鎖とその男に関する記録
Chapter3-3 [2/3]


 窓の外には霧雨が降っている。石造りの壁はひんやりとして湿っぽい。
 マリノは日がな一日窓辺に座り、外の雑踏を眺めてぼんやりしていた。物乞いの頃とすることは同じである。ただ違うのは、ここには衣食住全てがあって人に声をかける必要がないということである。そして住み込みの家来がいて――押しかけているのは彼の方なのだが――彼女が面倒を見てくれるということだった。
「マリノさまぁ、またおはなししてえ」
 時たま彼と同じ暇人の、つまり働く必要のない裕福な家の子供たちが窓の所へ遊びに来る。「マリノさま」の意味は全くわかっていないらしいが、子供たちはそうすると彼の機嫌が良くなることを経験で知っていた。
 マリノは暇潰しによく子供たちを集めていろんな話をした。貴族のたしなみや世にも珍しい動物の話、男の子には有名な詩の読み方を教えたり、女の子にはどんな化粧が気に入られるかを教えたりして子供たちを喜ばせた。
 ある日、タオが夕食の場で笑いながらそのことを尋ねると、彼はこう言った。
「子供は大人より誇り高くて貪欲だ。媚びてくる女たちに囲まれるより楽しいね」
 彼は彼なりに楽しんでいるらしい。彼女はありふれた家庭料理を出してマリノの前にひざまづいた。
「街の人たちがあなたのことを何て言ってるかご存知ですか?」
「さあ? 何せ一歩も外に出ないから」
「英才教育の先生ですって。子供の心を引きつけるのは上手だし、そのくせ必要なことはしっかり教えてくださるから皆さん感謝してるそうですよ」
 マリノはその言葉を聞くと柄にもなくぷっと吹き出してしまった。おかしくて笑いが止まらなかった。
「感謝!? そんなの何年振りだろう! この町の住人は何を基準に感謝しているんだ!? 物乞いとしてのほうが有名だろうに、平民の服をして暇潰しをすると感謝されるのか! これだから大人はいい加減で滑稽なんだよ、ははは!」
 つくづく皮肉が好きな男である。ことに大人に対して、この男は感謝することを知らない。
「ところでタオ、新しい家来は見つかったか?」
「……いえ……」
 タオはその点になるといつも寡黙になってしまう。本当は彼女が一日中働いてもマリノを食わせていくのが精一杯なのだが、それをあからさまに言うことはできなかった。
「マリノ様、せっかくですから私塾でも開いてみたらいかがでしょうか? きっとたくさん人が集まると思いますけど」
 及び腰で言っても答えは決まっている。
「私に働けと言うのか? お前も随分偉そうなことを言えるようになったな」
 マリノはいつも当然の如く働かない。人に一度でも頭を下げなければならないとわかると、彼はかたくなに何から何まで拒むのである。それどころか興味の向かないことは何一つしない。
「いいか、貴族はいつも優雅に、だ。そのために家来は最善を尽くせ」
 要するに彼は働くことの誇りを知らないのだ。彼の中ではいつも自分中心に世界が果てまででき上がっていて、誰かが自分を生かすのが当然のことらしいのだ。タオは溜め息をつきたかった。しかし狭い家の中で……たった一部屋しかない家の中で、それができようはずもなかった。

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