鎖とその男に関する記録
Chapter3-2 [2/2]


 四年前より奥が深くて真っ黒な光。タオは思わず息を呑んだ。あんまり純粋に冷たい瞳だったので、このまま殺されるのではないかとさえ思った。
「金がなくても人は生きられる。権力がなくても全く問題ない。では生きるのに一番大切なことは何か?」
 マリノは胸に手をやると、得意げな顔になって自分を演じはじめた。
「誇りと、それを支える感情だ。どんな小動物でも……ネズミでさえ知っている。
 どんなに傷つこうとも胸を張って生きていくことだ。甘えたまま死ぬのは誰が見ても醜い。わかるね?」
 マリノはそこまで言うとタオの頬を撫でて優しい笑顔を作ってみせた。どす黒い目の光はまがりなりにも四年間を一人で生き抜いた自信に満ち満ちていた。
「誇りというやつは腐りやすくてね。特に長いこと快楽に浸ると駄目だ。そういう意味で昔の私は愚かだった」
 外の奴隷たちに向けられる視線は限りなく冷たい。同じ人間とは思えない。
「外の連中も同じだ。あいつらは誇りを捨ててまだ甘えている。私が見せしめに食べた時、あいつらは何かしたか? 指をくわえただけだ。そうすりゃお前のようなご親切な民から恵んでもらえると思ってるんだ。よこせとさえ言えない」
 彼は黙って組み桶の水をたらいに汲むと、窓の方へと持っていく。外の人々は水をもらえると思ったのか目を輝かせ、また窓のほうへと群がってきた。
「腹が減ったから? それが何だ。私は誇りのない人間に容赦はしない。私はあいつらを憎む。自分で動けなかろうと腹が減っていようと、人にあの惨めな顔をさらして何ともない態度は許せない……!!」
 マリノは窓を開けると、外のへらへら笑った路上生活者にこう言い放った。
「甘えるな! お前らのように”何もない”奴らにやるものなどない!!」
 人々が呆気にとられる。
 彼は人々に思いっきり水をぶっかけると、腹立たしげに窓を閉めてしまった。

* * * * *


 彼は一生鎖から逃れられないのかもしれない。自由は遥かに遠かった。
『困っている人は助けてやらねばならない』
『責任はきっちり取ろう』
『できる限りのことをしよう』
 正論という名の永久に錆びない鎖。選択の自由は失われ、そこには清潔で無味無臭で完璧な「地獄」だけが残る。
「ヴィークラム様ぁー! おめでとうございまーす!!」
「あの方が王ならきっと世の中も良くなるに違いないわ。よかったよかった」
「それにしてもあの人も大出世だねえ」
 人々の前で王が冠を頭に戴く。ひときわ高尚な衣装を着て、いつもと変わらない落ち着いた面持ちで。反乱軍の幹部たちは粗末な服から一転して格調高い衣をまとい、新しい王の姿を見守っている。
 人々はみな新しい王を祝福している。その中でただ一人、王の姿を複雑そうに見つめている人間がいる。
「しかし何て美しい王女様だろう!」
「お婿さんもよりどりみどりだねえ」
 王女はちっとも嬉しくなかった。きらびやかな衣装など着たくもなかった。どうして人は偉くなることを即幸せととってしまうのだろう。貧乏な奴隷たちにとって、それはやはり夢なのだろうか?
 王が何かとってつけたような演説をする。慣れない感じが聞いていてもわかる。
「ああいうぎこちなさも親しみやすいね」
 人々は何でも都合よくとってしまう。今晩もきっと王は豪華な食事やら土地土地の名士やら何やらに手厚くもてなされて、尊敬語で扱われて、へとへとにくたびれてしまうに違いない。演説が終わると歓声と拍手があがり、王は微笑を浮かべながら手を振った。幹部たちも同じように笑っている。
「ほら、セフェリも笑って。王女様はかわいい方がいいよ」
 カドゥーミにそう言われて、セフェリは感情を隠すように微笑んだ。
 彼女は王の本音を知っていた。知っていても何もしてやれなかった。

(かわいそうなおじさん)
 彼女の眼に映ったヴィークラムの首にはまだ鎖がつながれていた。それは鉄製のありふれた鎖ではなく、いわば黄金の鎖だった。周りからは見栄えがしてうらやましがられるのだが、本人には鉄の数倍の重さがのしかかっている。
 彼はこう言いたかったのだろう。
「誰か助けてくれ」……と。
 普通の暮らしが遠くへと逃げていく。それでも二人は笑っている。
 一番質が悪いのは、その苦しみを誰も理解してくれないことだった。人々には結果こそが全てだった。

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