Credo
Chapter3 [2/3]


 感じるべき場所で十分に真実を噛み締める間もなく、罪はどんどん散文的な時間の上を流れて人間の背に層を成してゆく。
 由加里が本当は何を求めていたか知りながら、大介は現在進行形で彼女の思いを、踏みにじるために、帰ってきたのかもしれなかった。ただただ目の前の現実を精一杯こなしているだけなのに取り返しのつかないことになってゆく。無数の人間が同じ地平の上でこなしていく日常の間には、なんと救いがたい罪が構築され横たわっていることか。
 殺風景な取調室で刑事と向かい合って座ると、デスクライトの強烈な光が大介を照らした。大介は刑事の手続きに応じて自らの素性を端的に延べ、光に目が慣れるまで目を細める。
「今日はあなたと小峰百合雄の関係についてお聞かせ願えますか。まず最初に写真で確認してください」
 目の前に押し出された写真の中に、霜を髪に半分以上いだいた肉付きのやわらかい中年男性を見出す。しばらく声が詰まって食い入るように見つめていた。かけている眼鏡も変わっていない。菩薩を思わせる優しいその目は、間違いなく数年前に別れた男のものだった。
「間違いありません」
「小峰百合雄ですね?」
「そうです」
 髪の霜が随分増えた。歳をとったなあと感慨深く呼びかけてやりたくなって、大介は閉じた口の裏に含み笑いを浮かべた。
「小峰は現在未成年者への暴行、恐喝、それと強制わいせつの容疑で取調べを受けています」
「そうでしょうね」
 写真を見つめて深くうつむいた大介の顔を、デスクライトの暖色の光が暴き続けている。刑事は大介の受け答えに目の色を変えると、そのまま机に腕を置いて彼の言葉を待った。
「いつか捕まるだろうなとは思っていました。この人は、やり方がドラスティック(徹底的)だから。そうしないと変われない人間には迷わず暴行、恐喝も辞さないでしょう。肌に合わなかった人間もいると思いますよ」
「……あなたは肌に合うとでも?」
「あなたがたには説明してもわからないことかもしれない。だが、私は、この人を弁護するためにここへ来た。
 たとえこの人が何人もの若者を強姦し、恐喝し、関係を持ち続けたのだとしても。そこに愛が生まれていることもある。まさしくそのことによって彼と関係を重ね、真の自己を見出されて救われた人間もいるのです。
 あなたがたが容疑をかけているこれらの行為は、彼にとって完全な愛の手段であり結果なのだ。彼には相手への害意は全くなかったはずだ」
 この世の悪魔を見るような、刑事の拒絶の表情を大介は予想できていた。刑事はやがて険悪な声色で彼に押し迫った。
「大学の彼のデスクから暴行に使われた筋弛緩剤も押収されている。最初に大学教授という身分を利用して相手に接触し、薬物で体の自由を奪って暴行する! 何人もの人間が同じ手口で暴行を受けたという供述がとれているんです!」
「だから言ったはずだ。彼のやり方はドラスティックだと」
「何か身に覚えでもあるんですか。あんたは小峰が薬物を使っていることを知っていたのか」
 大介はひずんだ目で刑事を見つめたまま微笑し、押し黙った。
「小峰と肉体関係を持ちましたか」
「持った」
「最初に薬物を使われた?」
「使われたよ」
 ライトの光が目の裏に届かないように、きつく目を閉じる。
 噛んで含むように言い聞かせた。
「それは大きな、大いなる愛のために、俺が壁を越えるために仕方のなかったことだ。儀式として必要だった。
 彼は俺に本当の自分として生きる道を教えてくれた。今でも彼を愛している」
 瞼の裏に透明な潮が満ちる。大介は息を止めると、潮が引いてゆくまで意識を滑り落ちる光を数えていた。肉体によって完全に閉ざされた闇の中を、夕日を受けた潮騒の如く無数の光が振り落ちる。
 これでいい。この道以外に自分が息をして進んでゆける道は存在しない。

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