鎖とその男に関する記録
Chapter3-3 [3/3]
夜になるとマリノはタオを抱く。彼は体力を持て余しているくらいなのに対し、タオは働き疲れてぐったりしているからたまらない。彼女は家の中でさえ休めなかった。布団の中でさえ主人に攻め立てられ、寝かせてもらえなかった。
「マリノ様、お願いですから休ませて」
そう言った時、彼女は殴られた。顔に青痣ができる程度ならまだいい。彼女は拒むほどに殴られた。その時の主人の顔は人間とは思えなかった。
どうして自分はこんなとんでもない暴君に仕えているのだろうと思う。今の未来に死神が立っているのが当たり前に見えるのは、感覚が麻痺しているからだろうか? どうして自分は逃げ出さないのだろう?
この矛盾した男は自分を捕らえて放さない。
「私はお前が欲しいんだよ」
殴った次には抱きしめて甘い言葉を囁いている。かたくなに家から出ず、子供たちと談笑し、感情は何でも自分にぶつけて思いやりの欠片もない。実に残酷な子供だと思う。男として見るなら彼はただの頭でっかちだった。優しさはないし経済力は皆無だし腕っぷしも大したことはないし知識だけで分別は幼児並みだし精神年齢も自分よりずっとずっとずっと年下のくせに体は年上。言うなれば最低の部類に属する。
だが、である。
彼は決して嘘をつかない。それは罪悪感のなさのあらわれでもあるが、彼女にはありがたいことであった。
「信じられるのはお前だけだよ」
愛していると言ってもらった覚えはない。だがタオはその言葉を信じている。この憎しみと愛情の入り混じった男に仕えることは身の破滅を意味していたが、見捨てることはできなかった。
(この人は誰にも愛されたことがなかったのかしら?)
彼女はようやく寝ることを許されると、同じ布団で眠っているマリノの顔を見た。誰だって最初からこうではなかったはずだ。普通なら叱られたり、悲しいことがあったり、悔しくてもどかしい思いをして大きくなる。
だがこの男は果たしてそうだろうか?
何一つ不自由なく与えられ、甘やかされ、叱られる以前に親の顔など見ずに育つ。
”何をしても”みんな笑顔で無関心。
それが本当の「孤独」なのだろうか?
眠気が蟻地獄になって彼女を呑み込む。タオは泥のように眠った。
* * * * *
王になってはや数ヶ月。
ヴィークラムは真剣に王位を誰かに譲ってしまいたいと思っていた。反乱軍の仲間たちは富を手に入れるごとに道楽へと溺れていくのである。
「毒蛇の巣とはよく言ったもんだ」
奴隷たちには快楽への免疫がまったくなかったらしい。あのバールやカドゥーミでさえ裏では職権を濫用して女を買ったり宝石を買いあさっているという。もっとも密告は当てにならないが。
密告が大流行し、そこかしこで権力闘争が行われていた。それでも王の地位が揺るがないのは、彼が何もしていないからである。彼は毎日真面目に仕事に取り組んでいた。元が職人気質だからだろうか、彼の仕事は徹底されたものである。国民の面倒を見るのも彼にとっては熱い鉄を扱うのと同じだった。
自分の保身など考えたことはない。むしろ彼としてはなるべく早くお役御免になればいいと思っていた。そしてその国民からの人気はいつも高かった。
(損な役回りだよなぁ)
辞めたいのに辞められない。道楽に耽っている幹部に王の地位なんぞ与えてしまおうものなら圧政になるのは目に見えていた。
「おいカドゥーミ、今とりあえず片付けなきゃいけねえ問題はあるか?」
最近ではそれが彼の口癖になっている。当分辞められない以上、割り切って仕事をするしかない。
「国の中で悪性の流感(かぜ)が流行ってるみたいなんだけど、薬の値段が暴騰して大変みたいだよ」
カドゥーミはじゃらじゃらと宝石を身につけながら仕事をしている。香水の匂いも鼻に余るくらいだが、仕事に手抜かりはないのでまだぎりぎり容認されている。彼女自身はそれを知らないが。
「こっちでいくらか買い占めて安売りしてやれ。なるべく早くやってくれよ」
ヴィークラムが書類にサインすると、彼女はそれを受け取って廊下のほうに退出していった。身につける宝石はルビーやガーネットを好み、つける香りはいつも色っぽい。
ヴィークラムは部屋に漂う残り香を消すように窓を開けた。砂色でまとめられた城下町が、懐かしく見えた。
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