鎖とその男に関する記録
Chapter3-9 [3/3]


 マリノのきょとんとした顔が憎い。この怒りを思い知らせてやりたかった。彼が悪魔の申し子に見えてならなかった。
「ふざけんじゃねえ……てめェって奴は自分のしたことを棚に上げてよくもまあいけしゃあしゃあとここへ来れるな!!」
 頭に血が昇ってきた。王としての自分が昔の自分に押し流されていく。
「陛下、何をおっしゃっているのです?」
「とぼけんな!! てめえはどうせセフェリの縁談をブッ壊して楽しむ気だろうが!!」
 怒りは人を盲目にする。ヴィークラムはマリノの真意を理解することも、彼の変化を見てとることもできなかった。
「何が望みだ!? 言ってみろよ。金か? それとも地位や権力か!? また人の上に立ってえばり散らしてえのかよ!?」
 普通の人間が聞けば震え上がる声が部屋中にこだまし、緊張した空気が流れた。マリノは沈黙でそれを受け止めた。

「それは私への侮辱ととっていいのか?」
 ありあまる金と権力を、もはや欲しいとは思わなくなっていた。
「ただ薬を安くしてくれと頼みに来た一般人に対する王の返事がそれか。やはり金と年月は人を変えるか」
 背筋が凍りつくような凄みのある声。ヴィークラムは足が動かなくなるのを感じた。
 あの冷笑が、人をあざけ笑うあの顔が今自分に突きつけられている。
「そうか……あの薬屋がね。昔からお世辞にも清らかな商売をしている男とはいえなかったがとうとう王族の血筋まで欲しがったか。嘘で塗り固められた国の権力の血を。お前には悪いが、初めて聞いたよ。
 街で汗水たらして働く連中がそんなこと知ってると思うか? 私たちには守るべき人間と誇りが全てだ。私にも、守るべき死にぞこないがいる。王にはわからないかもしれないがな」
 もう彼はひざまづいたりしなかった。平民服のまま毅然と立ち上がり、王を敬うそぶりさえ見せなかった。
「今のお前に命を懸けることはできるか? 答えろ、バルガス」
 真剣な問いだった。その質問自体がマリノの変化を何より如実に表していた。
「……できるさ。俺にだってな、どうしても守ってやりてえ人間の一人くらいいる」
「そこまでは堕ちていないようだな。それならわかるだろう? 薬さえあれば助かる人間のために何千人が命懸けで働いているかが。お前はその全てに責任がある」
 それは正論だった。一個人が抗える話ではなかった。
「急いで薬を買えるようにしてくれ。言いたいことはそれだけだ」
 マリノは一度だけ礼をすると、くるりと玉座に背を向けて歩き出した。ヴィークラムは無言でそれを見送る。何もする気力がないといった方が正しい。
 それで二人の正式な会合は終わった。
 後には、私的な会話があるだけだった。
「最高の金と権力を手に入れた気分はどうだ? バルガス」
 マリノは部屋を出る前に足を止めた。
「てめぇにゃどう見えるよ。この冠、この衣装! うらやましいだろ」
「哀れだな」
 ヴィークラムはその言葉にぽかんとして、何も言えなくなった。
「昔の私と同じだ。お前は遊びこそしないが、人々はそうは思うまい。ただ支配者だというだけで己の周りに壁ができ、叫びを聞いてもらえなくなる」
 マリノは最後に平民服を指差して、自信に満ちた微笑を浮かべた。
「金は自由を縛って作るものだ。お前の作った鉄の鎖なら錆びもするが、金と引き換えに作られた鎖は金を捨てない限り永久に外せない。
 人が何と言おうとお前は不幸な人間さ。そのまま金と権力と正義感の鎖につながれて一生を終わるがいい」
 そして自分の胸を二度叩く。
「さもなくば私のように悪人扱いされて一人の女と平凡な幸せと自由を手に入れるがいいさ。好きな方を選ぶんだな」
 マリノはそのまま凛とした足取りで部屋を出て、二度と戻ってこなかった。ヴィークラムはそのまま部屋に一人取り残され、無言で王冠を撫でていた。
 それはまさに最高の皮肉だった。
 最も憎むべき男こそが、自分の気持ちを誰よりも深く理解していた。
 王になってから哀れんでもらったことなど一度としてなかった。自分はいつのまにか道楽や策略の中で疲れ果て、他人を素直に信じられなくなっていた。
『好きな方を選べ』
 彼は多分一生マリノを許さないだろう。
 しかし、その時ほど彼がマリノに感謝し、かつうらやましいと思ったことは、後にも先にもなかった。

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