鎖とその男に関する記録
Chapter3-8 [3/3]
翌日、ヴィークラムはまたいつものように仕事に取りかかることとなった。毎日毎日山のような書類にサインし、国民の謁見に応じ、大掛かりな儀式があれば出席する。忙し過ぎて右手の腱鞘炎に構っている暇もない。
「バール、薬の方は片付いたか?」
バールとカドゥーミは補佐としてよく働いてくれる。実に頼りになる。
「ああ。命令はしといたからじきに片付くと思う。今日中には売り出されるだろ」
「それよりさ、王女様の婚礼の話とかいろいろ相談したいことがあるって、あっちの方から連絡があったよ」
「相談?」
カドゥーミはそらぞらしくうなずくと身ぶり手ぶりを交えて話しだした。
「そう。あのキジキス家のオヤジがまた嫌ぁーな感じでさ。息子の方とは大違いなのよ。すぐにヘコヘコしちゃって、その実王女の舅になったら鼻が高いとか息子が王になるからもっと鼻が高いとか偉そうなこと言っちゃってさぁ」
反乱戦争の前と後で人生がまるで変わってしまった男。キジキス家の当主もまた自分と同じ平民の出だという。
キジキス家の当主が見合いを申し込む旧貴族たちにまぎれてヴィークラムの前にやってきた時、ヴィークラムは奇妙な既視感を覚えた。互いに初めて会う人間のはずなのに、そのヘコヘコした仕草にどこか懐かしい嫌悪感を感じたものだ。
鉄を叩いていた工房と砂色の外の光景。ぼんやりとだが何か嫌なことを思い出しそうな気がして、僅かに開きかかった記憶を自分で閉じる。
「それで息子の方は?」
カドゥーミの愚痴を聞いている時りがない。
「あ、オズワルド君? あれは母親似だね。あんたと違って体力なさそうなのが心配だけど、頭はよさそう。それほど地位とかこだわらないみたいだし」
ヴィークラムは適当な生返事を返す。まだ義理の父になるという感覚がなかった。
「あんたも直に会ってみれば? これから義理の息子になるわけだし」
バールとカドゥーミがもっともらしくうなずく。ヴィークラムはそれを見て不満そうにサインを書き出し早速とちってしまった。
「誰が行くか。向こうから来るのが礼儀ってもんだろ」
サインを書き直すのも腹立たしい。それは彼なりの焼き餅に見えた。妙に子供っぽい口調になってしまった。
* * * * *
その頃街の薬屋では暴動の火種がけたたましい音を立ててくすぶっていた。
「何で薬がそんなに高いんだよ!!」
「今日から安くなるんじゃなかったのか!?」
薬屋にくるのは病人だけではない。半分以上は病人のことを思う健康な人間である。彼らの怒りたるや尋常ではない。
「そ、それが、政府の方に問い合わせてみましたら、もう薬がないって」
「嘘をつくな。あの王様がそんなちゃちい真似するわけないだろうが!!」
「本当なんですよぉ――……」
薬屋の店主が縮こまる。人々はみな殺気立っていて聞く耳を持たない。
「こいつ隠してるに違いねえぜ!」
「締め上げて吐かせるか!?」
「いや、ちょっと待て」
その時一人の男が主人の前までやってきて、胸ぐらを掴み上げた。
「……店主。私にも、家で待っている女がいてね。食べ物はどうにか食べられるようだが、薬がなかったせいで死んでしまうかもしれないんだ。もしそんなことになったら私は包丁を持ってきてお前のことを殺さなきゃいけなくなるんだがね」
主人はその男の眼に怯えだした。
「本当にお前は関係ないんだな?」
「あ、あい」
怒ると蛇のように冷たい目をする男。何より、人外の境地を見た人間の目だった。冷たさを通り越して淡々とした殺意さえ匂わせる。
「お前の上司の名前は。薬を売るといった直接の人間の名前は?」
「い、言ったらうちがやっていけません」
「ほう」
マリノは笑った。眼だけが何の躊躇もなく「殺す」と呟いた。
主人は震え上がってしまった。
「人の体をいじくるのには慣れているんだ。過去に散々やったしな。例えばお前のどこを、どうすれば、死ぬまで苦しませられるのか。実践してもいい」
「い、言います言います!! お願いですから堪忍してください!!」
主人がそう言うと、彼は手を離した。いきなりではなく丁重に。
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