おじさんはどうして私に命令しないの?」
「友人に命令する馬鹿がいるか」
 身分が違うのに平気でそんなことをのたまうのである。
「じゃあ私はどうすればいいの?」
 セフェリがそう訊くと、バルガスは鋳型を作りながら思案に耽った。
「そうさな……自分自身の力で生きられるようになってくれりゃありがたいが、まだお前小さいからなぁ」
「おじさんのお手伝いをするわ」
 職人の顔におどけた笑顔が浮かぶ。
「あのな。鉄ってのは甘かねェんだよ。俺は親父について十年もかかった」
 そこまで言うと、彼は彼女の方を向いて気楽に呟いた。
「手伝うなら食い物買ってきてくれ」

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