鎖とその男に関する記録
Chapter3-7 [2/3]
「寝ぼけたこと言ってんじゃないよっ!!」
そうやってまた追い出される。腐りかかった食べ物を投げられ、水をぶっかけられ、時には殴り合いになる。人々の目は果てしなく冷たい。マリノは片っ端から店を訪ねては同じ目に逢い、一日でボロボロになった。靴を履いていても足が痛い。大通りはもう当てにならなかった。
金もないのに人に施しを受けるのは彼にとって当たり前の生活だった。人に物乞いと言われようが、変わらなかった。しかし今日ばかりはそうもいかない。
「うちに病人がいるんだ」
「ああそうかい。そんなのゴマンといるね」
もうこの国に身分はない。金が無ければ何者も見殺しにするほかない。結局一日粘って、手に入ったのはしなびたイモと腐った野菜と無数の生傷だけだった。野菜は捨てた。
どうして「仕事を下さい」と言えないのだろう。「お願いですから食べ物を下さい」とさえ言えれば、それさえ言えれば……
(私は貴族だぞ? そんなことができるか!)
腹ももう鳴らない。スカスカで鳴りようもない。それでも外見上は背筋を張って歩く。醜い姿でいるのが耐えられないのだ。
だが、家の前で彼は立ち止まった。
中に入るのが怖かった。一日タオを放ったらかしにして出てきたのだ。食べ物も無しに。病気なのに。どうしても中に入る勇気がなくて窓の方へ回り込んでみる。目だけちらりと出して、中を覗いてみる。
体の中から力が抜けていった。
中を見ながらマリノはへたり込んでしまった。
小さな薄暗い部屋の中で、タオは毛布にくるまって縮こまっていた。小さく小さく縮こまって、小動物のつぶらな目で床を見ているのだった。きっと自分を待っているのだろう。あの心細い目の前に戻る勇気がない。こんなしなびたイモでは申し訳ない。
マリノは壁にもたれてイモを見つめた。
『……マリノ様。私はそれでも構いませんわ……』
惨めだった。多分このイモを持って帰れば彼女はそう言ってくれるのだろう。そうして起き上がれなくなって、それでも自分を許して、おそらく死ぬ。
一人で取り残されたら、どうやって生きていけばいいのだろう。あのまま彼女の手が冷たくなってしまったら、自分は……。
また雨が降ってきた。町の家々に明かりが灯り、それでもなお灯のつかない家の前で彼は座り込んでいた。今のままではこの壁の中に入れない。
「マリノ。……お前の誇りとは何だ……?」
本当の誇りとは何だろう。金も地位もない一人の人間として残された誇りとは何だろう。
「誇りとは、胸を張って歩くこと。……私の誇りとは」
もう一度通りへと足を向けた。同じ言葉を何度も繰り返しながら、家路につく人々の間をすり抜ける。
「どんなに傷つこうとも、胸を張って生きていくこと」
しなびた小さなイモを握りしめて、憎しみとは違う何かを火にくべて通りへと出る。雨の中でも通りは人で溢れている。彼はイモをもう一度握りしめて深く深呼吸すると、一番忙しそうな店を訪ねて店主に声をかけた。
「仕事をくれないか?」
店主は眉をしかめた。
「お前はさっきの物乞いか。駄目だ。さっさと帰れ帰れ!」
「病人がいるんだ。金が要るんだ」
「それが人に物頼む態度か? どこのヘボ貴族だか知らないが、人は要らないよ」
思わずかっとなりかかった。言い返そうとして、イモを持っていたことに気がついた。
うわべは捨てろ。胸を張って帰れ。
イモは無言でそう教えてくれた。
「……お願い……します」
「あ?」
次[#] 前[*]
戻る[1]
Copyright © 2009 桔梗鈴