Credo
Chapter2 [2/3]


「ねえ」
「ん?」
「ホテル行こうか? もう全部すっ飛ばしてさ。このままどっか安いホテルつけて夜まで。それでダラダラ朝まで。やりまくろうか。太陽が黄色くなるってやつ、ちょっと見てみたい気もするわ」
 引き寄せるような透き通った空気の中で大介の顔が苦しげに強張った。体は動かない。たったひとつ腿の上でわずかに動いた男の指先が彼女を求めているようで、由加里がおかしそうに声をたてて笑った。笑っているうちに彼女の顔はみるみる赤くなり、唇を噛みながら泣き笑いの表情に皺を寄せた。
「いいじゃないそれぐらい爛れたって。母娘ならともかく、父親と娘両方と寝られるなんてちょっとありえない偉業よ。あなたそっちのほうも凄そうだもの。結婚する前にも随分たくさんの人と寝たんでしょうね。それとも結婚してからも誰かと寝てるの? うちの父みたいに?」
「俺は君とはやらない」
「どうしてよ。どうして大学教授の中年親父とはやれて私とはやれないの。だってずるいわよ。あなただけ平和な家庭持って幸せになろうだなんて、認めない。私にはあなたの家庭を破壊していい権利があるわ!」
 わめきながら、由加里の体はハンドルを切り違えることもアクセルを踏みこみすぎることもなかった。大介が黙っていると彼女の顔は怒ったようにして黙りこくった。やがてその全身が運転姿勢を保ったまま震え、感情の波に耐えながらか細い声をあげた。
「もうどうだっていいじゃない。忘れさせてよ」
「由加里ちゃん」
「別に本気であなたの家庭を壊す気なんかないわよ。ただ、めちゃめちゃになりたいの。めちゃめちゃにしてほしいの……」
 ──自分にとって、一番の禁忌を超えて。世界は裏返って自分に暗い悦びを与えるのだ。そうして愛する人たちと一緒に愛憎の坂を転げ落ちてゆきたい。
 車は速度を落とし、路脇に寄せられて止まる。大介の前で由加里はハンドルにしがみついてうなだれ、白い首筋を細かく揺らしていた。助手席から抱くこともできる距離だったが大介は彼女を抱かず、代わりに彼女の肩に手を置いた。由加里の肩がびくりと震えて跳ね上がった。
「俺は、君とはしない。多分結婚する前でもしなかった。君は……俺が何があってもそういう行為はしないって決めた、たった一人の人だ。だから」
 大介の声が詰まって、あろうことかひどくうわずっていた。真っ赤になった顔をハンドルに押しつけて隠す由加里の前で大介の顔も窒息しそうに赤くなっていた。由加里の肩に乗せた大きな掌が汗をかいて熱く湿っていた。
「だから。……そういう無茶なことは、考えない……でほしい」
 不器用な沈黙のあと、大介の手は由加里の肩からこわごわと引いていった。霧雨がガラスを濡らす車の中で二人ともしばらく固まったまま動けなかった。

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